2014年2月27日木曜日

法律一発ネタ(その8)

司法書士の岡川です。


収入印紙を再使用したら、「50円以下の罰金」になりますので、ご注意ください。


帝国政府ノ発行スル印紙其ノ他印紙金額ヲ表彰スヘキ証票ヲ再ヒ使用シタル者ハ五十円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス(印紙犯罪処罰法3条)

【解説】
もちろん(半分)嘘です。
実際には、罰金等臨時措置法という法律がありまして、上限2万円以下の額が定められている罰金の規定は、「2万円以下」と読み替えることになっています。
なので、実際には2万円以下の罰金です。


では、今日はこれだけ。

2014年2月26日水曜日

治療関係費(交通事故の損害各論)

司法書士の岡川です。

交通事故の損害項目の各論に入りましょう。

交通事故のうち人身事故(被害者が死傷する事故)に遭ったとき、積極損害の中心的なものは治療関係費でしょう。

交通事故が原因の傷害の治療のために支払った実費は、必要かつ相当な範囲で全て損害と認められます。
治療費や入院費、診断書作成のための文書料などがこれに含まれます。


「怪我を(現代の医療で可能な限り)完全に治す」ために使う費用は、全て損害に含まれています。
医者の指示のもとに行われる常識的な範囲の「(医学的に)意味のある治療」であれば、それを遠慮する必要はありません。
「怪我を治すのに必要な治療」であれば、納得がいくまで受けて、それを加害者に賠償してもらう権利があるのです。

なので、交通事故に遭った場合、まずは「きちんと治す」ことに専念しましょう。
損害額を算定するのは、きちんと通院し終わってからの話です。

ただ、後の損害賠償請求を見据えて、通院する際の心構えや注意事項などがあるので、純粋に医者の指示だけに従っていればいいというわけではありません(損害賠償請求をする気がなく、ただ怪我の治療さえできればよい、というのであれば不要です)。

治療に関しては医者の指示に従えばいいのですが、同時に、事故初期の段階で司法書士や弁護士、行政書士等の法律実務家(特に交通事故を扱っている人)の助言を受けることも大切です。
実際に法律家の出番になるのは、治療が終わってからですが、実際問題として、初動でミス(という表現が正しいかはわかりませんが)をしたために、「本来であれば認められるべき損害が認められない」ということが少なくないのです。

また、当然のことですが、事故と関係のない治療(脚を轢かれたのに、虫歯の治療したり)や、過剰な治療は「必要かつ相当な実費」とは認められません。
交通事故の被害にあったのをいいことに、それに乗じて必要以上に治療費を浪費することは許されません。
そういうセコい考えを起こしても、結局自分が損するだけです。

「必要な治療」に要する費用を全額請求する権利はありますが、「必要以上の治療」に使った費用を相手に請求する権利は無いということです。


治療費は全額が損害になると書きましたが、症状固定以後の治療費は、原則として損害に含まれません(賠償されません)。

症状固定とは、「それ以上治療しても(現代の医学では)回復が見込めない」という時点をいいます。
ゆえに、それ以上治療を続けても意味がないので、(通院するのは被害者の自由ですが)その費用を加害者が賠償する義務を負わないことになります。

いつが「症状固定」になるのかは、しばしば争われる(それ以後の治療費が損害と認められないのですから、当然です)ので、詳しくはまたの機会に回します。



細かいところで、損害に含まれるかが問題になるものとしては、特別室に入院した場合の使用料等があります。
これは基本的には損害として認められませんが、それがどうしても治療のために必要であった場合(医者の指示があったときや、他に空室が無かった場合など)は、損害に含まれることもあります。

それから、整骨院などの費用は、厳密には医療行為ではないので「治療費」とはいえないのですが、特に医師の指示がある場合など、その症状に対して有効なものと認められる範囲では損害に含まれます。

場合によっては、単なるマッサージや温泉治療などの費用も損害に含まれるのですが、こういう微妙なものは、とにかく医師の指示を仰ぐことが賢明です。


というわけで、交通事故で怪我をしたら、決して遠慮したりせず、それでいて、セコいことを考えず、「必要かつ相当な治療」を受けるよう心がけましょう。


では、今日はこの辺で。


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交通事故の損害シリーズ
1.交通事故による損害
2.交通事故による損害の分類
3.交通事故の損害項目
4.治療関係費(交通事故の損害各論) ← いまここ
5.入通院の費用(交通事故の損害各論)
6.葬儀関係費(交通事故の損害各論)
7.休業損害(交通事故の損害各論)
8.交通事故の慰謝料(交通事故の損害各論)
9.逸失利益(交通事故の損害各論) 

2014年2月25日火曜日

遺言能力

司法書士の岡川です。


単独で有効に法律行為をするための資格を行為能力といいます。
行為能力が制限された者の行為は、取り消すことができます。


ただ、法律行為の中でも遺言だけは行為能力を必要としません(ただし、意思能力は必要です)。
つまり、未成年者や成年後見人のような制限行為能力者であっても、それによって有効な遺言をすることは妨げられません。

もっとも、有効に遺言をすることができる地位又は資格というのは、行為能力とは別に定められています。
これを遺言能力といいます。


民法には、「15歳に達した者は、遺言をすることができる」と規定されています(民法961条)。
20歳になるまでは制限行為能力者なのですが、遺言に限れば15歳ですることが可能なのです。

そして、被保佐人や被補助人であっても、遺言をすることは可能です。

成年被後見人に関しても、事理弁識能力が回復したときであれば、遺言をすることができます。
ただし、その場合も医師2人以上の立ち合いが必要とされています(民法973条)。

遺言の効力は、その人が死んだあとに生じるものなので、本人保護の必要性が低く、なるべく本人の意思を尊重しようという制度なのです。

では、今日はこの辺で


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2014年2月24日月曜日

意思能力の話

司法書士の岡川です。
以前、行為能力の話をしましたが、ここで意思能力の話もしておきましょう。
権利能力というのは、私法上の権利義務の帰属主体となる資格をいい、これは、全ての自然人に認められた資格です(権利能力平等の原則)。
そして、権利能力が平等にあることを前提に、法律行為を単独で行うことができる資格を行為能力といいます。
行為能力は全ての自然人に認められるわけでなく、一定の範囲で制限されている人もいます。
行為能力を制限された人たちのことを「制限行為能力者」といいます。

さて、これらは「能力」とついていますが、その中身は「地位」又は「資格」のことで、国語的な意味での「能力」とは少し違います。
他方で、有効に法律行為を行うには、文字通り一定の精神能力ないし知的能力も必要とされています。
「能力」といっても、もちろん、特殊な能力はいりません。

法律上求められるのは、「自己の法律行為の結果を理解して判断できる精神能力(知的能力)」であり、これを意思能力といいます。
基本的には、成人には皆この意思能力が備わっているものですが、重度の精神疾患のある人や、酩酊者、あるいは5~6歳くらいの幼児などは意思能力がないとされています。
意思能力がない人(これを「意思無能力者」といいます)のなした私法上の法律行為は、明文の規定はありませんが「無効」であるとされています。
制限行為能力者のなした行為は「取り消すことができる」のに対し、意思無能力者のなした行為は、取り消すとか取り消さないとかの問題はなく、そもそも効果が生じません。

誰かと何かの契約を行おうとする場合、相手が酩酊者なら、酔いがさめるのを待って契約すればいいですが、もし相手が精神疾患であった場合、そのまま契約を強行すれば、あとから「契約時に意思能力がなかった」と主張されかねません。
意思無能力の主張が認められると、契約が無かったことになってしまいます。
そこで、意思無能力が疑われる場合は、契約を差し控えるのが賢明です。
もしその契約が双方にとって必要なもので、「契約をしない」という選択が望ましくない場合、後見開始の審判を申し立てて、後見人をつけてもらうことを検討すればよいでしょう。
後見開始の審判は、契約の相手方のような第三者が申し立てることはできませんが、本人かその親族に頼んで申し立ててもらうことになります(「後見開始の申立人になれるのは誰か」)。
後見人がつけば、本人の意思無能力に関わらず、後見人が本人(被後見人)のために法定代理人として契約を行うことになります。
ただし、後見人はあくまでも被後見人のために行動します。
後見人が検討した結果、その契約が本人のためにならないと判断されれば、契約が締結されないことになります。
それは念頭に置いておきましょう。
では、今日はこの辺で。


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2014年2月23日日曜日

交通事故の損害項目

司法書士の岡川です。

交通事故の損害額を算定するにあたっては、まず、人身損害と物的損害に分け、次に人身損害を財産的損害と非財産的損害(精神的損害)に分け、さらに財産的損害を積極損害と消極損害に分けて考えることが一般的です。

厳密には、物的損害についても積極損害と消極損害、非財産的損害という分類を考えることができるのですが、物損についての非財産的損害、すなわち慰謝料というのは、ほぼ確実に認められません。
また、物損の消極損害というと休車損害くらいなので、あえて細かく分ける必要もないのです。 したがって、交通事故に関して「積極損害」や「消極損害」という項目があれば、普通は人身損害のことだと考えてよいでしょう。
では、どういうものが損害として認められるかというと、概ね次のようになります。

人身損害

物的損害

  • 修理費用
  • 買替諸費用
  • 代車費用
  • 評価損
  • 休車損害
  • その他


もちろん、これら全てが認められるわけではなく、これらのうち、実際の事案ごとに生じた損害の賠償を請求していくことになります。
それぞれの具体的な中身については、これから徐々にご紹介していこうと思います。


では、今日はこの辺で。


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2.交通事故による損害の分類
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2014年2月21日金曜日

政府解釈と立憲主義の話

司法書士の岡川です。

集団的自衛権に関する政府解釈は、一貫して「行使できない」というものでしたが、安倍首相が政府解釈を変更し、「行使できる」としようとしています。
具体的には、「集団的自衛権は行使できる」という内容の閣議決定をすることになるのですが、これに対して「立憲主義の否定」であるという批判があらゆるところから噴出しております。

とりあえず、「集団的自衛権の行使が現行憲法上認められるか」とか「集団的自衛権は行使すべきか」とか「憲法は改正すべきか」といった政治的な話は全部抜きにして、今日は政府解釈と立憲主義の話に絞って書こうと思います。


安倍首相は先日「(政府の)最高責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは国民の審判を受ける。」と宣言しましたが、それはそれで間違ってはいません。


そもそも法解釈というのは(憲法解釈に限らず)、色んな人がいろんな立場で行うものです。
法解釈の主体は様々で、法学者であったり、当然、我々のような法律実務家が日々行うことでもあります。

そのうち、一定の権威(拘束力)を持っているのは、政府機関、すなわち、立法府(国会)・行政府(内閣)・司法府(裁判所)がする解釈です。
これらの機関による解釈を「有権解釈」とか「公権的解釈」といいます。

このうち、行政府の解釈を「行政解釈」といいますが、これは「政府解釈」ともいいます。
ここでいう「政府」とは、「行政府」の意味です(「政府」には、その他に三権を含めた国の統治機関全体の意味もあります)。
そして、行政府の責任者は、内閣の代表である内閣総理大臣ですから、政府解釈について、安倍首相が「私が最高責任者」というのは間違っていないわけですね。

「政府解釈」はあくまでも「行政府はこう考える」ということを意味します。
行政府が一定の解釈を打ち出せば、その解釈で全て行政が動きます(有権解釈)ので、これは極めて重要なものです。

しかし、最終的な法解釈というのは、司法府が決めることで、憲法に関する政府解釈(行政解釈)も、裁判所がこれを否定し、違憲判決を出せば覆すことができます。
ゆえに、裁判所(特に最高裁判所)は、「憲法の番人」と呼ばれるのです。

また一方で、いくら憲法に関する行政解釈が存在しても、拠るべき根拠法がなければ解釈を具体的に実現することはできません。
法律を作るのは立法府たる国会ですから、立法府の解釈(あまり一般的ではない用語ですが「立法解釈」ということもあります)として、「集団的自衛権は行使できない」ということであれば、国会は、「集団的自衛権を行使可能とする根拠法を成立させない」という形で、その解釈を打ち出すことができます。
実際に、閣議決定後、国会で自衛隊法の改正議論がなされることになっていますが、行政府がどう考えていようと、立法府は独自の解釈で立法することも可能です。

ということで、「政府解釈さえ自由にできれば、憲法なんか無視してやりたい放題」というものでもありません。


ところで、立憲主義とは、憲法によって国家権力を縛るという考え方です。

上記の三権分立の仕組み(特に、裁判所による違憲審査権)も国家の暴走を抑えるもので、行政府がどんなに荒唐無稽な憲法解釈を行ったところで、司法府がその解釈を否定することが期待されています。

そして、そもそも荒唐無稽な行政解釈を世に出す前に、行政府自身が自らを律する仕組みが、内閣法制局です(これは、憲法上の仕組みではありませんが)。
内閣法制局長官というのは、憲法上の地位を有する者でなく、対外的には何ら権限もないので、これを「憲法の番人」といって祭り上げるのはおかしいのですが(この辺は「憲法の番人?内閣法制局長官」を参照)、行政府の自主規制として、「立憲主義を守る一翼を担っている」とはいえるでしょう。
その意味で、あんまり軽々しく扱うのはよろしくない。

ただし、内閣法制局長官の見解が必ずしも「正しい憲法解釈」ではありませんので、内閣法制局長官の見解を無視したからといって、これが即「立憲主義の否定」ということにはなりませんし、内閣法制局長官の見解を追認することだけが唯一の立憲主義のあり方でもありません。


さて、それでは実際に安倍首相は「立憲主義を否定」したといえるでしょうか。

これは、そうとも言えるし、そうでないとも言える。

結局、安倍首相も言ったように、主権者(憲法制定権者)たる国民がよく考えて、審判を下すべきなのでしょうね。

そして、実際に法解釈論として集団的自衛権の行使が憲法違反なら、「憲法の番人」たる裁判所の判断に期待することになります(集団的自衛権の行使で負傷した人からの国賠訴訟とかになるのかなぁ)。
これは、最高裁の矜持にかかっていますね。


果たして、今後議論はどういう展開になるのでしょうか。

では、今日はこの辺で。



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2014年2月19日水曜日

交通事故による損害の分類

司法書士の岡川です。

交通事故等の不法行為による損害の種類(項目)には、いろんな分類の仕方があるのですが、まず、「財産的損害」と「非財産的損害」があります。

「財産的損害」とは、被害者の「財産」に対する不利益(事故がなかった場合と比べての財産状態の差額)です。
事故によって出費をすることになったり(例えば治療費)、事故によって財産の価値が損なわれたり(新品の高級車が事故車となって評価額が下がる等)すれば、これは皆「財産的損害」です。

言い換えれば、財産的な価値があるものを失う場合をいいます。

財産的損害と対になるのが「非財産的損害」です。

「非財産的損害」とは、交通事故のように自然人(個人)が被害者となる場合は、「精神的損害」と同義です。
すなわち、事故によって怪我をした場合の「苦痛」が精神的損害です。

この、精神的損害に対する賠償金のことを、「慰謝料」といいます。

「損害賠償=慰謝料」と誤解されている方もいますが、慰謝料とは、精神的苦痛に対する賠償のことをいいます。
病院の治療費とか、車の修理費は慰謝料ではありません。


次に、「財産的損害」には、「積極損害」と「消極損害」があります。

積極損害とは、今ある財産が滅失したり毀損された場合、つまり、治療費や交通費のような金銭の出費があった場合や、事故車の評価額が下がったような場合は、いずれも積極的損害です。

これに対して、「消極損害」とは「事故がなければ得られた利益(が得られなくなった)」という損害です。
「得べかりし利益」あるいは「逸失利益」といったいい方をします。

具体的には、事故に遭って会社を休んだら、その分の給料を減らされたとします。
事故に遭わなければ出社してその分の給料も貰えていたはずなので、それがもらえなくなったとすれば、この差額が消極損害となります。
あるいは、事故に基づく後遺障害により労働力が一部失われたりすれば、将来の減収が観念できますので、これも本来稼げたはずの金額との差額が消極損害です。


これらの分類とは別に「人的損害」と「物的損害」に分けることもできます。

人的損害(人身損害)とは、被害者の身体に対する被害(つまり、怪我と死亡)から生じる損害です。
積極的損害のうちの治療費や、消極的損害のうちの休業損害、精神的損害(慰謝料)、これらは全て人的損害ですね。

これに対し、物的損害とは、「物」の損害です。
車同士の事故なら、車が壊れた場合の修理代やらレッカー代やらが物的損害です。

いわゆる「物損」っていうやつです。

人損と物損では、賠償方法や事故処理に違いがあるので、区別して考える実益があります。
例えば、純粋な物損事故では、犯罪が成立しません(「過失器物損壊罪」というのが存在しないため)。


このように、交通事故(に限らないのですが)の損害は、いくつかに分類ができます。
分類できるということは、その中にいくつもの種類(損害項目)があるというわけで・・・。

その辺の話は、また次回です。

では、今日はこの辺で。

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2014年2月18日火曜日

交通事故による損害

司法書士の岡川です。

交通事故に限らず、不法行為があった場合、被害者は加害者に損害賠償請求をすることができます。
実際には、加害行為によって生じた「損害」を金銭的に評価して、賠償金の支払いを求めることになります。

法律上「損害とは何か」という問いは、実は難しい問題があります。
伝統的には、「加害行為がなかった場合の被害者の財産状態」と「現在の被害者の財産状態」の差額が損害であると考えられています(差額説)。
例えば、交通事故で骨折して病院に行くことになれば、「病院に行かなかった場合の財産」と「病院に行ったことで減少した財産」に差が出ますので、その差額(具体的には、病院に支払った費用)が「損害」だということです。
また、「会社を休んで病院に行ったら、その分の給料を減らされた」となれば、やはり財産状態に差が生じていますので、その差額は損害です。

もっとも、全てを「差額」だけで説明するのは困難なこともあります。
例えば、慰謝料なんかは、何と何の差額なのか説明が難しいところです。
そこで、不利益な事実そのもの(例えば、骨折という事実)を損害と考える「損害事実説」という考え方もあります。
実務上は、基本的には差額説をベースに、損害事実説的な考え方も意識されている・・・といったところでしょうか。


さて、そんな「損害」ですが、細かく見ていけば色々なものがあります。


「病院に行くことになった」だけでも、医者に払う治療費、病院までの交通費、会社を休んだら休業損害、ギブスを付けたらギブス代、など、損害は多岐にわたります。

そうすると、実際に、どういうものが「損害」として認められるのか、また、それらの損害の分類方法について、次回から紹介していこうと思います。


では、今日はこの辺で。

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2014年2月14日金曜日

全聾でも作曲家でもない人の著作権料

司法書士の岡川です。

ソチオリンピックの話題で陰に隠れていますが、まだまだ裏で地味に進行中の「全聾でも音楽家でもなかった人」のお話。

こんな記事がありました。


佐村河内氏、著作権料ボロ儲け!億超え(日刊スポーツ)

ゴーストライター問題の渦中にあり、現在の「全聾(ろう)」状態もウソだと告白した作曲家佐村河内(さむらごうち)守氏(50)が、これまで得た著作権料の返還を免れる方向であることが13日、分かった。
(中略)
音楽の著作権を管理する日本音楽著作権協会(JASRAC)広報担当者によると、(1)新垣氏と合意がある(2)18年の長期間にわたっていることを考慮し、「JASRACが過去にさかのぼって佐村河内氏に支払った著作権料の返還を求める可能性は低い」という。

「まあ、そりゃそうでしょうよ」としか言いようがないと思うのですが・・・。


著作権法上、「著作者」と「著作権者」は別物です。

「著作者」は、基本的には実際に著作物を作った人のことを指しますので、これは動かせるものではありません。
今回の件では、新垣氏が著作者ですね。
著作者には「著作者人格権」という、著作権(著作財産権)とは別の権利が帰属します。

基本的には、著作者=著作権者なので、著作者は著作者人格権だけでなく著作権も有することになるのですが、財産権である著作権は、自由に譲渡することが可能です。
著作権が譲渡されると、著作者と著作権者が分離することになります。

今回の件では、ゴーストライティング契約(のような合意)がなされて、著作権は著作者である新垣氏から佐村河内氏に譲渡されていたと考えることができます。
そのうえで、著作権者として佐村河内氏からJASRACに著作権信託契約がなされていたと考えられます。


そうすると、JASRACは、正当に著作権者(not著作者)に著作権料を支払っていたことになるので、返還を求める理由がないわけです。

ボロ儲けなのも、実際に楽曲が売れたのだから当然です。
新垣氏に儲けがないのも、佐村河内氏との話ででそういう合意をして楽曲を提供していたのであれば、これも当然の話です。


もっとも、佐村河内氏には、これから怒涛の損害賠償請求が待っていると思われ、そうなればボロ儲けしたお金で賠償して回ることになるでしょう。


まあとにかく、結論的には高橋選手がんばれということです。

では、今日はこの辺で。

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2014年2月13日木曜日

行為能力の話

司法書士の岡川です。

前回、成年被後見人の話をしたので、ついでに行為能力の話(今更ですが)。

私法の三大原則のひとつに「権利能力平等の原則」というものがあります。
「権利義務の主体となる資格」のことを権利能力といい、自然人は皆、権利義務の主体になる(権利を取得したり義務を負ったりする)ことができるという原則です。

しかし、必ずしも全ての人が単独であらゆる私法上の行為をすることができるわけではありません。

例えば、未成年者が法律行為をするには、原則として親権者の同意が必要です(民法5条)。
これはすなわち、未成年者は単独では(親権者の同意なしには)確定的に有効な法律行為をすることができない、ということを意味します。

このように、民法上、単独で有効に法律行為をなす資格がない者というのがいくつか規定されています。
この「単独で有効に法律行為をなしうる地位又は資格」のことを「行為能力」といい、行為能力が制限されている人を「制限行為能力者」といいます。
未成年者は、民法5条において行為能力を制限されている制限行為能力者です。

同じように、成年被後見人や被保佐人も制限行為能力者です。
成年被後見人は、成年後見人の同意を得たとしても、原則としてあらゆる法律行為をすることができず、成年後見人が本人に代理してあらゆる法律行為を行うことになります(前回書いたように、成年被後見人が印鑑登録をすることができないのは、このためです)。
被保佐人は、原則として法律行為をすることができるのですが、一定の重要な財産上の行為については、保佐人の同意がなければ(あるいは、保佐人が代理しなければ)することができません。

両者は、行為能力が制限される範囲が異なりますが、いずれも、一定の範囲の行為は単独で行うことができません(詳しくは、「法定後見の類型」参照)。

また、被補助人も、一定の行為について補助人に同意権を付与することができます。
家庭裁判所の審判によって同意権が付与された行為は、補助人の同意がなければ被補助人が単独で確定的に行うことができません。
つまり、補助人に同意権が付与された被補助人は、制限行為能力者であるといえます。


ちなみに、任意後見では、本人の行為能力は制限されませんので、これが法定後見との大きな違いです(任意後見については「任意後見契約について」参照)。

「同意があってもすることができない」「同意がなければすることができない」ということは、具体的には、それに反してした行為は「後から取り消すことができる」ということを意味します。
例えば、もし親権者の同意を得ずに高額な買い物をしたりすれば、後から無条件でその売買契約を取り消すことができるのです。
「騙された」とか「強迫された」とか立証しなくても、「未成年者である」という一点でだけで問答無用の取消権があるのです。
これはなかなか強力な権利です。


なぜこんな制度があるのかというと、対象者を保護するためです。
社会のことをまだよくわかっていない未成年者や、判断能力が低下した人達に無制限に行為能力を認めていれば、思わぬ損害を被ってしまう危険があります。

そこで、最初から法律で「無制限に法律行為をすることはできない=一定の範囲で取り消すことができる」と決めておけば、その制限された範囲では、後から全てを無かったことにできます。
そうすることで、自らの行為によって重大な損害を被ることを防ぐことができます。

そういう趣旨の制度なので、日常の買い物なんかは、制限行為能力者であっても制限されることはありません(民法9条但書参照)。
重大な損害を被る危険が小さいので、これはむしろ本人の自由を尊重すべきと考えられるからです。


成年後見制度は、単に財産を預けるだけの制度ではなく、「取消権という予防線を張っておいて、判断能力が低下した人の残存能力の活用をしてもらう」ための制度なのです。

では、今日はこの辺で。


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2014年2月10日月曜日

成年後見と印鑑登録

司法書士の岡川です。

社会人になったとき「実印」を作った方も多くいることと思います。
「実印」とは、市町村で印鑑登録をした印章のことで、どんな安物のハンコであっても、その印章を登録すればそれが自分の実印となります。

印鑑登録すると、登録した市町村で印鑑証明(印鑑登録証明書)を発行してもらうことができます。
重要な書類に押された印影と印鑑証明とを照合することによって、実印で押印したことが分かり、実印(という普通は本人が持っているはずのもの)で押印されたものは、本人が押印したものであろうと強く推認されることになります。
印鑑証明の添付を要求されている一定の手続き(不動産登記手続など)を除き、法的には実印も認印も効力は同じなのですが、重要書類では、紛争防止と高い証拠力の確保のために、実印を押すことになります。

さて、この印鑑登録ですが、国会が定める「法律」ではなく、市町村の条例で規定されています。
したがって、誰がどういう手続きで印鑑登録をすることができるのか、というのは、市町村によってバラバラです。
例えば、印鑑登録をすることができる年齢も市町村によって異なり、14歳からできる市もあれば15歳からの市もあるようです。
その年齢に達しない者は、印鑑登録をすることができません。

もうひとつ、一般的に印鑑登録をすることができないのが「成年被後見人」です。
成年被後見人とは、後見開始の審判を受けた者(その法定代理人として成年後見人が就任)のことです(詳しくは、「成年後見制度入門」)。

成年被後見人は、原則としてあらゆる法律行為を単独で行うことができず、代わりに法定代理人であり成年後見人が行います。
印鑑登録が必要な手続きについても成年後見人の印鑑証明が使われるので、本人(被後見人)の実印が使われることはありえず、印鑑登録をしておく必要がありません。
また、印鑑登録がされていると、印鑑証明を発行することができるため、これが悪用される危険があります。
そのため、新たに印鑑登録ができないようになっているのです。


では、既に印鑑登録がしている人に後見開始の審判がなされ、成年被後見人となったら、登録された印鑑はどうなるのでしょうか。
実は、このことが、少し前に同業者と話しているときに話題になりました。

改めて調べてみると、例えば、私の地元の高槻市や昔住んでいた堺市などの印鑑条例では、「登録資格を失ったとき」に登録が消除されると規定されているため、成年被後見人になったら登録は抹消されます。
高槻市のお隣の茨木市では、「死亡したとき、又は成年被後見人若しくは失踪宣告を受けたとき。」という(明らかに日本語がおかしい)規定が存在しますので、ここでも登録も抹消されるようです。
大阪市では、条例で直接的に規定されていませんが、事務取扱要領において、成年被後見人になったとわかれば消除する取り扱いになっているようです。

なるほど。

さらに、登録が消除されるためには、印鑑登録されている住所地の市役所に後見開始の審判があったこと(成年被後見人になったこと)が分からなければなりません。
審判があったからといって当然には住所地の市役所に通知されませんが、どうやら後見開始の審判があれば自動的に消除される扱いになっているようです。

これは、だいたい次のような流れになるようです。

まず、後見開始の審判が確定すると、法務局に後見登記がされます。
次に、後見登記がされると、法務局はが本籍地の市町村に通知します(後見登記等に関する省令13条)。
その後、どういう根拠かわかりませんが(おそらく市長村長規則レベルの根拠で)、本籍地の市町村から住所地の市町村に通知されるようです。
これで、住所地の市町村に後見開始が伝わり、印鑑登録が消除されることになります。

この辺の事務の取り扱い等は市町村によって異なり、実際に、後見人がついているにもかかわらず、印鑑証明書が発行されたという例もあるようです。

後見人に就任した時は、印鑑登録のことにも気をつけましょう。

では、今日はこの辺で。


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成年後見シリーズ
第1回「成年後見制度入門
第2回「法定後見の類型
第3回「任意後見契約について
第4回「後見終了後の問題
第5回「後見人には誰がなるか?
第6回「成年後見制度を利用するには?
番外編「成年後見の申立てにかかる費用
番外編2「成年後見の申立てにかかる時間
(このほかにも、成年後見についての記事はありますので、右上の検索窓で検索してみてください)

2014年2月7日金曜日

作曲家が別人だった件

司法書士の岡川です。

突如として出てきた作曲家のゴーストライター疑惑。
疑惑というより、もう確定なわけですが。

私は、そもそも佐村河内守氏という方を全く存じ上げておらず、そんな人が今までメディアで話題になっていたことも知らず、いきなり「私は作曲していませんでした」というところから情報に接しました(そういう人は結構多いのでは?)。

なので、

「佐村河内さん?なるほど、作曲をして・・・なかった人ですか。え、じゃあ何してた人ですか?」

っていう感じですね。

何してた人ですか?


私は全く知りませんでしたが、どうやら「だまされた!」っていう人が大量にいるらしいです。

さらには、これはまだ疑惑段階ですが、そもそも全聾ですらなかったという証言まで出てきました。

「全聾の作曲家」が全聾でもなければ作曲家でもないとうことになれば、ほんとに何の人なのかわからなくなりますね。


ところで、佐村河内氏がコンセプトを提供して、それを新垣氏が曲にする、というプロセスがあったことから、「共同著作になるのでは?」という話もチラホラ出てきていますが、それは疑問です。

著作権が保護しているのはあくまでも、創作的な「表現」です
どんなに素晴らしいアイデアだろうが、著作権法上、表現の前段階である「アイデア」については保護の対象外なのです。

で、佐村河内氏の指示書は、なかなか細かいことを書いていますが、その指示内容には音楽の著作物となりうる要素(メロディとかリズム)が全く入っていない。

テレビでは、佐村河内氏が0から1を生み出して、新垣氏が1を100にした、というようなことも言われていました。
確かに純粋に芸術という観点から見ればそうなのかもしれませんが、佐村河内氏は抽象的なイメージを提供したに過ぎず、その段階では、著作物としてはまだ「0」から抜け出ていません。
それを音楽という形で表現したのは、新垣氏一人の功績であろうと思います。
著作物という観点から見れば、新垣氏が0から100を生み出した、というのが正しいように思います。

もちろん、報道に出ていないだけで、もっと佐村河内氏が積極的に作曲に関与していたのかもしれませんが、全聾で楽譜読めないなら、新垣氏が作ったサンプルに検討を加えることもできないんじゃなかろうか?
そうすると、佐村河内氏のイメージしたものと、出来上がった曲が全く乖離している可能性もある。
そうなればもう、0から1の話とか、共同著作云々の話も全く関係なくなります。

まあその辺の事情はよくわかりませんが、あんまり突っ込んで調べるほど興味もないです。



では、今日はこの辺で。


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2014年2月5日水曜日

株式会社以外の定款(のようなもの)

司法書士の岡川です。

昨日は定款の話をしましたが、定款は会社などの法人の根本規則なので、株式会社以外の法人にも存在します。
合資会社や合名会社といった会社法上の会社はもちろん、保険業法上の相互会社、特定非営利活動促進法上の特定非営利活動法人(NPO法人)、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律上の一般社団法人・一般財団法人などなど、挙げていけばキリがないですが、営利・非営利を問わず、多くの法人について、その根拠法において定款を定めるべきことが規定されています。
司法書士が集まって作ることができる司法書士法人(根拠法は司法書士法)も、定款を作らないといけません。

設立の際に根本規則が必要なのは、どの法人も同じなのですが、それが「定款」でない場合もあります。

例えば、学校法人の場合、「寄附行為」といいます。
「行為」とありますが、いわゆる行為ではなく、「寄附行為」という名の規則です。
かつては、民法に基づいて設立されていた財団法人の根本規則のことを「寄附行為」といい、私立学校も一種の財団法人であることから、私立学校法においても「寄附行為」と規定されたのだと思われます。

もっとも、今では法律が改正され、民法に基づいて財団法人を設立することはできなくなり、現行法の一般社団法人・一般財団法人法においては、一般財団法人の根本規則は「定款」ということになっています。
「寄附行為」という言葉がわかりにくかったからでしょうね。

私立学校法は、特にそのような改正がなされていないので、今でも「寄附行為」という文言が残っています。
他にも、財団である職業訓練法人や医療法人についても「寄附行為」とされています。


また宗教法人では、「規則」という文言が使われています。
宗教法人というのはちょっと特殊で、社団のような財団のような、微妙な形態の法人です。
法人そのものの構成員は存在しないので、私は財団の一種だと思うのですが、社団の一種と考えることも多いようです。
定款でも寄附行為でもないのは、その辺と関係あるのかもしれません。


それから、司法書士会とか弁護士会とか行政書士会のような法人については、「会則」というのが根本規則になっています。
我々司法書士は、全員どこかの司法書士会(私は大阪司法書士会)に所属しています。
そして、司法書士法により会則遵守義務が定められているので、会則違反=法律違反(会則遵守義務違反)となって、会則を守らないと懲戒の対象にもなります。


ちなみに、独立行政法人は、名称も所在地も目的も組織形態も、必要な事項は全て法律で規定されているので、定款というのは存在しないようです。
ただ、地方独立行政法人には定款が存在するようですね(「独立行政法人」と「地方独立行政法人」は、根拠が異なる全く別の種類の法人です)。

いうまでもありませんが、都道府県とか市町村というのも一種の法人ですけど、これらにも定款はありません。


では、今日はこの辺で。


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2014年2月4日火曜日

定款変更後の定款

司法書士の岡川です

「定款」というものをご存知でしょうか。
会社を経営しているような方であれば必ず知っているでしょうが、定款とは会社(その他の法人)の目的や組織、業務内容などのについて定めてある根本規則です。
国でいうところの、統治機構を定めた「憲法」みたいなもんですね。

どんな会社であっても、設立するときは、必ず定款を作らなければいけません。
定款は、書面か電磁的記録によって作成されますが、その書面や電磁的記録自体を定款ということもあります。


設立するときに作成する最初の定款のことを「原始定款」といったりもしますが、最初の定款は、公証人による認証を受けなければなりません。
最初から無茶苦茶な内容の定款だったら困るからですね。
認証を受けていないと、その定款は効力を有しないことになっています(会社法30条)。

定款認証が終わって初めて法務局に設立登記の申請をするのです。


定款は、株主総会によって(法律に違反しない範囲で)事後的に変更することも可能です(定款変更には、特別決議が必要です)。
また、株主総会によって定款変更をしても、公証人の認証を受ける必要はありません。
変更したら変更しっぱなしでよいのです。
もちろん、定款変更によって登記事項に変更が生じたら(例えば、取締役会を設置する定款変更をした場合)、法務局に変更登記の申請をしなければいけませんが、それ以外の変更であれば、株主総会さえ開いておけば、その後何の手続きもせず有効に内容が変更されます。


定款変更が行われたとしても、設立時に作った定款を修正液で消して書き直すようなことはしません。

定款変更をする場合は、必ず株主総会議事録に「定款の何条をこういうふうに変更する」という記録が残っているので、元々の定款と、この株主総会議事録を併せ読むことによって、現在の定款の内容が読み取れるのです。

ということは、定款変更を何度も繰り返すと、原始定款と過去のすべての議事録を併せ読まなければ、現行定款の内容は把握できないということになりますね。

それは非常に面倒なので、最新の内容を記載した書面を新たに作って、「これが現行定款です」という代表取締役の証明を付ければ、それも現行定款として扱ってもらえます。
新たに作るといっても、元の定款のデータがパソコンに残っていれば、作るのは簡単です。

定款にとって重要なのは、書面そのものではなくその内容なので、書面自体は新しく作り直しても問題ないのです。


また、万が一定款を紛失したとしても、登記事項を参考に、記憶をたどっていって、新しく書面を作り直しても構いません。
おそらく完璧には思い出せないでしょうが、その場合は、株主総会を開いて「定款全部を丸っきり新しい内容に変更する議決」をして、「別紙のとおり定款を変更する」という議事録を作ればいいのです。
これで、紛失してしまった昔の定款は必要なくなります。

ある程度は、何とかなるということですね。
でも、面倒なので定款はきちんと保管しておきましょう。

では、今日はこの辺で。


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2014年2月3日月曜日

本人や親族以外の後見開始申立

司法書士の岡川です。

昨日は、成年後見制度を利用するには、審判の申立てをしなければならないこと、それから、申立人になれる人は、基本的には本人と四親等内の親族であることを書きました。

では、本人が「自分に後見開始の審判をしてほしい」という意思を裁判所に表明することができるだけの判断能力がなく、かつ、身寄りもない場合はどうするか、というのが今日のテーマです。
この場合、「誰も申立てしないから」ということで放置するわけにもいきません。
しかし、家庭裁判所としては、申立てがない以上は、放置する以外にありません。


そういう場合、民法では、本人と親族の他に、検察官が申立人になることができることになっています。

検察官というと、一般的には「犯罪者を起訴する人」というイメージが強いと思います。
実際に、検察官は、主に刑事手続において捜査から刑の執行まで携わっています。
もちろん、それも検察官の職務として重要な(中心的な)ものなのですが、検察官の仕事はそれだけれはありません。

例えば、身分関係が問題になる人事訴訟(例えば、婚姻無効訴訟など)において、被告とすべき相手が既に死亡していた場合などは、検察官を被告として訴えることになります。
別に、個人的に検察官に恨みはなくても、被告がいないと手続きが進められないので、公益を代表する者として検察官が被告になるわけです。


そして、後見等の開始や不在者財産管理人の選任など、一定の事件類型に関しては、民法において、検察官が申立人になれる旨が規定されています。

もっとも、実際には検察官が後見開始の申立てを行うことはほとんどありません。
全国合わせて、年に数件程度です(後見開始の申立て全体としては3万件以上ある中の数件です)。


では、親族がいなくても後見が開始するのは、年に数人だけなのか、というとそうでもありません。

民法に規定はありませんが、実は、「老人福祉法」「知的障害者福祉法」「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」において、それぞれ高齢者、知的障害者、精神障害者について、「市町村長」が後見等の開始の申立てを行うことができると規定されています。
これを「市町村長申立」といいます(例えば、市長が申し立てる場合は、「市長申立」ですね)。

この規定があるので、身寄りのない高齢者などに後見が必要となれば、検察官申立でなく、市町村長申立が利用されます。
検察官申立は、上記三法の適用がないが、判断能力の低下した方を保護する必要がある場合に利用されることになります。

昨日例に挙げた、「近所のおじいちゃんの財産管理が心配」といった相談が司法書士のもとに寄せられたら、申立書類を作成するのではなく、市町村長申立てが可能かどうか検討する(そして、関係機関に繋ぐ)ということになります。

市町村長申立については、市町村によって運用が異なるので、直接市町村の担当課に問い合わせるか、地域包括支援センターや社会福祉協議会などに相談してみてください。
もちろん、最初の窓口として、地元の司法書士やリーガル・サポートに相談するのも手ですね(宣伝)。

では、今日はこの辺で。


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2014年2月2日日曜日

後見開始の申立人になれるのは誰か

司法書士の岡川です。

成年後見は、家庭裁判所による後見等開始の審判によって開始します。
つまり、成年後見制度を利用しようと思えば、家庭裁判所に審判をしてもらわなければいけません。

しかし、支援を必要としている人を裁判所が積極的に探し出して、勝手に審判をしてくれることはありません。
必ず誰かが、後見開始の審判を求める「申立て」をしなければなりません。
訴訟とか離婚調停とか破産手続とか、他の多くの制度と同様に、裁判所というのは申立てがあって初めて動いてくれるのです。
成年後見制度も例外ではありません。

ちなみに、それらの申立手続きをサポートするのが司法書士の仕事です。
独占業務ですので、司法書士以外の人(行政書士などの他士業者も含む)が行うことは犯罪です。

この申立てですが、当然ですが誰でもできるというわけではありません。
近所の世話好きの人が「あそこに住んでるおじいちゃん、財産管理が不安だから後見申立てしてあげよう」とか思っても、裁判所は受け付けてくれません。
もちろん、そんな依頼を受けても、司法書士は申立書の作成をすることはできません(他の方法をアドバイスすることになるでしょう)。

基本的に、後見開始の申立てをすることができるのは、本人と四親等内の親族です。
意外かもしれませんが、本人が「私に後見人をつけて下さい」と申立てをすることも可能です。
実際に、全体の1割弱が本人による申立てとなっています。
もちろん、難しい手続きをすべて本人が行うことは困難ですので、そこは全て司法書士(あるいは弁護士)がサポートすることになりますが、本人であっても、後見開始の意思があって、それを裁判所に表示できるのであれば、申立人になることができるのです。
特に、保佐類型や補助類型の場合、本人にそのような意思表示が可能である事例は少なくありません。

それから、最も一般的なのは、親族ですね。
これも、遠い親せきとかでは不可能で、四親等内という制限があります。
直系なら、玄孫や高祖父母まで、傍系なら従兄弟や甥姪の子、祖父母の兄弟までです。
また、特殊な例としては、既に保佐人や補助人がついているときに被保佐人や被補助人に他の類型(後見など)の審判をしようという場合、保佐人や補助人が申立人になることもできます。

では、本人が重度の精神疾患で意思表示ができそうになく、親戚もいないような場合はどうなるのでしょうか。

この話は次回書きます。

なお、申し立てにかかる費用については、過去に書きましたので参考に。
→「成年後見の申立てにかかる費用

では、今日はこの辺で。

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