2013年9月29日日曜日

「携帯電話電源オフ」の不合理さ

司法書士の岡川です。

電車内での「携帯電話電源オフ」を見直す動きが出ているようです。

ペースメーカー:電車の「携帯電話電源オフ」再検討の動き(毎日新聞)
心臓ペースメーカーを誤作動させる可能性があるとして、電車の優先座席周辺で呼び掛けられている「携帯電話電源オフ」を再検討する動きが電鉄会社に出始めている。きっかけは今年1月、総務省が心臓ペースメーカーから携帯電話を離すべき距離について、規制を緩和する指針を出したことだ。
(中略)
だが、強い電波が出た「第2世代」と呼ばれる携帯電話が使用停止となった昨年、総務省が再度調査したところ、影響を与える距離は最大で3センチだった。このため今年1月、総務省は余裕をみて指針を「15センチ程度離す」と改訂した。
この記事によると、以前の携帯電話では強い電波が出て、ペースメーカーへ影響を及ぼす可能性があったようですが、それも、最も影響が出やすい環境下での実験で、15cmまで近づけたときに影響が出たので、実際に電車の中で誤作動が起こった事例が報告されたという話は聞いたことがありません。

基準の根拠となった実験が行われたのは15年以上前の携帯電話の話。
15年前といえば、2~3割くらいの人しか持っておらず、ようやくメールサービスが始まった頃。
もちろん、ネットにつなぐこともできなかった頃の話です。

その頃の基準で、今まで「ペースメーカーの誤作動が~」とか言ってたわけですね。


で、現在使われている機器で実験したところ、最大でも3cmまで近づけなければ影響がなかったようです。
これも、「3cmまで近づければ影響が出る」というものではなく、詳しくは次のような実験結果です。

・ペースメーカーを最高感度になるよう設定
・携帯電話端末からの電波で影響が出たのは、最も離れた位置でも1cm未満
・試験数の割合では、影響が出たのは3.8%
・特定の角度で近づけた場合のみ影響が出た
・アンテナから電波を出す実験では、最大で3cmの位置で影響が出た
・上記の「影響」は、「めまい等が起こるが、離れると回復する」程度

というようなものです。
3cmというのは、携帯電話端末から電波を発射した実験結果ではありません。

詳細な資料はこちら→「電波の医療機器等への影響に関する調査研究報告書」(PDF)。

要するに、携帯電話の電波は、「特定の機種のペースメーカーで、感度を最大限に高め、特定の角度で、物理的に近づけられる最大限に押し付け続ければ、ようやくめまいを発生させられる」程度の影響があるらしいです。
はっきり言って、故意に殺しにかかっても殺せない程度の影響しか与えられないわけですね。

というか、ペースメーカーは体内に埋め込まれているのですから、1cm未満の距離まで近づけるなんて、どんだけ頑張っても無理ですよね。
何らかの方法で肋骨突き破って携帯電話端末を体内にめり込ませれば、どうにか誤作動を起こさせることも可能ですが、電車内でそんなことをやっている狂人は見たことないです。


そんなわけで、「携帯電話電源オフ」というのが、いかに不合理なルールかわかります。
総務省の決めた、余裕をみて15cmっていう指針も、余裕持たせすぎです。

「携帯電話電源オフ」なんていう無駄なルールは、即刻撤廃すべきでしょう。


ところで、
ペースメーカー使用者らでつくる日本ペースメーカー友の会の日高進副会長は「影響はないと会員に周知をしているが、周知は行き届いていないし、古くからの装着者の不安を拭いきれない。電源オフは継続してほしい」
と言っています。
これまた非常に理不尽な意見です。

自分たちも影響しないとわかっていながら、不安だから規制してくれ、というものです。
「周知が行き届いていない」なら、周知させればよい。
というか、「電源オフ」というルールの存在が、逆に不安を煽っているのではないでしょうか。


人の行動は、他人に迷惑をかけない限り、自由であるべきです。

携帯電話を使う人は、上記の報告でもわかるとおり、誰にも(ペースメーカー利用者にも)迷惑をかけません。
そうである以上、それは個人の自由として認められるべきです(大きな声で通話するとかは別として)。

自由を制限するのであれば、それ相応の理由が必要ですが、携帯電話の電波に危険がない以上は、それを禁止する合理的な理由は存在しません。


こういう「不合理なルール」は、どんどん無くしていくべきですね。

では、今日はこの辺で。

2013年9月28日土曜日

法律一発ネタ(その2)

司法書士の岡川です。

ここで川柳をひとつ。

お題「相続」
相続は 死亡によって 開始する

(詠み人 民法起草者)

【解説】
民法882条の条文は、見事に「五七五」になっている非常に美しい条項なのである。
(有名な小ネタ)


では、今日はこれだけ。

2013年9月27日金曜日

体罰教師の罪の軽さ

司法書士の岡川です。

桜宮高等学校の元バスケ部顧問が生徒に体罰を加え、その生徒が自殺をした問題で、元顧問が暴行罪に問われていましたが、今日、懲役1年執行猶予3年の有罪判決が言い渡されました。

桜宮高バスケ部元顧問に猶予判決 「体罰効果的と妄信」 大阪地裁(産経新聞)
大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が体罰を受け自殺した事件で、傷害と暴行の罪で在宅起訴された元同校教諭で同部顧問だった小村基(はじめ)被告(47)=懲戒免職=の判決公判が26日、大阪地裁で開かれた。小野寺健太裁判官は「体罰が効果的で許される指導方法と妄信し、暴力的指導を続けた責任は軽視できない」として懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)を言い渡した。


刑法208条に規定された「暴行罪」は、仮に相手に対して直接的な打撃を加えなかったとしても成立する犯罪類型なので、殴ったのに暴行罪が成立しないということは、まずあり得ません(示談が成立しているなどで「起訴しない」ということはあり得ますが)。

そして、「体罰」とは、動機や目的がどうあれ、明確に暴力を加えているわけですから、刑法上「暴行」にあたる行為であることには違いありません。
体罰を加えたという事実があれば、(一般論としては正当行為として違法性が阻却される可能性が全く無いとはいえないものの)暴行罪が成立することは疑いありません。
それで起訴されれば、まあ確実に有罪になりますね。

ところで、判決のニュースを聞いて「人が1人死んでて懲役1年(しかも執行猶予)は軽すぎないか?」という感想をもたれた方もいるのではないでしょうか。

裁判所も「生徒は肉体的な苦痛に加え、相当な精神的苦痛を被った」と指摘しており、精神的苦痛で自殺にまで追いやったのだから、感覚的には、もっと厳しい判決が出てもよさそうです。


しかし、そもそも暴行罪という犯罪は、「精神的なもの」を保護法益として予定していません。
あくまでも、人の「身体」という法益に対する侵害行為を犯罪として規定しているのです。

したがって、元顧問が刑事責任を問われているのも、基本的に生徒を殴った身体的な痛みに対する罪責なわけです。
暴行罪ということは、生徒は怪我をしていないということであり(怪我をしていれば、暴行罪ではなく傷害罪になります)、その意味でいえば、「(類型的には)比較的軽い犯罪行為をしたにすぎない」といえます(暴行罪は、最高でも懲役2年です)。

生徒が死んだのは、分析的にみれば、「生徒の自殺行為」が直接の原因であり、例えば「元顧問が殴ったから脳挫傷で死んだ」というわけではありません。

そうすると、「体罰を加えた後のこと」である生徒の自殺に関しては、暴行罪に問われている元顧問の量刑に対して決定的に影響力を与えるものでもないことになります。

乱暴な言い方をすれば、刑法上「暴力は暴力」「自殺は自殺」なのです。
もちろん、全く無関係とは言えないので、量刑に多少は影響しますけれども、大幅に跳ね上がることはありません(跳ね上がっても上限は懲役2年ですし)。

「だったらホラ、暴行罪じゃなくて、何か他にないの?」と思われるかもしれませんが、現行刑法では、「精神的なもの」を直接保護する犯罪は存在しません。
客観的に認定が難しいということもあり、犯罪として規定するのが難しい(また、実際に適用するのも難しい)という事情もあるのでしょう。
刑法というのは、悪い(違法な)行為のごく一部だけをピックアップして「犯罪」として定めているものなのです。

自殺との関係でいえば、刑法上も、自殺幇助とか自殺教唆という犯罪はあるのですが、一般的に「精神的に追い詰めて自殺させる罪」はありません。
追い詰め方にもよっては、自殺について殺人罪とか傷害致死罪等に問われる可能性もありますが、そう簡単に認められないでしょう。

そして、刑法に規定がない以上は、それに対する刑事責任を問うことは絶対にできません。
これは、我々国民の自由を守るための大原則です(→「罪刑法定主義」)。


こういった理由のため、元顧問の罪は、引き起こした結果(生徒の死)と比較すれば著しく軽いものとなるのです。

もちろん、犯罪じゃない(というより、精神的な被害とそれに起因する自殺まで含めて刑事責任を問えない)というだけの話で、民事上の不法行為責任を問うことは可能です。
社会的制裁も免れません。


この事件をきっかけに、体罰に対する世間の見方は非常に厳しくなりました。
線引きの問題とか、いろいろ困難なことは残っていますが、少なくとも、スポーツの指導で殴ったり蹴ったりする行為は、許容する余地は無いと思われます。

悪しき慣習を断ち切って、くだらない精神論と根性論を日本から一掃してもらいたいものです。

では、今日はこの辺で。

2013年9月24日火曜日

公信の原則

司法書士の岡川です。

前回、公示の原則についてお話ししました。
今日は、それと似た「公信の原則」についてお話しします。

民法の初学者にとって「公示の原則と公信の原則の違いがわからない」ということもよくあるようですが、両者の「違い」というのは、それほど難しいことではありません。
名前は似ていても、内容は比べてみれば全然違います。

公示の原則とは「公示をしておかなければ、自分の権利を完全に主張することができない」という原則でした。
これを第三者視点でいえば、「公示のないところには、権利もないと考えられる」ということになります。
つまり、AからBへ権利が移転していても、登記がBに移転していなければ、第三者Cは「権利者がBという公示がされていないから、Bは権利者ではないんだな」と判断できるということになります。
そのためCは、その土地をAから買ったとしても、そのことで、Bから文句を言われることはありません(なぜなら、Bの権利は公示されていないから)。

公示の原則の下では、「公示をしなければ、権利を主張できない」というにすぎませんので、仮に、内容が虚偽の公示(例えば、勝手に他人の土地を自分名義にする)をしたところで、あなたはその土地を有効に売ることはできません。
これまた第三者視点でいえば、AからDへの権利移転がないのに、登記だけAからDに移転されていた場合(公示内容が虚偽)、その登記を信頼した第三者EがDから土地を購入したとしても、Cは正当な権利者になることはありません。
「公示がなければ権利を主張できない」けれども、それ以上に「公示があれば権利を主張できる」というものではないからです。

これに対し、「公信の原則」とは、「公示があれば、それを信頼して取引した人は、真の権利者と取引した場合と同じように保護する」という原則です。
つまり、公信の原則が採用された場合、上のADEの関係で、無権利者Dから土地を買ったEが、正当な権利者と認められることになります。
このような効力を「公信力」といいますが、日本では登記に公信力はありません(公信の原則が採用されていない)。
したがって、たとえ無権利者が登記名義人になっていても、原則としてその人から有効に土地の所有権を取得することはできません。


まとめると、土地を買おうとする人が、「土地の登記名義がAさんでないなら、Aさんから権利主張されることはない」のが公示の原則で、「土地の登記名義がAさんなら、(仮にAさんが権利者でなかったとしても)Aさんから土地を買えば正当に権利主張できる」のが公信の原則です。
そして、日本の不動産登記制度では、公示の原則は妥当しますが、公信の原則は妥当しません。


なお、言うまでもありませんが、虚偽の登記をする行為は犯罪(刑法の公正証書原本不実記載罪)ですので、絶対にやめましょう。

では、今日はこの辺で。

登記の基礎知識シリーズ
登記とは何か
登記はどこでするのか
登記簿には何が載っているか?
公示の原則
・公信の原則 ← いまここ
権利書の話
登記識別情報の話

2013年9月20日金曜日

公示の原則

公示の原則

司法書士の岡川です。

法学部の民法の授業では、必ず出てくる話ですが、「登記の効力」はどういうものか、という論点があります。

少し専門的になるかもしれませんが、あなたがもし不動産を持っているなら、あるいは、不動産を購入しようとしているなら、知っていて損はない話です。
また、不動産を持っていなくても、民法が試験科目になっている試験を受けようとしているなら、知っていなければ話にならないくらい大事なことなので、再確認しておきましょう。


前回までに書いた通り、登記というのは、権利関係を公示するものです。

では、何のために公示するのでしょうか?
ここでは、不動産登記、すなわち不動産の権利関係の公示制度について書きます。


単純に、「不動産を買っても私の名義に書き換えないと、私の物にならないから」と考えがちですが、実は、そういうわけではありません。
不動産の「所有権の移転」と、「登記の移転(名義書き換え)」は全く別なので、もしあなたが契約(当事者間の合意)により不動産を買ったなら、登記をしなくても(名義を書き換えなくても)その不動産はあなたの物です。
したがって、例えば、あなたが買った不動産に、売主がいつまでも居座り続けて出ていかないなら、あなたは所有権者として売主を追い出すことも可能です。

日本では、不動産の売買(贈与でも同じ)の「効力が発生するため」には、契約さえすればそれで十分であり、別に登記をする必要はないのです。
この点、ドイツ等では登記が不動産売買の効力要件(つまり、登記しなければ売買契約が効力を生じない)となっているのとは異なります。

そういう制度なので、「不動産の所有者」というのは「不動産の名義人」とは必ずしも一致していなくても構いませんし、一致していないことも珍しくありません。


「じゃあ、何か?登記は、司法書士が趣味でやってんのか?」というと、もちろん、登記はただの飾りでも司法書士の趣味でもありません。


確かに、日本では、登記をしなくても不動産の所有権は問題なく移転します。
契約書があれば、そのことを証明することもできます。

しかし、登記をしなければ、その所有権を「第三者に対して主張」することができません。
民法177条は、不動産の物権変動について、「登記によって公示がされなければ、第三者に権利を主張できない」という形(対抗要件主義)で、権利者に対して公示を要求しています。

つまり、売買契約の当事者同士(売主と買主)では、登記なんか必要ないのですが、「第三者」に対して、「私が買いましたー。私が今の所有者ですよー」と言いたければ、あなたの名前を登記簿に載せて、世間一般に知らしめる(公示する)ことが必要なのです。

登記をドイツのように効力要件としたり、日本のように第三者対抗要件としたり、法制度としては色々ありますが、いずれにせよ権利移転を目に見える形(登記)で公示しなければならない(公示しないと何らかの不利益がある)とされています。

このように、自己の権利を完全に主張するために公示を要求する原則を、「公示の原則」といいます。


例えば、売主があなたに土地を売り、あなたが「これでこの土地は私の物だ!」と油断しきっている間に、事情を知らない別の第三者にその土地を売る(これを「二重譲渡」といいます)ということも考えられます。

売主との関係では、あなたはもちろん「何してくれとんねん!」と文句を言う(だけでなく、損害賠償請求をする)ことはできますが、だからと言って、第三者に「あ、その土地私が先に買った物ですから、返してね」と言っても通用しません。
第三者は、あなたに返す必要はないのです。
この場合、さっさと登記を移転しなかったあなたが悪い(もちろん、売主はもっと悪い)。


そういうわけなので、日本で不動産の売買が行われるときは、ほぼ確実に司法書士が取引現場に立ち会います。
司法書士は、当事者が持っている登記に必要な書類を全部預かり、契約の成立と売買代金の支払いを確認したら、その足で法務局(登記所)に向かって登記申請をする、という慣行ができています。

「契約が成立して、代金も支払われたけど、登記名義が移転していない」という状態にならないようにするわけですね。


我々司法書士は、あなたが全世界に向けて、「この土地は私の土地だー!」と声高らかに主張する(公示する)ための手続きを代理しております。
よろしくお願いします。


では、今日はこの辺で。

登記の基礎知識シリーズ
登記とは何か
登記はどこでするのか
登記簿には何が載っているか?
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公信の原則
権利書の話
登記識別情報の話

2013年9月19日木曜日

登記簿には何が載っているか?

司法書士の岡川です。

これまでに、登記の基本的な説明をしました(→「登記とは何か」「登記はどこでするのか」)が、今回は、それぞれの登記について、何が載っているのかをご紹介します。


まず、不動産登記ですが、不動産登記簿には、不動産を特定する情報(表示登記)と、権利変動についての情報(権利登記)が記録されています。

権利変動の最も重要なのが所有権です。
つまり、この不動産の現在の所有者(持ち主)は誰か、という情報です。
登記簿の所有者を示す欄(これを「甲区」といいます)に載っている人の名前が、いわゆる不動産の「名義」というやつです。
不動産を相続した場合や売却した場合に行われる「不動産の名義書換え」というのは、この所有者を示す欄の情報を、次の所有者(相続人や買主)に変更することをいいます。
実際には、名義人を「書き換える」のではなく、次の欄に新らしい名義人を追加する「所有権移転登記」という登記をするのですが、「移転登記」というより「書き換え」といったほうがわかり易いので、一般の方に対しては「名義を書き換える」とか「名義人を変更する」と説明することもよくあります。
他方、司法書士同士では「書き換える」とか「変更する」といったことはあまり言いません。
なぜなら、「変更登記」というのは「移転登記」とはまた別にあるからです(実務家同士では、正確に表現する必要があるわけです)。

所有権の他にも、抵当権(いわゆる「担保」です)とか地上権(土地の利用権です)といった、その不動産に関する様々な権利関係が登記簿上に載っています。


次に商業登記。
商業登記の中にもいろいろあるのですが、典型的には、会社の登記ですね。
その会社がどういう会社なのか、ということが商業登記簿に書かれています。

具体的には、会社の本店の所在地はどこか、どういう組織になっているのか(取締役会は設置されているのか、監査役はいるのかといったこと)、役員は誰か、代表権を持っている人は誰か、資本金はいくらか、といった情報です。
個人に置き換えると、「戸籍と住民票を足したようなもの」だと考えるといいかもしれませんね。

実は、会社は、設立登記をして初めて成立します。
不動産の売買は、別に登記をしなくても売買自体は成立します(ただ名義が書き換わってないので危なっかしいだけ)が、商業登記については、登記が必須になっています。
また、役員が変わったりしたら、役員変更登記を必ずしないといけません。
会社の実態を公示して、取引相手を保護するためのものですから、常に最新の情報に更新する義務があるのです。
この登記義務に違反すると、過料に処される場合があるので注意しましょう。


他にも立木登記簿とか船舶登記簿とかいろいろあるのですが、マニアックすぎるので省略。

ところで、最近の法律では、「登記簿」ではなく「登記ファイル」という語が使われます
例えば後見登記については、登記簿ではなく登記ファイルとなっています。

昔は本当に「登記簿」というバインダーに閉じられた紙製の冊子が使われていたのですが、今はもうそんなアナログな物は使われていないので、新しい法律に「簿」という文言を使うはクールじゃなかったんでしょう。
後見登記では、後見等登記ファイルに被後見人の情報と後見人の情報(氏名と住所くらいですが)が記録されています。
保佐人や補助人の場合は、権限の範囲も登記されています。
前にも書きましたが、不動産登記や商業登記と違い、後見登記の記録は、一般には公開されていません。
債権譲渡登記と動産譲渡登記についても、登記ファイルに、譲渡の対象やら当事者やらが登記されています。

まあ、不動産登記と商業登記がどんなものかくらい知っていれば、それ以外の登記についえては「その他いろいろ」くらいの知識でも、大抵の人にとっては生きていくうえで特に何も損しないと思います(何か複雑な財産関係に巻き込まれた人を除く)。

では、今日はこの辺で。

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2013年9月17日火曜日

成人した子の犯罪(容疑)と親の責任

司法書士の岡川です。

先週・・・というより、先々週から体調を崩してまして、さらに先週末あたりから酷くなり、ブログを書いてる余裕もありませんでした。
書くネタはあったんですけどね。


さて、みのもんた氏が朝の情報番組を出演自粛した一方で、ラジオ番組の出演は継続するということになったようで、これに対して賛否両論が巻き起こっているようです。

朝の情報番組については、犯罪報道なども扱うわけで、公平なコメントができないとか、そもそも息子の容疑についてどう扱うのかという問題もあり、出演自粛は妥当な判断でしょう。

他方、賛否両論のラジオ番組の出演継続ですが、私は、これをダメという理由はないと思います。


みのもんた氏の出演するラジオ番組は、娯楽番組だそうです。
「息子が犯罪の容疑で捕まったから」という事情があったとしても、娯楽番組を自粛しなきゃならない理由が、私にはよくわからない。
まあ、「みのもんた氏自身の疑惑」についてはひとまず置いときますが。

犯罪をした(という容疑がかけられている)のは、息子であって、みのもんた氏自身ではありません。
息子の方も、もう30を過ぎた立派な大人であり、その責任は自分で負うべき年齢です。
仮に容疑が事実なら、刑罰を受けるのは息子であり、民事的に損害を賠償するのも息子です。


もちろん、完全に「30過ぎの息子は別人格だから私には関係ない」と突き放すわけにもいかないでしょうし、道義的に、親として被害者に(あるいは世間を騒がせたなら、世間に対して)謝罪すること等は求められることもあるでしょう。
なんせ、その人を育てた(あるいは、きちんと育てなかった)のは親であるみのもんた氏ですからね。
ここは、法的責任と、道義的責任は別に考える必要があります。


ただ、だからといって、「みのもんた氏が仕事を自粛する」という意味がよくわかりません。

例えば、政治家のような公人であれば、「自分の息子が犯罪者で、天下国家を語れるのか!」とかいう批判が出たり、組織の偉い人なら、部下に対して示しがつかないとか、いろんな事情で仕事を自粛することもありそうです。

ただ、みのもんた氏は、フリーのアナウンサーだかタレントだか知りませんが、 所詮はただ有名なだけの私人に過ぎない。

その彼が、何のために自粛して、自粛したら何になるのか。



「責任をとって自粛」というと、何となくわかるような気もしますが、よくよく考えると、何だかよくわからない論理のように思います。

実際のところ、自粛すべき理由って何なんでしょうね?




まあ、正直なところ「どっちでもいい」ってのが本音ですが。


では、今日はこの辺で。

2013年9月12日木曜日

登記はどこでするのか

司法書士の岡川です。

「登記」制度の基礎知識第2弾です。
前回は、登記とは何かを説明しました。
登記とは、法律で定められた一定の事項を公示しておく制度です。

民法を学んだ方は、登記という制度自体は知っていたかと思います。
例えば、「不動産登記」が出てくるのは、民法177条あたりですね。
大学の法学部などでは、比較的早い段階(1年生くらい)で習う内容です。

今日は、その登記が実際にどこでされるのか、という話です。

登記は「登記所」でされます。
そのまんまですね。

登記簿は管轄の「登記所」におかれています。
が、実務上、まず「登記所」とは言いません。
なぜなら、「登記所」という名の役所は存在しないからです。

現在の日本における「登記所」は、「法務局若しくは地方法務局若しくはこれらの支局又はこれらの出張所」のことです。
面倒なので、地方法務局のことも支局のことも出張所のこともひっくるめて「法務局」といったりします(厳密には違うのですが)。
なので、簡単にいえば「登記所」とは、法務局のことです。
というわけで、登記を申請したり登記簿謄本(登記事項証明書)を取得したりする場合は、法務局に行けばよいということになります。

この「登記所」ですが、実は、かつては登記は裁判所(当初は治安裁判所、裁判所構成法施行後は区裁判所)の所掌事務でした。
法務局が登記所になったのは、戦後の話です。

「"司法"書士が、なんで行政機関である法務局の登記を専門としているの?」というハイレベルな疑問を持っていた方(いるのか?)、その答えは、「もともと登記は司法機関の手続きだった」ということなのですね。

登記の基礎知識シリーズはまだ続きます。

では、今日はこの辺で。

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登記とは何か
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登記簿には何が載っているか?
公示の原則
公信の原則
権利書の話
登記識別情報の話

2013年9月11日水曜日

他人のカードを盗んで窃盗「未遂」?

司法書士の岡川です。

某フリーアナウンサーの次男で某テレビ局の社員である人物が窃盗未遂容疑で逮捕されました。

みのもんたさんの次男、日テレ社員を逮捕 窃盗未遂容疑(産経新聞)
港区内のコンビニエンスストアのATM(現金自動預払機)で、40代の男性会社員名義のカードを使って現金を引き出そうとしたとしている。暗証番号が分からず、現金を引き出せなかったという。
(中略)
現場から数十メートル離れたコンビニの防犯カメラに現金を引き出そうとする御法川容疑者が映っており、同課は御法川容疑者が男性からかばんを盗んだとみている。かばんは現場近くに捨てられていたという。


あれ?窃盗じゃないの?窃盗未遂なの?
と、思ったあなたは、なかなか細かいですね。

今回の逮捕容疑は、ATMから他人の現金を引き出そうとした、というATMの管理者に対する現金の窃盗罪です。
これが、実際に現金を引き出せなかったから「未遂」とされるわけです。
他方で、男性会社員からカードを盗んだのであれば、それはそれで、男性会社員との関係でカードの窃盗罪が成立します。
こちらは既にカードを奪っているので、「既遂」ですね。

とりあえず、現金を引き出そうとした行為はばっちり防犯カメラに映っていたので、それについての窃盗未遂容疑で逮捕となったわけですが、カードを盗んだことについても証拠が出たら窃盗(既遂)容疑で再逮捕されるかもしれないですね。


容疑者は容疑を否認していますので、もしかしたら、「見ず知らずの男性会社員から現金を引き出してくるよう頼まれてコンビニに引き出しに行ったが、会社員はそれを酔っぱらって忘れていただけ」かもしれない(→「推定無罪」)ですが、仮に容疑が事実であれば、食うには困ってないであろう日テレ社員がこういう窃盗行為をやるなんて、規範意識が低いとしかいようがありませんなあ。

そういえば、お父様のほうは、不自然な「1か月ぶり2度目の夏休み」に入ったとして話題になっていましたが、この件でいろいろあったのかもしれないですね。

では、今日はこの辺で。

2013年9月10日火曜日

プロボクサーに正当防衛は成立しないのか?

司法書士の岡川です。

俗に、「空手の有段者とかプロボクサーは、肉体自体が凶器になるから、正当防衛が成立しない」といった話がありますが、これに対してボクサーが怒りを綴っています。

ただ、根本的に誤解をしておられるようです。

長谷川穂積、ボクサーへの法律に怒り「プロだから殴ってだめは納得いかない」(ORYCONSTYLE)
ボクシング元世界2階級王者の長谷川穂積が、9日付の自身のブログで、プロボクサーであれば状況にかかわらず法律によって手が出せないことに怒りを覚えている。
「プロボクサーは凶器だから手を出したらダメて法律はなんのため? 打ち所が悪くて事故になるようなことがあっても、プロボクサーだから手を出すなてこと?」
「柔道や空手はプロがないからよくて、ボクサーはプロの肩書きがあるから出すなて? 1対10でも凶器だからだめてことか? じゃプロボクサー同士なら町でケンカしてもいいてことか? そんな法律おかしいわ」
「町で人を殴るためにプロになるためじゃないけど、プロになっても自分や仲間や大切な人を守るときも生きてたらあると思う」

そもそも、「プロボクサーは凶器だから手を出したらダメ」というような法律はありません。
「プロボクサーであれば状況にかかわらず法律によって手が出せない」という前提が誤りです。

確かに、正当防衛が成立するかどうかの判断において、プロボクサーであることも「ひとつの判断要素」として考慮されるでしょう。
正当防衛というのは、反撃が必要最小限でなければならず、不必要に過剰な反撃行為は許されません。
場合によっては人を殺しても罪に問われない(正当化される)制度なので、それ相応の理由(やむを得ない反撃であること)が必要なのです。

そうすると、一般人と比べて格闘技術も攻撃力も高いプロボクサーは、反撃行為が過剰になる可能性が高いため、正当防衛が成立しにくいとはいえます。
しかし、「プロボクサーでないこと」は、正当防衛の絶対的な要件ではなく、あくまでも「ひとつの判断要素」です。
「プロボクサーは自身の拳が凶器だから」というのも一種の比喩であって、「凶器とみなす」という法律があるわけではありません。
それに、たとえ本当に凶器をもっていたとしても、要件さえ満たせば正当防衛が成立することはありえます。

あくまでも程度問題であり、「素手で反撃するより、包丁で反撃したほうが正当防衛が認められにくい」といったのと同じレベルの問題なのです。
場合によっては、包丁で反撃しても許されるのと同様に、状況次第でプロボクサーにも正当防衛は認められます。

そういうわけなので、「ボクサーはプロの肩書きがあるから出すな」というような決まりはありませんし、逆に「柔道や空手はプロがないからよい」というものでもありません。
誰から聞いたのか分かりませんが、プロかプロでないかは、全く関係ありません。
柔道や空手であっても、プロボクサーとほぼ同じことがいえます。

「1対10でも凶器だからだめ」ということもありません。
あくまでもケースバイケースで、どのような反撃をしたか、によります。


「そんな法律おかしいわ」と書かれているようですが、おっしゃるとおり、そんな法律おかしいですね。
そんな法律が本当にあれば・・・の話ですけど。

なお、正当防衛は例外的に違法性を否定するものです。
プロだろうがアマチュアだろうが、またボクサーだろうが公務員だろうが、簡単に正当防衛が成立することはありません。
逃げられる状況なら逃げる、というのが、犯罪成立を免れる最も確実な方法だということを覚えておきましょう。

では、今日はこの辺で。

2013年9月9日月曜日

登記とは何か

司法書士の岡川です。

「司法書士ってどんな仕事?」と聞かれると一言で答えるのが難しいですが、「登記と裁判手続の専門家」というのが、最も簡潔かつ正解に近い答えかもしれません。
司法書士の仕事については、おいおい紹介していきますが、その前に「登記」のお話です。

皆さん、「登記」ってご存知ですか?
民法を学んだことのある方は、ご存知かもしれません。
では、その「登記」ってどこでされているか知っていますか?

「登記」というのは、法律で定められた一定の情報を公簿に記載して、公示する制度をいいます。
法律で定められた登記すべき情報を「登記事項」といい、この登記事項が記載された公簿を「登記簿」といいます。

登記には、主なものとして不動産登記と商業登記があります。
本当は他にもいろんな登記(例えば、債権譲渡登記とか成年後見登記とか)があるのですが、現在の登記で大多数を占めているのがこの2つです。
不動産登記制度の存在する日本では、不動産(土地と建物)に関する一定の情報は、公示されているわけです。

公示というのは、読んで字のごとく、一般に情報を開示することです。
ということは、手数料さえ払えば、全国津々浦々の登記簿の中身を見ることができます。
少々悪趣味ですが、隣の家の登記記録を見て、(抵当権が設定されていれば)どこでローンを組んだかを知ることもできますし、住所さえわかれば、芸能人の家の権利関係を調べることだって可能です。
これは、登記というのが、税金の申告のように、行政機関のために提供するものではなく、取引関係に入ろうとする第三者が登記簿に記載された権利関係を調べるための制度だからです。
不動産登記であれば、「現在の所有者は誰か」とか、商業登記であれば「この会社の代表取締役は誰か」といったことです。
なので、これらは個人情報として行政が厳重に保護するのではなく、広く一般に開放されていなければ意味がないわけです。

ただし、成年後見登記は少々特殊です。
後見人等がついた場合、昔の禁治産者制度の下では、戸籍簿に記載されていたのですが、これはプライバシー上問題があるということで、今では後見が開始しても戸籍はいじられません。
その代わりに、後見登記ファイルに記録されることになります。
プライバシーに配慮して制度改正したわけですから、この成年後見登記簿は、原則非公開となっています。
したがって、不動産登記のように、簡単に「隣の人に後見開始してないかな」と、興味本位で調べることはできません。
成年後見登記でも登記事項証明書は発行されますが、これは主に後見人が後見事務を遂行するため(私が後見人ですよ、と証明するため)使うものです。
そういうわけで、第三者が後見登記の登記事項証明書を取得するのは、簡単ではありません(実は、後見人が正当に取得する場合であっても若干面倒なんですが、プライバシー保護のため仕方ないですね)。


なお、登記簿は、現在ではほぼコンピュータ化されていますので、登記簿を見たいと思っても、役所の中にあるモニターをのぞき込んで閲覧するわけにはいきません。
そこで、実際には「登記事項証明書」というものを発行してもらい、そこに記載された情報を見るわけです。
この登記事項証明書が、いわゆる「登記簿謄本」というやつですね。

余談ですが、「登記簿謄本」とは、登記簿がコンピュータ化される前、紙の「登記簿」というファイルがあった時代に、それをコピーしたもの(謄本)を指す用語ですが、わかり易いので今でも登記事項証明書のことを「謄本」ということが多いです。

次回は、その登記が実際どこで行われているかについて書きます。

では、今日はこの辺で。

登記の基礎知識シリーズ
・登記とは何か ← いまここ
登記はどこでするのか
登記簿には何が載っているか?
公示の原則
公信の原則
権利書の話
登記識別情報の話

2013年9月7日土曜日

嫡出子(婚外子)差別違憲決定に対する批判の誤り

司法書士の岡川です

嫡出子と非嫡出子(婚外子)の相続分に差を設ける現行民法の規定が違憲だとする最高裁決定が出た件について、色々な意見が出ています。

そもそも、「法律婚を守る」という(それ自体はひとつの方向性としてあり得る)目的の制度ですから、現行民法の規定を是とする人がいることは理解できます。
特に、当事者の立場としてみれば、嫡出子側からすれば、この違憲決定(そして、今後の民法改正)によって自らの相続分が減らされるわけですから、納得できないのは当然でしょう。

差別だ、平等だ、人権だ、自由だ、といっても、それらは結局のところどういう立場に立つかによっても、時代や社会の変化によっても変わってくる相対的なものなのです。
個別の事案では、この民法の規定により救われている人が確実に存在するのも事実でしょう。
「絶対的な正義」というのもありえないのと同じく、「この規定が絶対的に間違っている」ようなこともありません。
ただし、民法の上には、日本国憲法(その中の特に14条)があり、法の下の平等が認められた日本社会において、「嫡出子でないから」という理由だけで嫡出子と一律に差を設けることは、その憲法の理念に照らしてなお説得力をもつほどの合理性は無い、ということだと思います。

さて、そういうわけなので、反対意見が出ること自体は決しておかしくないと思いますし、今回の決定を批判する人が直ちに差別主義者だとかも思いません。
しかし、前提として誤った認識で批判している意見も出回っており、それは違うだろう、と思うわけです。

前置きが長くなりましたが、今日はこういう記事を取り上げてみます。

「婚外子差別は違憲」にネトウヨが猛反発 日本人と浮気した外国人たちに遺産を狙われる?(J-CAST)
結婚していない男女の間に生まれた子(婚外子)の財産相続が、結婚している親の子(婚内子)の半分というのは違憲だと2013年9月4日に最高裁が判断を下したところネットでは、「婚姻制度と日本社会が破壊されるっ!」といった呼びかけが起こり、その理由が書かれた記事が「拡散希望」としてツイッターなどで広がった。


元ネタは、こちらの記事でしょうか。

【緊急凸依頼・文例アリ】婚外子と嫡出子の遺産相続が平等になると、婚姻制度と日本社会が破壊されるっ!
もし、ご主人が亡くなられて悲嘆にくれているときに突然
「ご主人の子供です。平等だから財産半分よこせ」と言われたらどうしますか?
裏切られていただけでもショックなのに。

この批判はおかしいですね。

もし、あなたが妻だとして、あなたと「ご主人」の間に子がいなかったとしましょう。
そして、他に非嫡出子(婚外子)がいる、という事案ですね。

この場合、確かに、その子が「財産半分よこせ」といってくる可能性があります。
しかし、妻と子がいる場合に、「ご主人」が無くなられたときの法定相続人が妻と子(嫡出子かどうかを問わない)であることに争いはありません。
つまり、そもそも現行民法でも非嫡出子(婚外子)が相続人であることは変わりませんので、仮に、民法900条4号ただし書き(今回違憲決定がでた規定)が合憲だったとしても、その子は「財産半分よこせ」という権利があります。
あなたが妻で、あなたに子がいなければ、非嫡出子が財産半分の相続権を有する。
今回問題になった規定が違憲だろうが合憲だろうが、これは変わりません。

したがって、そういう事例を想定しての、上記の批判は完全に的外れです。

では、あなた妻で、あなたとの間に1人の子(嫡出子)がいる、という場面ではどうでしょう。
この場合は、逆に民法900条4号ただし書きが違憲だろうが合憲だろうが、非嫡出子(婚外子)は、「財産半分よこせ」とはいえません。
なぜなら、この場合、あなた(妻)が2分の1の法定相続分を有しており、残りの2分の1に対いて、あなたの子(嫡出子)も相続分を有しているからです(→「『非嫡出子(婚外子)差別』のおさらい」)。
したがって、そういう事例を想定するならば、今まで「財産を6分の1よこせ」と言っていたのが「財産を4分の1よこせ」と言ってくるようになったにすぎません。


今回の違憲決定は、「非嫡出子にも相続権を認めた」というわけではないのです(もともと相続権はあるのですから)。
したがって、
もしかしたら残された財産は僅かな庭付きの家だけだったら? 
家族の思い出の詰まった家を処分して遺産として渡さなくてはいけなくなるかもしれません。
というのもズレていますね。
もしそういう場合なら、もともと非嫡出子(婚外子)も相続権を有していたので、今回の違憲決定が出ようが出まいが家は処分しなければいけなかったということです。

では、次の点はどうでしょうか。
第一日本は「一夫一婦制」の国です。
法にそむき、妻子に申し訳ないと思うどころか自分たちの権利を主張…
こんな世の中になってよいのでしょうか?
「人権」と言うなら、正式な妻であり、嫡子である自分たちに隠れて
人の家庭を踏みにじっていたいた人たちこそ人権を犯した加害者ではないでしょうか?

いわんとすることは何となく分かるのですが、以前(→「『非嫡出子(婚外子)差別』のおさらい」)も書いたとおり、非嫡出子が生まれるのは、別に不倫とは限りません。
例えば、現在の妻と結婚する前に生まれた子だって、非嫡出子になり得るわけです。
その場合、決して誰の家庭も壊していません。

そして、仮に、その非嫡出子(婚外子)が不貞行為によって生まれた子だとしても、その「加害者」は不倫相手であって、生まれてきた子ではない。
その責任を子に負わせてはならない、というのが最高裁決定の趣旨ですから、批判するにしても、その点は踏まえておくべきでしょう。


逐一指摘していくとキリがないですが、批判記事は、「そもそも最初から非嫡出子(婚外子)にも相続権はあった」という点が抜け落ちているので、その批判の当不当(賛否)を論じる前提を欠くといえるでしょう。


最高裁決定に違和感を覚え、反対意見を表明したいと考えている方も多いでしょう。
しかし、あまり当該記事を鵜呑みにしてTwitterで拡散しちゃうと、恥をかくかもしれません。
本当に何かを批判したいなら、その前提事実はしっかりと押さえておくべきです。
そうでなければ、その批判には何の説得力もありませんし、せっかく声を挙げても無駄になります。

インターネット上でいろんな意見が出るのはいいと思うのですけど、事実誤認に基づいて、威勢のいいことだけを述べても何ら建設的な議論にはなりませんので気をつけましょう。

では、今日はこの辺で

2013年9月4日水曜日

非嫡出子(婚外子)差別の違憲決定

司法書士の岡川です。

既に既定路線だったわけで、今更驚くべきことは一切ないニュースですが、「非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分の2分の1」とする民法900条4号ただし書きの規定が違憲であるとの最高裁決定が出ました。

(参照→「非嫡出子(婚外子)差別」のおさらい


民法を含め、全ての法律は、日本国憲法に合致していなければなりません。
したがって、「違憲」すなわち「憲法違反」の法令は、法令自体が無効ということになります。

憲法に合致しているかどうかの最終判断は、最高裁判所が行いますので、これで、この民法の規定は無効だということで最終的な結論が出ました。

この裁判で争われていた事件については、民法900条4号ただし書きは無視して、非嫡出子と嫡出子の相続分が同じ割合として遺産分割が行われることになります。
最高裁はその後のこと(具体的な遺産分割の内容)まで判断しないので、相続分が同じ割合であることを前提として、今後、高等裁判所で審理をやり直すことになります。

そして、最高裁が違憲だと判断した以上は、この民法の規定は「無効な規定」ということで、もはや使い物になりません。
無効な条文をいつまでも残しておいても仕方がないので、近いうちに国会で民法が改正されることになるでしょう。
保守系議員の中に反対意見が根強いそうですが、「そのような法律は、裁判所では無効なものとして取り扱う」と宣言された以上は、もはや賛成とか反対とか議論する余地はありません。
おそらく、バッサリ削除する以外に方法は無いでしょう。


ところで、今回の決定で、最高裁は、「本件規定は、遅くとも平成13年7月当時において、憲法14条1項に違反していたものというべきである。」としています。
と同時に、「それより前に相続が開始した事件についてその相続開始時点での本件規定の合憲性を肯定した判断を変更するものではない。」とも述べています。
つまり、過去の事案の時点では合憲だったけど、その後の事情の変化により、今回の事案の時点(平成13年7月)では違憲になっているということです。

では、平成13年7月以降に相続が生じて、既に「無効な規定」に基づいて遺産分割までしてしまった事案については、どうなるのでしょうか。
全部遺産分割をやり直すことになるのでしょうか。
そうなると大混乱です。

当該規定が「違憲無効」となることは、もう早い段階で既定路線だったので、法律家の関心はむしろこの点に集まっていたといっても過言ではないでしょう。
そして、既に確定した遺産分割についてまで効力は及ばない(やり直しは認められない)というのが、多数の意見で、おそらく決定の中で最高裁も違憲決定の効力について何らかの言及をしてくるだろう、と予想されていました。

で、その予想通り、決定の中で、最高裁は次のようにに述べています。
本決定の違憲判断は,Aの相続の開始時から本決定までの間に開始された他の相続につき,本件規定を前提としてされた遺産の分割の審判その他の裁判,遺産の分割の協議その他の合意等により確定的なものとなった法律関係に影響を及ぼすものではないと解するのが相当である。

一方で、まだ結論が出ていない遺産分割協議(のうち、平成13年7月以降に開始したもの)については、審判や裁判となれば、今回の判例に従い、民法900条4号ただし書きの規定が違憲無効であることを前提に判断されることになります。

したがって、今まさに「差別」された相続分を基にして遺産分割の話し合いが行われている事案であれば、「差別」のない平等な相続分で話し合わなければなりません。



ところで、もともとこの規定は法律婚という制度を守るためにあります。
一方、この規定が違憲である理由は、「親の都合だけで、生まれてきた子供に不利益を負わせてはならない」という点にあり、「法律婚を守る」ということ自体が否定されたわけではありません。

となれば、「子供に不利益を負わせない形で、法律婚を守るには、どうすべきか」という考えが出てくるでしょう。

そういう価値判断が是とされるのであれば、今後、法律婚を破壊する行為(要するに、不貞行為)に関して、当事者に対するペナルティが厳しくなっていくかもしれませんね。

では、今日はこの辺で。

続き→嫡出子(婚外子)差別違憲決定に対する批判の誤り

2013年9月3日火曜日

罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」

司法書士の岡川です。

罪刑法定主義の派生原理として、これまでに「法律主義」「遡及処罰の禁止」「類推解釈の禁止」の3つを紹介しました。
代表的な派生原理は4つあるのですが、最後の1つは「絶対的不確定刑の禁止」です。

絶対的不確定刑とは、刑法(刑罰法規)に、刑の分量(刑期)が全く法定されていないことをいいます。

現行刑法は、「何年以上(あるいは何年以下)の懲役」のように、法定刑の上限と下限を定めていることが一般的です。
「5年以上の懲役」なら「下限が5年で、上限が20年以下の懲役」を意味しますし、「3年以下の懲役」なら「下限が1か月で上限が3年の懲役」を意味します。
その法定刑の枠内で、裁判官が量刑を決めることになります。
法定刑は完全に確定していませんが、上限と下限の枠が定まっているので、完全に不確定というわけではありません。
こういう定め方を「相対的不確定刑」といいます。
これはもちろん禁止されていません。

これに対し、枠すらも決められておらず、完全に不確定な刑が法定されている場合を絶対的不確定刑といいます。
例えば、「カピバラを殺した者は、懲役に処する」のような具合です。
さらには、「カピバラを殺した者は、刑罰に処する」というふうに、刑の種類すら法定しない場合も、絶対的不確定刑になります。

罪刑法定主義とは、犯罪と刑罰を予め国民に提示しておくことで、国民の自由を保障するものです。
そうすると、「何が犯罪で何が犯罪でないか」だけでなく、「その犯罪にどのような刑罰が科せられるか」も予め法律で定めておくことが必要です。
その行為が「犯罪かどうか」に加え、犯罪だとしたら「どの程度の犯罪か」まで知っておかなければ、行動指針として不十分だといえます。
「どの程度の犯罪か」を示すのが法定刑の種類と量だからです。
したがって、あらかじめ法律で法定刑の「枠」を全く定めずに、刑の選択を裁判官の自由裁量に委ねるということは許されないという原則が「絶対的不確定刑の禁止」の原則です。


なお、「不確定刑」とは、法定刑が不確定であること(裁判官の裁量に委ねられていること)を指す用語です。
「不定刑」とか「不確定法定刑」という場合もあります。

これと似たような概念として、「不定期刑」というものがあります。
これも不確定刑と全く同じ意味(法定刑が不確定であることの意味)で使い、罪刑法定主義の派生原理として「絶対的不定期刑の原則」ということもありますが、両者は一応区別されている概念です。

不確定刑と区別される場合の「不定期刑」とは、裁判官が刑を言い渡す際(=宣告刑)に刑期を定めないことをいいます。
つまり、「不確定刑」とは法定刑の話であり、「不定期刑」とは宣告刑(特に懲役や禁錮といった自由刑)の話ということです。

そして「被告人を懲役に処する」のような、刑期を全く定めない場合を「絶対的不定期刑」といい、「被告人を3年以上5年以下の懲役に処する」のように、枠を定めて言い渡す場合を「相対的不定期刑」といいます。

不定期刑の言い渡しは、犯罪者の更生の程度に合わせて刑期を判断できるという意味で、合理的な面があります。
他方で、被告人の立場を不安定にするものであり、望ましいものではないとも考えられています。
ただ、いずれにせよ、絶対的不確定刑の法定を禁じる罪刑法定主義の問題とは少し次元が異なります(罪刑法定主義の「趣旨」とか「精神」に反する、といった指摘がされる場合もありますが)。

つまり、「絶対的不定期刑の禁止」といった場合も、罪刑法定主義の原則では「絶対的不定期刑の法定」が禁止されているということを意味します。
ややこしいので、刑の種類や分量を定めない法定刑のことを「不確定刑」、刑期を定めない宣告刑のことを「不定期刑」と使い分けるのがスッキリして良いですね。

日本の現行法では、(宣告刑としての)絶対的不定期刑を認めるものはありませんが、少年法上、相対的不定期刑の制度は存在しています。
これは、少年に対する刑罰については、制裁としての面より、教育や更生という面が強調されるからです。


では、今日はこの辺で。

罪刑法定主義シリーズ
1.罪刑法定主義
2.罪刑法定主義の派生原理その1「法律主義」
3.罪刑法定主義の派生原理その2「遡及処罰の禁止」
4.罪刑法定主義の派生原理その3「類推解釈の禁止」
5.罪刑法定主義の派生原理その4「絶対的不確定刑の禁止」 ← いまここ
6.罪刑法定主義の派生原理その5「明確性の原則」

2013年9月2日月曜日

法律一発ネタ(その1)

司法書士の岡川です。

行政書士は、「行書」と略されます。
同じように、司法書士を「司書」と略すと、なんだかとっても本に詳しそうな感じになりますので注意しましょう。

(司法書士は、「書士」と略すことが多いですかね)

では、今日はこれだけ。