2013年8月31日土曜日

大規模災害のときの熟慮期間について

司法書士の岡川です。

「特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律」が改正され、災害時の熟慮期間に関する民法の特例が新設されました。

災害時における相続の承認又は放棄をすべき期間に係る民法の特例の制定について(法務省)

前提として、相続の流れについておさらいです。

人が死亡したとき、その人(被相続人)について相続が開始します(民法882条)。
ただ、相続は、被相続人の権利義務を包括的に相続人が受け継ぐ(これを「一般承継」とか「一般承継」といいます)制度ですが、被相続人が死亡した(相続が開始した)だけではこの承継の効果が生じません。
相続人が、相続を「承認」した場合に権利義務を承継することになります(民法920条)。
何の留保もせずにする承認を「単純承認」といい、少し特殊な限定的な承認を「限定承認」というのですが、一般的に行われているのは単純承認ですので、ひとまずここでは限定承認のことは除外して書きます。

被相続人の権利義務を承継したくないと思えば、逆に相続を「放棄」することもできます。
相続は、プラスの遺産もマイナスの遺産も包括的に引き継ぐことになりますので、マイナスの遺産(借金)の方がプラスの遺産より多いような場合は、相続を放棄するという選択肢があるのです。
ちなみに、相続承認は相手方のいない意思表示なのですが、相続放棄は勝手に宣言するだけではだめで、家庭裁判所に申述する必要があります(民法938条)。

そうすると、人が死亡したとき、相続人には「承認」するか「放棄」するかの選択肢が与えられているのですが、いつまでもダラダラと保留していると、権利関係が確定せず、周りに迷惑をかけてしまいます。
そこで、承認か放棄かの結論を出すまでには「自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内」という期間が定められています。
これを「熟慮期間」といいます。

相続人は、3か月の熟慮期間内に承認するか放棄するかの結論を出さなければなりません。
そして、もし結論を出さずに熟慮期間が経過してしまうと、「単純承認した」ものとみなされます(民法921条)。
これを法定単純承認といいます。

民法によれば、東日本大震災のような大規模な災害があった場合でも、原則として3か月で結論を出さなければいけません。
たとえ相続財産の範囲について調査をしているような状況になかったとしても、死亡が確認できた(相続が開始したことを知った)以上は、そこから3か月という熟慮期間は守らなければなりません。
そして、放棄したければ、何が何でも家庭裁判所に申述しなければなりません。
これはさすがに具合が悪すぎるので、東日本大震災のときは、「東日本大震災に伴う相続の承認又は放棄をすべき期間に係る民法の特例に関する法律」という特例法が制定され、熟慮期間が伸長されました(既にこの期間は終わっています)。

このたび、今後も同様の災害が起こった時に対処できるような制度が用意されました。
それが、冒頭の法改正です。
これにより、大規模な災害が起こったとき、1年以内の期間を政令(内閣の命令)で定めて、熟慮期間を伸長することができるようになりました。
政令で定めればよいので、慌てて国会で特例法を成立させる必要がなくなったわけですね。

ただし、これは限定された場面の話ですので、原則として相続放棄をしたい人は「3か月以内に家庭裁判所に申述しなければならない」ということは覚えておきましょう。

では、今日はこの辺で。

2013年8月29日木曜日

秘密漏示罪と司法書士の守秘義務

司法書士の岡川です

外交や安全保障に関わる国家機密を公務員が漏洩する行為を禁止する「特定秘密保護法」が政府内で検討されています。
近いうちに国会に提出されるようです。

それはさておき。

他人の秘密を漏らしてはいけないのは、何も公務員だけではありません。
民間人であっても、法律によって守秘義務を課される職業は数多く存在し、それに対する罰則も存在します。
刑法134条には、他人の秘密を漏らした場合に適用される「秘密漏示罪」が規定されています。
条文は次の通りです。
医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
ご覧のとおり、秘密を漏らしてはいけないとされている対象が、「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者」に限定されています。

「司法書士」は含まれていませんね。

「秘密を漏らしてはいけないのは、司法書士だって弁護士と同じやろ」という、尤も至極な意見が出るかもしれません。
弁護士が秘密を漏らしたら犯罪なのに、司法書士が秘密を漏らしても問題なし・・・というのは、いかにも不合理です。
どちらも、「他人の依頼により法律事務を行う専門家であり、そこで知った秘密を漏らしてはならない」という状況は類似しています。
そこで、刑法134条には、「弁護士」とあるけど、これを「司法書士」にも「類推」して、「司法書士が秘密を漏らした場合にも刑法134条によって処罰される」と結論づけることが前回紹介した「類推解釈」です。
刑法では、そういう解釈が禁じられます(→類推解釈の禁止)。

「司法書士」は決して刑法134条に規定された「弁護士」に含まれる概念ではありません。
したがって、刑法134条に規定されていない「司法書士」を、刑法134条を類推することで処罰することは、国家による「不意打ち」であり、司法書士の自由を不当に侵害するものであって、許されないのです。
よって、司法書士が秘密を漏らしたとしても、刑法134条の秘密漏示罪によって処罰されることはありません。

司法書士は秘密漏らし放題ですね。

わーい。


・・・という理不尽な制度であるわけがなくて、実は、司法書士には、司法書士法76条(秘密保持義務違反の罪)というものが存在しまして、ここに刑法134条よりも重い「6月以下の懲役又は50万円以下の罰金」という罰則が用意されております。

司法書士法を読まないアホな司法書士がいるとは思いませんが、もし刑法だけ読んで「おっしゃ、134条に『司法書士』が列挙されてない。秘密しゃべり放題だ」とか考えた司法書士が秘密をだだ漏れにする事件が起きたら、もう本当に救いようがないアホなので、即刻逮捕しちゃってください。

では、今日はこの辺で。

2013年8月28日水曜日

罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」

司法書士の岡川です。

近代刑法の大原則「罪刑法定主義」の3つめの派生原理は、「類推解釈の禁止」です。

昨日は、「法解釈」について紹介しましたが、法解釈にはいろいろな手法があります。
条文の文言を、言葉の意味通りに解釈する「文理解釈」や、言葉が本来持つ意味より広げて解釈する「拡張解釈」、逆に言葉が本来もつ意味より狭めて解釈する「縮小解釈」などです。

色んな解釈手法があるなかで、基本的には、適切な解釈手法を選択し、その手法に従って解釈を試みるわけですが、刑法(刑罰法規)を解釈するにあたって、採用してはいけない手法があります。
それが、「類推解釈」という解釈手法です。
類推解釈とは、「ある規定が存在する場合に、それと類似の状況についてもその規定が妥当する」と考える解釈です。

例えば、「カピバラを殺した者は、死刑に処する」という法律があったとしましょう。
この条文によると、カピバラを殺した人が死刑になることが文言から素直に導けますね。
これは、文理解釈です。

ここで、ヌートリアを殺した人が現れました。
「ヌートリアを殺した者」についての法律が存在しないとして、ヌートリアを殺した人は処罰されるでしょうか。

仮に、「ちょっと大きめのドブネズミっぽい動物を殺すのはよくない」というのが法律の趣旨だとするなら、「カピバラもヌートリアも同じようなものだろう」といえそうです。
その法律の趣旨から考えると、「カピバラを殺してはいけないなら、ヌートリアを殺すのもダメ」という結論が妥当と思われます。

そこで「『カピバラを殺した者は、死刑に処する』という法律の『カピバラ』には、『ヌートリア』も含んでいる」と結論づけるのが、類推解釈です。
カピバラ殺害について規定した法律を、ヌートリア殺害にも妥当すると「類推」するわけですね。

この法律の類推解釈を裁判所が採用すれば、「カピバラを殺した者は、死刑に処する」という法律に基づいて、ヌートリアを殺した人が死刑になります。


さて、「類推解釈の禁止」とは、文字通り、刑法を解釈するにあたっては、このような類推解釈をしてはならないとする原則です。

類推解釈を許容すれば、確かに、具体的場面において妥当な結論が導けるかもしれません。
法律を作った時点で想定していなかったことでも、趣旨に適っていれば同じ結論を導けるからです。

しかし、結局これは、「もともと法律が本来想定していない行為をした者まで処罰対象とする」ことになります。
法律に「カピバラ」と書いてあれば、「カピバラ」さえ避ければ処罰されない、と判断することができれば、国民は自由に行動できます。

しかし、法律には「カピバラ」としか書いていないのに、それが「ヌートリア」にまで及ぶとなれば、国民は、その法律がどこまで及ぶのか分からず、自由を著しく制限されてしまいます。
「何が犯罪で何が犯罪でないかを予め法律で規定して国民の自由を保障する」という理念からすれば、そのような事態は望ましくありません。

また、本来「カピバラ」について規定した法律しかないのに、ヌートリアを殺した者を死刑に処するとすれば、裁判所による新たな立法であるといえます。
それは、何が犯罪であるかを決めるのは、民主的なプロセスを経るべきであるとする民主主義的要請にも反します。


このような理由から、刑法では類推解釈が禁止されています。
なので、「カピバラを殺した者は、死刑に処する」という条文しか無いとすれば、「カピバラ以外の動物は、殺してもいい」と解釈しなければなりません。
したがって、ヌートリアを殺した人は処罰されません。
これを「反対解釈」といいます。

ヌートリアを殺した人も処罰したければ、国会で新たに「ヌートリアを殺した者は、死刑に処する」という法律を作らなければいけません。
もちろん、新たにつくられた法律は、既にヌートリアを殺した人には適用されません(遡及処罰の禁止)。
仮にそれで「処罰すべき人を処罰できない」という結論になろうとも、「刑罰法規は予め国民に提示しておくことで、国民の自由を保障する」という罪刑法定主義の理念が優先するわけです。


ちなみに、類推解釈が問題となる場面では、既存の法律が想定していない事態に対してその法律を当てはめる作業になります。
したがってそれはもはや「解釈」の枠を超えており、「類推適用」と呼ぶのが正しいという意見もあります。
類推解釈が許される民法では、「類推適用」という用語を使うことが一般的ですね。
「民法94条2項類推適用説」とかいう風に使われます(意味については、専門的すぎるので省略)。


なお、実際にヌートリアを殺した場合にどんな法律が適用されるのかについては調べていませんので、この記事を読んで「あ、ヌートリアって殺していいんだ」とか思わないでください。

詳しくは、お近くの「ヌートリアを殺したときに適用される法律に詳しい弁護士」にご相談ください。

では、今日はこの辺で。

罪刑法定主義シリーズ
1.罪刑法定主義
2.罪刑法定主義の派生原理その1「法律主義」
3.罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」
4.罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」 ← いまここ
5.罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」
6.罪刑法定主義の派生原理その5「明確性の原則」

2013年8月27日火曜日

法解釈とは何か

司法書士の岡川です。

憲法でも法律でも条例でも、あるいは、刑法でも民法でも会社法でも、およそ法規範の内容を理解するには、書かれてある条文をそのまま読むだけでは足りません。
広辞苑で日本語の意味をひとつひとつ調べながら読んだとしても、まだまだ足りません。

例えば、典型的な刑法の条文を例に挙げてみると、刑法199条には、次のように書かれています。

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」

おそらく、日本語を習得している人であれば、この条文を読むだけで「漠然と」「何となく」意味内容はイメージできるでしょう。
「ああ、バールのような物で通行人の後頭部を殴って、脳挫傷で死なせたら、死刑になるか5年以上刑務所に入るんだな」・・・と。

しかし、法の内容を正確に確定するには至っていないはずです。
例えば、こういう問いに、正確に答えられますか?

(問1)刑法199条でいうところの、「人」とは何でしょうか?
胎児は「人」に含まれるでしょうか?
陣痛が始まってから、まだ母体から出てきていない状態ではどうでしょう?
出産途中で、母体から半分だけ出てきた段階のの嬰児は「人」ですか?
植物状態の人はどうですか?
心臓は動いているけど既に脳死状態の人「人」ですか?「死体」ですか?

(問2)刑法199条でいうところの、「殺した」とは何でしょうか?
丑の刻参りをしたら、相手が死んだとして、殺したことになりますか?
自分の子供にナイフを持たせて、寝ている人の心臓をめった刺しにさせたら、殺したことになりますか?
自分の子供に食事を与えず餓死させたら「殺した」ことになりますか?

このように、「日本語」としての意味はだいたい理解できる単純な条文でも、具体的な場面を考えると、その条文が「法律上どういう意味を持っているのか」について、必ずしも明快な答えは用意されていないことがわかります。
法律というのは、限定された特殊な状況でのみ適用されるのではなく、広く一般的に適用されるものなので、どの法律も、程度の差はあれ、ある程度幅を持たせて抽象的に書かざるをえません。
刑法199条は、比較的抽象度の低い規定ではありますが、それでも、細かくみていくと、「幅」があることが、上記の問いを見るだけでもお分かりいただけると思います。

抽象的に書かれた法律ですが、個別具体的な事案に応じて、その条文を適用して結論を出さなければなりませんので、必ず意味内容を確定させなければなりません。
その作業を「法解釈」あるいは単に「解釈」といいます。
最近、憲法9条の規定から、集団的自衛権が認められるかどうか、という論争が世間を賑わしていますが、これも、日本国憲法第9条の条文を単純に「日本語知識」だけで読んでいても、答えは出ません。
だから、「解釈」で確定させようとしているのですが、「解釈」は、人によって異なってきますので、そこに論争が起こったり、裁判で争われたり、政治問題になったりするわけですね。

法律の意味を把握するには、「解釈」という作業が必須であり、また、法律は解釈されることを予定して作られます。
そして、この法解釈には、「日本語の知識」が必要条件ではありますが、それは十分条件ではありません。
だから、以前「日本国憲法の条文だけを読む意義」でも書きましたが、条文を日本語の知識だけに頼って、ただ単純に読み進めることは、はっきりいって「憲法の理解」のためには、はっきりいって無意味であり無益です。

法解釈の手法や種類にはいろいろあり、どの場面でどのような解釈手法を用いてどのような結論を出すか、というのは、法律を学ぶことによって習得できる技術です。
法解釈について学ぶ学問を法解釈学といい、「法律を学ぶ」という場合、一般的には主に法解釈学を指しています。
法解釈の種類については、また後日、このブログで紹介しようと思います。


我々実務家は、法解釈ができないと話になりませんが、法律というのは、一般の国民に対して向けられたルールです。
そうである以上、皆さんも、ある程度の法解釈の素養は身につけておくことが大切です。
法を知らずに「損をしない」ため(→「法の不知は害する」参照)にも、あるいは、ネット上の変な言説(誤った法律論)に惑わされないためにも。

では、今日はこの辺で。

2013年8月26日月曜日

ツイッターに馬鹿な写真を投稿する馬鹿

司法書士の岡川です。

最近、ツイッターに馬鹿な写真(コンビニのアイスケースに入る、というところから始まり、厨房の冷蔵庫に入る、ハンバーガーのパンの山の上に寝転がる、食材を咥える、摘出した臓器の写真を公開する、ピザ生地を顔に張り付ける、精米機に入る、線路内に侵入する、などなど)を投稿する事件が多発していました。
そしてついに「パトカーを破壊する」写真を撮ったことで逮捕者が出た模様です。

19歳にもなって、何やってるんでしょうね。

他人の物を傷つけたら、器物損壊という立派な犯罪です。
刑法には、「他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。」とあります(刑法261条)。
もちろん、民事上も、パトカーの修理代金を賠償する責任を負います。

こういうのは、きっちり罰金を支払ってもらって、修理代金も全額請求して、「面白半分」なんていうのは社会では通用しない、ということを知らしめておきましょう。

それにしても、ここまで問題になっているにもかかわらず、馬鹿な写真投稿が繰り返されるということは、この人らはニュースとか新聞とか一切見ていないのでしょうね。

馬鹿につける薬は無いといいますが・・・。

では、今日はこの辺で。

2013年8月24日土曜日

所有と経営の分離

司法書士の岡川です。

前回のNEET株式会社の話に続き、せっかくなので、ここで株式会社の話を続けましょう。

そもそも、ニートたちが集まって、株式会社を作ると何かいいことがあるのでしょうか(「話題性があって面白い」というのは、ひとまず横に置いておきましょう)。

当然ですが、何かの事業を行おうとすれば、資金が必要です。
また、その資金を使って事業を運営する人が必要ですし、経営方針に従って、実際に現場で働く人も必要です。

事業を経営する主体(企業)のもっとも原始的で原則的な形態は、いわゆる個人企業です。
町の八百屋さんとか魚屋さんのように、店主が個人で事業主となり、店を経営していくものです。
我々司法書士も、基本的には個人事業主です(大規模な司法書士事務所は、「司法書士法人」という法人を作っていることもありますが、その場合は除きます)。
すなわち、事業主が自ら資金を出し(金融機関等から借りる場合も含む)、自らの経営判断に基づいて企業(八百屋とか魚屋とか司法書士事務所とか)を運営していくものです。

企業の規模を少し大きくしようとすれば、複数人で集まって企業を共同経営する必要が出てくることもあります。
その場合、民法でいうところの組合契約が締結され、「組合」という団体が形成されることになりますが、これは、あくまでも集まった「個人」レベルで企業を経営するものです。
司法書士でも「共同事務所」という形で、複数の司法書士が一緒になって事務所を運営していることがあります(そういう事務所は、「○○司法書士共同事務所」「○○司法書士合同事務所」とか名乗っていることが多いです)。

さて、さらに規模を大きくしたり資金を広く集めたりしたい場合、どんどん仲間を増やしていくと、「個人の集まり」のまま経営を行うといろいろ不都合が出てきます(会計の問題、信用の問題、意思決定の問題などなど)。
そこで、「会社」という仕組みが用いられることになります。

「会社」はそれ自体が法人格を有しているので、「会社」となった企業においては、会社を作った個人ではなく会社自体が事業主体となります。
事業を始めたい(あるいは、既に始めているが、企業を法人化したい)人は、会社に出資して会社の構成員(=社員。社員の意味についてはこちらの記事参照)となり、業務執行権を有する人間が会社の経営を行うという形をとるのです。
つまり、「個人の集まり」と違い、会社の構成員(出資者であり会社の“所有者”)の全員が経営者(業務を執行する者)でなくてもよいわけです。

会社の中でも、持分会社(合名会社・合資会社合同会社)については、構成員(社員)全員が業務執行権を有するのが原則ですが、定款で定めることにより、業務執行社員を選ぶことができます。
残りの社員は、基本的には出資をして、会社に利益が出たら配当を得るだけです。

この「出資者=構成員(=所有者)」と「経営者」を区別する仕組みを徹底したのが、「株式会社」という会社形態です。

株式会社の構成員(社員)は、特に「株主」といいますが、株主は会社の構成員であり出資者ですが、業務執行権はありません。
株主は、株主総会で会社の業務を執行する「取締役」等の役員を選任し、会社の経営は取締役に全て委任します。
また、取締役は、株主でなくても構わず、外部の経営能力の高い人間に任せることも可能です。

このように、株式会社というのは、構成員(会社の所有者)と会社の経営者が完全に分離しています。
これを「所有と経営の分離」の原則といいます。

株主は、基本的には、出資をして基本的な枠組みを決めさえすれば、あとの細かい経営についていちいち考える必要がありません。
したがって、金を持っているけど経営に関与したくない(する暇もない)ような人からも、広く資金を集めることができるのです。
株式は原則として自由に譲渡できるので、株式を他人に売ってしまえば、投下資本を回収し、会社の構成員から離脱することもできます。
また、経営に適した1人又は数人の取締役を選び、少数精鋭の取締役に経営を全て任せることでことによって、経営効率も上がります。

いちおう、これが株式会社の理念型なのですが、実際には、「一人会社」といって、自分が出資して株主になって自分が代表取締役になるような零細企業が大量に存在します。
日本では、所有と経営が分離していない株式会社がほとんどです。
比較法的には、そういった形態は株式会社とは別の会社形態が使われることも少なくありません。


さて、そんな株式会社の本質と現状を前提に、NEET株式会社を見てみましょう。
おそらく、300人が発起人となり、300人が株主となり、そして300人が取締役になるのでしょう。
「広く資金を集めるとともに、少数の経営者で効率的な経営を行う」という株式会社の理念とは、およそかけ離れていますね。
実際に、集まった取締役候補者(ニート)の中で、既にやる気のある人とない人が出てきているようです。
ここで、やる気のない人には経営から退いてもらって、「出資だけしてくれたらいいよ」というのが株式会社のメリットなのですが、そういう人も取締役(経営側)に引き入れるというのがNEET株式会社。
もはや、株式会社となる意味が全くないわけです。


結論。
やっぱり「話題作り」以外にいいことは何もない。以上。


とまあ、理屈的にはそういうわけなんですけど、前回も言いましたとおり、この企画は事業が目的じゃなくて、取締役になって社会に出ること自体が目的みたいなわけで、もはや何でもいいのです。たぶん。

では、今日はこの辺で。

2013年8月22日木曜日

ニート300人が取締役となるNEET株式会社の行方

司法書士の岡川です

色んな意味で面白い記事を見つけました。

ニート300人集まって会社設立へ 全員が取締役に(朝日新聞)
全国から集まったニート全員が取締役になり、会社を立ち上げる――。そんな企画が進行中だ。手を挙げたのは約300人。

300人というのもまだ確定していないようですが、ニートが集まってみんなで出資しあってみんなで経営する会社を作ろうという企画のようです。
ちなみに事業内容はまだ未定のようです。

「会社」というのは、何かの事業を行うためのツールのひとつに過ぎません。
何らかの事業をするには個人企業でもいいわけですが、事業の規模を大きくしたり、資金を集めたり、信用を高めるために会社を作るのです。
なので、「何をするか決まってないけどとにかく会社を作ろう」というのは、手段の目的化といえなくもない。

が、とにかくニートに社会に出てもらうための企画としては面白くていいんじゃないでしょうか。
私は、(他人に迷惑かけなければ)面白けりゃ何でもいいっていうタイプですので、こういうネタ・・・もとい、企画は結構好きです。

もっとも、既に「企画倒れ」もしくは「出オチ」臭がプンプンしていますが、もっともっと面白くなるといいですね。


さて、ただのネタ好き人間の野次馬的視点からの無責任な楽しみ方はともかく、実は会社法の専門家でもある司法書士の視点でこの企画を見てみましょう。

取締役の人数というのは上限がありませんので、欠格事由に該当さえしなければ、300人だろうが3000人だろうが取締役を選ぶことが可能です。

ただ、取締役会を設置するかどうかにかかわらず、会社の業務は基本的に取締役の過半数で決めます。
300人といえば、参議院議員より60人ほど多い。
まー、物事が決まるとは思いませんなぁ~。


取締役会が設置されるとすれば、取締役会の議決により業務執行の決定を行います。
取締役会は、取締役の過半数が出席しなければ開けませんので、少なくとも151人が出席することになります。

議事録に出席取締役全員の押印が必要なのですが、その場合は、議事録には最低でも151人分の押印がなされます。
取締役会を設置しない場合は、取締役全員の過半数で決するので、何らかの決定を証明する書類を作成すると、同じくそこには少なくとも151人分の押印があると考えられます。

そして、代表取締役を選定する場合など、議事録の押印について全員の「実印」が必要になる場合もあるのですが、その場合、法務局の登記官は、少なくとも151人分の実印について、添付された印鑑証明書との印影照合をするハメになります。
登記官泣かせの会社ですね(登記手続きを司法書士が行った場合、その司法書士も同じく、最低151人分の印影照合をしないといけない)。


誰を代表取締役にするか、というのも考えなければなりませんね。
代表取締役は、「取締役の中の代表者」ではなく、「代表権をもった取締役」の意味なので、これも別に1人とは限りません。
特に、取締役会を設置していない会社では、会社法の建前では、取締役全員が代表取締役であることが原則です(実際は、あまりそんなことはしませんが)。

つまり、取締役が300人いれば、代表取締役を300人にすることも可能です。

代表取締役は、各自会社を代表しますので、全員がそれぞれ自分の代表者印(いわゆる「会社の実印」)を持つことができます。
ということは、やろうと思えば、日本中に散らばった代表取締役300人が、そこらじゅうで色んな契約することができます。
そんな危なっかしい会社と取引をする相手がいるとは思いませんが。

300人もいれば、取締役の相互監視監督も行き届かないでしょうし、アホなことをしだす人間も出てくるでしょう。
その場合、他の取締役も任務懈怠の責任を問われる可能性もあります。

ぜひとも、代表取締役は1人又は数人だけにしておきましょう。


ところで、取締役の氏名は登記事項ですから、登記簿には、300人の氏名がずらーっと並ぶことになります(→参照「登記簿には何が載っているか」)。
登記簿謄本(現在事項証明書)の役員欄には、1ページに15人くらい取締役が載せられるので、取締役の氏名だけで20ページくらいになりますね。

また、代表権を持つ取締役は、代表取締役として住所氏名が「取締役」とはまた別に登記されます。
仮に300人が全員代表権を持つとすれば、登記簿謄本の取締役が20ページ終われば、その後にまた同じ人数分の代表取締役がずらーっと20ページ続きます。

また、役員変更(任期満了後に再任された場合も含む)があったりすれば、履歴事項証明書のページ数はえらいことになりますね。

ちなみに、登記簿謄本は、50ページを超えると手数料が割増されますので、NEET株式会社の履歴事項証明書をとるときは要注意ですね。


まあ、そんな感じで色々と面白いことがおこりそうで、赤の他人として傍観する分には楽しいですね。

ただ、現実的なことをいうと、取締役(特に代表取締役)になるということは、「労働者」の地位を捨てるということですから、色々と社会保障(雇用保険とか)が使えなくなる覚悟はしておきましょう。
何だかんだいって、労働者というのは法律上は厚く守られているということをお忘れなきよう。


考えればいろいろ大変なことが出てきそうですが、まあ、頑張ってもらいたいですね。
設立されたら、記念に登記簿謄本とってみます。

では、今日はこの辺で。

→続きはこちら「所有と経営の分離

2013年8月21日水曜日

罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」

司法書士の岡川です。

刑法の大原則である「罪刑法定主義」の2つめの派生原理は、「遡及処罰の禁止」です。
「事後法の禁止」とか「刑罰法規不遡及」の原則と呼ばれることもあります。
これは、「犯罪と刑罰は、予め(成文の)法律によって定めておかなければならない」という罪刑法定主義の原則のうち、「予め」の部分をいう原則です。

例えば、ある行為が行われた後に、その行為を犯罪とする法律が成立したとします。
「もう新しい法律が施行されがのだから」という理由で、その法律に従って法律制定前にその行為をした人物を処罰することができるでしょうか。

罪刑法定主義に関して、民主主義の要請という面だけを見れば、事前であれ事後であれ、犯罪と刑罰を法律で定めさえすれば足りるとも考えれます。
しかし、罪刑法定主義は、自由主義の要請という面をみれば、何が犯罪であるかが事前に分かっていて初めて、人々の自由が保障されるといえます。
また、理論的に、罪刑法定主義は一般予防思想に基づくと考えた場合、事前に禁止された行為が国民に提示されていなければ、何ら犯罪抑止効果がありません。
したがって、ある行為を犯罪とする法律が成立したとしても、法律が成立する前にされた行為についてまで遡及して(遡って)適用し、処罰してはならない、というのが「遡及処罰の禁止」の原則です。
日本国憲法39条に、「何人も、実行の時に適法であった行為・・・については、刑事上の責任を問はれない」と明文で規定されています。

遡及処罰の禁止は、新しい犯罪類型を創設する場合はもちろん、もともと犯罪類型は存在していた場合であっても、行為時の法律で定められていた刑より重い刑で処罰してはいけない、という内容も含みます。
つまり、法改正によって、犯罪行為時より法定刑が重くなったとしても、犯罪行為時の法定刑に従って処罰しなければなりません。

「法の不遡及」という原則は、民法を始めとする私法分野等、他の法分野においても原則として妥当するのですが、例外なく厳格に遡及が禁じられているというのが刑法の特徴のひとつです。

今日もまた長くなったので、続きはまた次回。

では、今日はこの辺で。

罪刑法定主義シリーズ
1.罪刑法定主義
2.罪刑法定主義の派生原理その1「法律主義」
3.罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」 ← いまここ
4.罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」
5.罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」
6.罪刑法定主義の派生原理その5「明確性の原則」

2013年8月20日火曜日

罪刑法定主義の派生原則その1「法律主義」

司法書士の岡川です。

昨日の続きです。
「法律なければ刑罰なし」という、近代刑法の大原則である罪刑法定主義ですが、細かくみていくと色々な原理・原則がそこに含まれています。
それらは、罪刑法定主義の派生原理(派生原則)とよばれます。

そして、今日紹介するのは、「法律主義」です。
これは、何が犯罪で、どういう刑罰が科されるか、という刑罰法規は、形式的意義における「法律」で定めなければならないとする原則です。

この、形式的意義の「法律」とは何でしょうか。
日常会話で「法律」といえば、国の定めるルール全般を指すこともありますが、厳密にいえば、国が定めるルールには「法律」以外にもいろんな形式の法が存在します。
例えば、日本国憲法は、「憲法」という、「法律」とはまた別の法形式です。
したがって、憲法改正には法改正と異なる手続きが必要になります。
また、立法府ではなく行政府が制定する法規範のことを「命令」といいます(法律用語の「命令」は、非常に多義的なのですが、ここでは行政機関の制定する法の意味)。
あるいは、都道府県や市町村議会で定められる法として「条例」という法形式もありますね。
(日本にはどんな「法形式」があるか、という詳しい話はまた後日→色々な法形式

その中でも、形式的に「法律」とされるものは、国の立法府である国会の議決を経て制定される法をいいます。
この「法律」の形式で制定されていなければならない、逆にいえば、「政令」や「省令」といった、「法律」以外の形式で定めてはいけないというのが「法律主義」の意味です。
「法律」という「国会で制定される法」の形式でなければならないというのは、罪刑法定主義の民主主義的な要請に基づくものですね。

もっとも、憲法73条6号但し書きには、「政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」とあります。
逆にいえば、日本国憲法は、「法律の委任」があれば一定の範囲で「政令」という法形式で罰則を定めることも許容しています。


では、地方自治体が「条例」という法形式で罰則を定めるのはどうでしょう?
条例で罰則を定めることについて、日本国憲法には明文の規定はありません。
罪刑法定主義は、憲法31条に規定された実定法上の原則であると考えられていることから、罰則付きの条例が罪刑法定主義(法律主義)違反となれば、これは違憲だということになってしまいます。
これには色んな考え方があるのですが、結論的には、罪刑法定主義(法律主義)に反しない(合憲)とされています。
前提として、地方自治法14条3項には、「条例に違反した者に対し、2年以下の懲役若しくは禁錮、100万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑又は5万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる。」と定められており、「法律」が「条例」に包括的に委任しています。
したがって、この包括的な法律の委任が、罪刑法定主義の要請を満たすか、という問題になるのですが、「条例だって国会と同じく地方議会で民主的に制定されるのだから、罪刑法定主義の趣旨に反しない」といった説明がされます。

このように、原則には例外がつきもので、法律主義といっても、何が何でも全てを「法律」で定めなければならないというものでもありません。
ただ、「法律」以外の法形式で罰則を定める場合は、その許容範囲が限定されているのです。

ところで、法律主義ではなく、「慣習刑法の排除」が派生原則として挙げられることもあります。
慣習刑法の排除とは、犯罪と刑罰が専ら慣習法によって定められてはならないとする原則です(ただし、法律の存在を前提に、解釈において慣習が考慮されることまでを禁じるものではありません。)。
結局はどちらも同じ趣旨であり、法律主義は当然に「慣習刑法の排除」という原則を含んでいます。
なので、法律主義の説明として慣習刑法の排除が言及されることもありますね。

長くなったので、続きはまた次回。

では、今日はこの辺で。

罪刑法定主義シリーズ
1.罪刑法定主義
2.罪刑法定主義の派生原理その1「法律主義」 ← いまここ
3.罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」
4.罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」
5.罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」
6.罪刑法定主義の派生原理その5「明確性の原則」

2013年8月19日月曜日

罪刑法定主義

司法書士の岡川です。

近代刑法で最も重要で、最も基本的な大原則に「罪刑法定主義」があります。
これは、「法律無ければ刑罰なし」といい表されるとおり、人を罪に問う(ある人の行為を犯罪として処罰する)には、予め国が制定する(成文の)法律によって、その行為を「犯罪」と定めておかなければならないというものです。
罪刑法定主義の対義語は「罪刑専断主義」といいます。
どのような行為を犯罪とし、どのような刑罰を科すかを国家機関が裁量的、恣意的に決め、処断する仕組みです。
近代刑法が確立する以前は、罪刑専断主義が一般的でした。

予め何が犯罪で何が犯罪でないかを定めておかなければ、人々は安心して自由に行動することができません。
どの行為が犯罪であるかが法定されており、「法定されたもの以外の行為で処罰されることがない」という原則が確立していれば、人は犯罪と規定された行為を避ける限り、自由が保障されていることになります。
つまり、罪刑法定主義は、自由主義の要請に基づくものだといえます。
また、刑罰は、犯罪者の生命・身体・財産等の人権を合法的に侵害する行為であり、「何を犯罪とするか」は、国民の利害に重大な関わりを有する事項です。
したがって、それは誰かが勝手に決めるのではなく、議会の制定する法律で決めるのが望ましいといえます。
つまり、罪刑法定主義は、民主主義の要請に基づくものでもあるのです。

さらには、刑法が犯罪を予防するためのものであるという思想(一般予防論)を前提に、禁止する行為を予め法律で制定して国民に提示しておくことで、初めて刑法が抑止効果を発揮できる、という点が、罪刑法定主義の理論的根拠として指摘されることもあります。

この刑法の大原則の罪刑法定主義ですが、もう少し詳しくみると、色々な派生原理が存在します。
次回から、罪刑法定主義の派生原理を紹介します。

では、今日はこの辺で。

罪刑法定主義シリーズ
1.罪刑法定主義 ← いまここ
2.罪刑法定主義の派生原理その1「法律主義」
3.罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」
4.罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」
5.罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」
6.罪刑法定主義の派生原理その5「明確性の原則」

2013年8月11日日曜日

株式会社日本銀行?

司法書士の岡川です。

ネットでたまたま見つけた誤情報を勝手に取り上げて勝手に訂正する、「ネット上の誤情報にツッコミを入れよう」のコーナー(不定期)です。

さて、皆さん日本銀行って知ってますか?
「銀行の銀行」「政府の銀行」などと呼ばれ、通貨の発行や管理をして、日本の金融政策を実行する、日本の中央銀行です。
その日本銀行ですが、「日本銀行は株式会社である」という説明が、ネット上にまことしやかに流れているようです。
古いものも含めていくつか記事を紹介すると、
【お金の話】第2回:日本銀行は民間企業だった / しかも株式上場している(ロケットニュース24)
日銀(日本銀行)は株式会社である(zeraniumのブログ)
日本銀行は民間企業?(ざつたま)

法人入門」でも説明したとおり、法人にはいろんな種類があります。
「株式会社」というのも数ある法人の種類のひとつであり、会社法という法律(又は個別の特別法)に基づいて設立される法人の一種です。
形式的にいえば、会社法(又は個別の特別法)に基づいて「株式会社として設立された法人」が株式会社なのであり、それ以外の法人は株式会社ではありません。
さらにいえば、株式会社は必ず商号中に「株式会社」の文字が入ってなければならず、逆に、株式会社以外の法人が株式会社を名乗ることは禁じられています(会社法6、7条)。
したがって、ぱっと見だけで判断するならば、その法人の名称中に「株式会社」が入っているかどうかをみれば、その法人が株式会社であるかどうかが判別できることになります。
少し実質的にみるならば、その法人から「株式」が発行されているかどうかで判断できます。
つまり、法人の構成員(社員)の資格が「株式」という単位で分割されている社団法人が株式会社であり、「株主」と呼ばれる構成員(社員)が存在すれば、株式会社ということができます。

さて、ここで日本銀行に目を向けると、日本銀行は「日本銀行法」という法律に基づいて設立される法人であり、これは「日本銀行」という種類の法人です。
法人の分類でいえば、「認可法人」にカテゴライズされます。
(ちなみに、「日本銀行という種類の法人」は、日本銀行しか存在しません。)

日本銀行が株式会社でない理由はいくらでも列挙できますが、例えば、
・日本銀行は、会社法に基づいて設立されるわけでもなく、日本銀行法の中で、特に「日本銀行は株式会社とする」という規定もない。
・日本銀行の名称中「株式会社」の文字が入っていない
・日本銀行は株式を発行しておらず、したがって構成員たる株主が存在しない。
この3点を指摘しておけば、株式会社である要件を満たしていないことが分かります。

「でも、『日銀株』が上場されているよ?」という疑問を持たれるかもしれませんが、日銀株というのは、株式ではなく、日本銀行の「出資証券」という有価証券です。
俗に「株」といわれていますが、株式会社の株式とは関係ありません(同じように取引されるだけです)。
したがって、出資証券の所有者は株主ではありません。
「出資証券とよばれる株式」というふうな認識も間違いです。
出資証券は、それ自体が出資証券という有価証券であって、株式(株券)の一種というわけでもないのです。

ついでにいうと、出資証券を取得しても日銀の経営に関与できないのは、政府が55%持っているからではなくて、そもそも、出資証券の所有者は、ただ出資をしているだけの存在だからです。
どんなに金を出そうが、最初から何ら口出しをする立場にないのです。
株主が、株式会社の出資者であるのと同時に、株式会社の構成員(社員)でもあるのとは異なりますね。

というわけで、「日本銀行は株式会社である」というのは、間違いですので、気をつけましょう。

では、今日はこの辺で。

2013年8月9日金曜日

成年後見の申立てにかかる費用

司法書士の岡川です。

こういう記事を見つけました。

成年後見制度を上手に使う

成年後見制度を紹介していただくのはとても素晴らしいことなのですが、費用に関して事実誤認ないし誤解を生む内容があるので、訂正と補足をします。

以下引用。
後見人制度を利用するためには、「申し立て人」が必要です。
問題は、誰がその言いだしっぺになるのか、ということです。
申し立て人は、後見人を選ぶまでの諸費用を払う義務があります。
一般的に司法書士さんに依頼した場合、20万円強の費用が必要。
それは申し立て人の負担になります。

申立人が誰になるか、というのは確かに問題でして、明らかに支援が必要なのに申立人になる人がいなくて困ることは珍しくありません。
申立人になることを躊躇する理由の一つとして、申立てにかかる費用の問題もあります。
しかし、「一般的に司法書士さんに依頼した場合、20万円強の費用が必要」というのは、正確ではありません。


申立てにかかる費用というのは、必ず必要な費用としては、
  • 交通費やら通信費やらの実費
  • 裁判所に納める印紙代やら切手代
  • 司法書士(又は弁護士)報酬
です。
そして、司法書士や弁護士の報酬は、法律で決まっていませんので一概には言えませんが、例えば私の場合、基本的な申立手続きの報酬(相談から申立てまで一切を含む)の基準は、10万円(+消費税)です(事案によって、前後しますが)。
地域性もあるでしょうが、私の周りで話を聞く限り、司法書士の報酬というのはだいたいその程度です。
もちろん20万円かかるような事件が無いともいえないので、「報酬20万は高い」と一概には申し上げられないのですが、少なくともそれは「一般的」な事例ではないでしょう。

そして、実費はせいぜい数千円(これも、申立人が遠隔地に住んでいる場合等、特殊な例は別)で、裁判所に納める諸費用も数千円です。
ということで、ここまで見てきたとおり司法書士に依頼する一般的な事例で絶対に必要な費用は「10万円強」だと思われます。


「20万円強」というのは、おそらく、ここに「鑑定費用」も含めた値段だと思われます。

後見に該当するかどうかが(診断書だけでは)はっきりしない場合に、専門の医者に鑑定を依頼します。
この鑑定にかかる費用が10万円程度かかることもあるのです。

しかし、次のような理由から、必ずしも鑑定費用を含めた「20万円強」が一般的に申立人が負担する額だとはいえません。
  • 家事事件手続法の規定では、後見・保佐類型の場合は、原則として鑑定が行わなれることになっているが、明らかに後見該当だと診断書や調査官の調査で判断できる場合は鑑定が省略される。
  • 実際の運用では、鑑定を行わない例は多く、鑑定を実施するのは1割程度である。
  • 鑑定をした場合も、鑑定費用は、大部分は5万円以下である。
  • 低額で鑑定を引き受けてくれる精神科医に診断書を書いてもらっていれば、5万円もかからない(場合によっては、無料で鑑定を引き受けてくれる医者もいる)。
  • 鑑定費用が必要な場合も、家庭裁判所に申し立てることにより、鑑定費用を本人(被後見人)の負担とすることも可能(つまり、申立人は鑑定費用を負担しない)。

このように、後見申立には「必ず20万円強かかる」というようなものではありません。
司法書士に依頼して「20万円強」かかるのは、色々な事情が重なった数%の事例ではないでしょうか(少なくとも、大阪ではそうです)。


ところで、ざっとネットを見てみると、弁護士さんは、基本報酬を20万円程度に設定していることが多いようですね。
(同じく、大阪弁護士会のアンケートでは、このような結果が出ています)

そうすると、「一般的に20万円強の費用が必要」なのは、「弁護士さんに依頼した場合」の話で、司法書士に依頼した場合は、一般的には10万円強で申立てができるということになります。
(繰り返しますが、「絶対に10万円強しかかからない」というようなものではなく、事案によっては20万円程度になることもありえます)


最後に付け加えておくと、「弁護士の方が高いから、きっとサービスもいいに違いない」とも考えられるかもしれませんが、一般論として、その可能性はありません(個別の弁護士や司法書士で、サービスに差があることは当然ですが)。
成年後見の申立てに関しては、司法書士も弁護士もやることはほぼ同じ(ハンコを押す場所が違うくらい・・・かな?)なので、「弁護士に頼む方が簡単」とか「司法書士に頼むほうが手間がかかる」といったことはありません。

逆に、「司法書士の方が安いから、司法書士にしよう」というように、安易に「費用面だけ」で司法書士を選ぶべきでもないと思います。
例えば、既に何百万円、何千万円の紛争に巻き込まれていて、後見人がつき次第裁判を行う・・・ような事案であれば、最初から弁護士に申立てから後見人就任まで頼んだほうがよいかもしれません。

その上で、我々司法書士は、成年後見制度の専門家であり、トップランナーでありますから、私は、弁護士以下の費用で弁護士以上のサービスを提供していると自負しています。

自負するのは自由ですよね。 


ついでにいうと、さらに費用が安いからという理由で、司法書士でも弁護士でもない者に申立手続きを依頼するのは、論外です。
無資格者が申立てに関与するのは、れっきとした犯罪です。
仮に何らかの資格者(税理士とか行政書士とか)であっても、司法書士・弁護士以外の資格は後見申立てと関係ありませんので注意しましょう。


というわけで、成年後見制度の利用を検討する方は、費用のことも含めて、一度、地元のリーガルサポートまで相談されることをお勧めします。(例によって宣伝)

では、今日はこの辺で。


成年後見シリーズ

第1回「成年後見制度入門
第2回「法定後見の類型
第3回「任意後見契約について
第4回「後見終了後の問題
第5回「後見人には誰がなるか?
第6回「成年後見制度を利用するには?
番外編「成年後見の申立てにかかる費用」 ←いまここ
番外編2「成年後見の申立てにかかる時間
(このほかにも、成年後見についての記事はありますので、右上の検索窓で検索してみてください) 

2013年8月8日木曜日

憲法の番人?内閣法制局長官

司法書士の岡川です。

内閣法制局長官の人事が決定し、それが、内閣法制局内部の人物ではなく、外務省出身者が起用されたことで話題になっています。

内閣法制局長官に小松氏…憲法議論の活発化狙い(読売新聞)
政府は8日午前の閣議で、小松一郎駐仏大使を内閣法制局長官に充て、長官を退任する山本庸幸氏を最高裁判事に起用する人事を決めた。
小松氏への発令は8日付。山本氏への発令は20日付。
小松氏は外務省出身で、内閣法制局の勤務経験がなく、いずれも内閣法制局長官として前例がない。小松氏は集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈見直しに前向きとされ、安倍首相は小松氏の起用で、見直しをめぐる議論を活発化させる狙いがある。
内閣法制局長官とは、内閣法制局の長です。
内閣法制局とは、内閣に置かれる機関で、内閣提出法案の審査して法令間の矛盾や憲法適合性をチェックしたり、行政機関の法解釈の統一を図ったり、国内外の法制について調査を行ったりするところです。

報道において、しばしば内閣法制局が「憲法の番人」と紹介されますが、内閣法制局は憲法の番人でもなんでもありません。


国家機関のうち、法令の解釈をするのは、別に司法機関である裁判所の専権事項ではなく、行政府や立法府も独自に行うことができます。
行政府の解釈を「行政解釈」、立法府の解釈を「立法解釈」といいます。

ただし、解釈に争いが生じた場合に、最終的に「これが正しい解釈である」という結論を示すことができる機関が裁判所であり、その中でも最後の最後の判断を下すのが最高裁判所です。

そして、裁判所は、立法府(国会)が作った法律や、行政府の行った処分が憲法に適合しているか審査しする権限を有しています。
日本国憲法は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」(81条)と規定しています。
この、最高裁判所及び下級裁判所が有している、法令等の憲法適合性を審査する権限を違憲審査権といいます。

このように、裁判所は、あらゆる国家作用が憲法に適合するかしないかを最終的に判断し、かつ、適合しない場合にそれを無効にする(なかったことにする)権限を有しているため、裁判所(その中でも特に最高裁判所)のことを、「憲法の番人」と呼ぶのです。

これは、中学校くらいで習いますよね。


さて、そういう役割をもつ裁判所のことを「憲法の番人」と呼ぶのですが、ひるがえって内閣法制局をみてみましょう。

内閣法制局は、あくまで行政府内部で、法令審査や内閣の統一見解の作成を行っている機関です。
どこかの省庁の官僚が作ってきた法案を閣議に出す前にチェックしたり、内閣に助言をしたりするのが仕事であって、それは、行政府内部では極めて重要な役割を担っていますが、裁判所と違って、対外的には、憲法上も法律上も何の権限もありません。

行政解釈というのも、最終的には内閣が決めることなので、いくら内閣法制局長官が集団的自衛権を認めても、内閣が認めなかったら、ただの一官僚の私見にすぎません。
内閣法制局の見解を、内閣がそのまま追認するからこそ、内閣法制局が解釈を牛耳っているかのように見えるわけです。
逆に、内閣法制局なんか無視して、閣議で「あ、そういえば、集団的自衛権は憲法で制限されてなかったわ。」とか決めてしまえば、それが正式な行政解釈になります。

しかも、行政解釈は、司法解釈によって覆される可能性もあります。

そうすると、内閣法制局には、「憲法の番人」たる要素は全くないわけです。


個人的には、法律の素人である政治家が勝手な解釈論を展開するより、政治家は方向性を決めて、後の細かい議論は優秀な官僚が集まる内閣法制局が考え抜いて解釈を示すほうがはるかにマシだと思うので、内閣法制局の役割自体は非常に重要だと思います。
が、別に「番人」じゃないですよ。彼らは。

では、今日はこの辺で。

2013年8月7日水曜日

公益法人

司法書士の岡川です。

ニュースなどで「公益法人」の話題が出ることがありますが、実は今の「公益法人」と数年前の「公益法人」は、別の種類の法人を指します。
続・社団法人と財団法人」でも触れましたが、数年前の公益法人制度改革以前には、民法に「社団法人」と「財団法人」の規定がありました。
この民法の規定に基づき、主務官庁の許可を得て設立される法人のことを「公益法人」といいました。

しかし、民法が改正され、法人に関する規定の大部分がごっそりと削除されたため、公益法人の設立に関する規定は民法に存在しません。
現行法における「公益法人」とは、民法に基づく法人ではなく、「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」に基づいて設立されて、「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」に基づいて公益認定を受けた法人(公益社団法人と公益財団法人)のことをいいます。

改正前の公益法人は場合は、「主務官庁の許可」によって設立されていたのですが、現行法では、設立自体は簡単にできます。
ただし、一般社団法人または一般財団法人として設立され、その後、一定の要件を満たせば、公益認定を受けて公益法人になることができる、という仕組みになっています。
公益認定を行うのは、複数の都道府県にまたがって活動するような法人については内閣総理大臣で、それ以外は都道府県知事です。

なお、法人税法等の法律で「公益法人等」と規定されていることがありますが、そこには公益法人以外の法人も含んでいます。
法律の条文で、「等」が付くか付かないかで全然意味が変わってきますので、条文を読むときは一字一句に気をつけて読みましょう。

では、今日はこの辺で。

2013年8月6日火曜日

車にはねられた人を放置する行為

司法書士の岡川です。

世間は、すっかり夏休みですね。
交通事故も多発する時期ですが、交通事故に遭遇したときの対応も大切です。

はねられ重体の中3遺棄容疑 仲間の2少年逮捕 相模原(産経新聞)
トラックにはねられ意識不明となった中学3年の男子生徒(15)を放置したとして、神奈川県警相模原署は5日、遺棄容疑で、いずれも相模原市中央区の会社員の少年(16)と高校1年の少年(15)を逮捕した。同署によると、3人は遊び仲間。無免許運転が発覚するのを恐れ、放置したとみられる。

3人でバイクを無免許運転していたら、そのうちの1人がトラックにはねられて重症。
その後、残りの2人がわざわざ中学校のプール脇まで運んで行って、そこに放置した、と。

えげつないことしますね。

親が自分の子供を放置して死なせたりした場合、保護責任者遺棄致死罪(刑法218条)で逮捕されたというニュースは時々見かけますが、保護責任者遺棄ではなく、単純遺棄罪(刑法217条)で逮捕というニュースは、珍しいように思います。

保護責任者遺棄罪が、親や保育士、交通事故の加害者のように、対象者を保護する義務を負う「保護責任者」について成立する犯罪であるのに対し、単純遺棄罪は、保護義務を負わない人について成立する犯罪です。
しかも、単純遺棄罪は、助けを必要とする人(要扶助者)をただ単にその場に放置しただけで成立する犯罪ではなく、要扶助者を移動させることで危険を生じさせた場合に成立します。

つまり、助けを必要とする人がいた場合に、その人を保護する法的責任を負っていない人が、わざわざその人を危険な場所(他者の助けが及ばないような場所)まで運んでいくと成立するわけです。
今回の少年ら(逮捕された2人)も、事故の加害者ではありませんので、法的には保護義務を負っていません。
なので、事故現場に放置して帰っても罪に問われることはありません(倫理的にはどうかと思いますが)。
しかし、わざわざ中学校のプール脇に運んだことで、遺棄罪が成立することになるわけです。

保護責任者であろうがなかろうが、交通事故を目撃したら、まずは通報。
そのまますぐ病院に連れていければ良いのですが、無理して運ぶよりは、救急車を呼んで応急措置をしておいた方がいいかもしれませんね。

刑法的には、実は、放置するより「けが人を病院以外のところに運ぶ」という行為の方が悪質です。
ましてや、人目に付かないところに連れていくのは最悪です。

覚えておきましょう。
まあ、常識的な行動をしてれば間違いないんですけどね。

では、今日はこの辺で。

2013年8月5日月曜日

続・社団法人と財団法人

司法書士の岡川です。

前回の続きです。

社団法人や財団法人というのは、「何の集まりか」に着目した法人の類型ですが、現在、「社団法人○○」とか「財団法人○○」という名前の法人も存在します。
当然といえば当然ですが、これらの法人のうち、(講学上の分類で)前者は社団法人に属し、後者は財団法人に属する法人です。

平成18年改正(公益法人制度改革)前の民法には、「社団法人」という名の社団法人や「財団法人」という名の財団法人に関する規定が存在しました。
そして、講学上の概念である社団法人や財団法人の中でも、「社団法人」や「財団法人」を名乗れる法人は、改正前の民法に基づいて設立された法人に限られます。
これら「民法に基づいて設立された法人」は、かつては「狭義の社団法人」「狭義の財団法人」というふうにいわれていました。

ところが、民法が改正され、「社団法人」という名の社団法人や「財団法人」という名の財団法人は存在しなくなりました。
ただし、今は新制度への移行時期なので、経過措置として、民法改正前に「社団法人」「財団法人」として設立された法人は、まだそのまま存続しています。
経過措置の間、存続しているこれらの法人を「特例民法法人」といい、現在、「社団法人○○」と名乗っている法人は「特例社団法人」、「財団法人○○」と名乗っている法人は「特例財団法人」といいます。

特例民法法人は、今年の11月までに、特例社団法人は一般社団法人か公益社団法人に、財団法人は一般財団法人か公益財団法人に移行するための手続きをとらなければいけません。
手続きがされなければ、そのまま解散することになります。
したがって、今年の12月には、「社団法人○○」「財団法人○○」という法人は、日本から無くなります。
今後は、「広義の社団法人」とか「狭義の社団法人」とかいう使い分けは無くなり、「社団法人」といえば専ら「法人格を付与された人の集合体」を表す語になります。

「(民法上の)『社団法人』じゃない社団法人」とかが無くなるので、分かりやすくていいですね。

では、今日はこの辺で。

法人シリーズ
法人入門
公法人と私法人
社団法人と財団法人

2013年8月3日土曜日

社団法人と財団法人

司法書士の岡川です。

法人の分類はいろいろあります。
前回は、「公法人」と「私法人」という分類方法を紹介しました。
今回は、「社団法人」と「財団法人」について。

法人は、自然人以外のものが権利義務の主体となる地位(法人格)を付与された存在です。
この、法人格を付与される「自然人以外のもの」には、2種類存在します。
それが、「社団」と「財団」です。

「社団」とは、「人の集まり」で、「財団」とは、「財産の集まり」をいいます。
ちなみに、社団と財団を合わせて、「何らかの集合体」のことを「団体」というのですが、一般的には、団体=社団(人の集まり)の意味で使われます。

この「社団」のうち法人格を付与されたのが「社団法人」で、「財団」のうち法人格を付与されたのが「財団法人」です。

この区別は講学上の概念であって、上記の定義に当てはまる法人が「社団法人」とか「財団法人」という種類の法人として実定法上定義されているわけではありません。
例えば、大阪司法書士会というのは、大阪に事務所を置く司法書士(←「人」です)の集まりですので、講学上の概念として「社団法人」ですが、司法書士会は司法書士法に規定された「司法書士会」という種類の法人です。
株式会社とか特定非営利活動法人とか司法書士法人とかも、それぞれが法人の種類ですが、いずれも構成員(株式会社なら「株主」のように、構成員は皆「人」です)の集まりなので、講学上の分類としては「社団法人」になります。

社団法人は人の集まりなので比較的イメージしやすいかもしれません。
社団法人の構成員を「社員」といいます。
日常用語で「社員」というと、会社勤めのサラリーマンを想像しがちですが、それは「会社員の略」であって、法律用語でいうところの「社員」ではありません。
あなたが株式会社に勤めているとしても、あなたはその株式会社の「社員」ではないかもしれません。

株式会社の構成員(社員)のことは、特に「株主」といいます。
株主とは、「株式会社の構成員」であって、単なる株券の持ち主ではないのです。
つまり、あなたがその会社の株主であれば、その会社の「社員」(法律用語)だということになります。

株式会社では株主総会があるように、社団法人には、社員総会等、構成員が何らかの形で意思決定する機関があります。
社団法人を実際に運営する理事等の役員は、社員総会等によって構成員が選ぶことになります。


これに対し、財団法人というのは、すこしイメージし難いかもしれませんが、誰か(1人とは限らない)が一定の目的のために、一定の財産(金銭に限らない)を拠出して作ります。
この拠出された財産は、出資者の個人財産から分離され、財産の集合体それ自体が「財団」であり、これに法人格を付与されると「財団法人」です。

もちろん、財産の集合体に人格があるといっても、それだけでは何の意味もない(札束が自ら何かの契約書にサインしたりするわけがない)ので、それを運用するために理事等の役員が選任されます。
日本では、一般財団法人や公益財団法人のほか、学校法人や宗教法人、社会福祉法人、更生保護法人等が講学上の財団法人といえます。
これらの財団法人は、人の構成員が存在せず、ただ、法人の資産があり、それを運用する理事等の役員が存在しているだけです。
では、理事等の役員は誰が選ぶのかというと、その選び方は定款で定めることになります。
多くは、理事や監事とは独立した「評議員会」といった機関が設置され、評議員会で選任されたりします(法律の規定により、評議員会が必置とされる法人もあります)。

ちなみに、医療法人には、社団法人(社団たる医療法人)と財団法人(財団たる医療法人)の両方があります。
珍しい立法例ですね。


ところで、現在「社団法人○○」とか「財団法人○○」と名乗っている法人もあります。

これについては、また次回。

では、今日はこの辺で。

「法人」シリーズ
法人入門
公法人と私法人

続きはこちら→続・社団法人と財団法人

2013年8月1日木曜日

公法人と私法人

司法書士の岡川です。

法人の分類の仕方はいろいろありますが、例えば、法人は「公法人」と「私法人」に分けることができます。

公法人とは、「公法上の法人」のことで、公的な事務を行うために設立される法人です。
一般的に、国や地方公共団体(都道府県や市町村)、独立行政法人、特殊法人(いわゆる公社とか公庫とか)といった法人が公法人に分類されます。

これに対して、法人内部の法律関係について公的部門からの統制を受けない法人、平たくいえば民間の法人を私法人(私法上の法人)といいます。
一般の株式会社やら学校法人、一般社団法人、特定非営利活動法人といった法人は、行政が政策上の理由で作るのではなく、私人が各々の目的のために設立するものであり、これらはだいたい私法人ということになります。

ただし、公法と私法の区別が相対化しているのと同じく、法人にも様々な種類が存在しており、必ずしも明確に区別できるわけではありません。
もっとも、条文上「公法人」と規定されている法令もそれほど多くないですし、また、公法人に適用される法律は我々一般市民にとっては、ほとんど関係ありませんので、あんまり厳密に考える必要もなかろうかと。

では、今日はこの辺で。

こちらも参照→法人入門
続きはこちら→社団法人と財団法人