2016年3月31日木曜日

司法書士と「司法」の関わり

司法書士の岡川です。

この時期、新社会人やら新入生やら、新しい門出を迎える人々が街にあふれていますが、実は司法書士の世界でも、司法書士試験に合格した人たちの新人研修が終わって、本格的に司法書士業務に取り組んだり取り組まなかったりする時期です。

取り組まなかったりするのは、司法書士資格を有しているからといって、いきなり司法書士登録する人ばかりではないからです。

それはさておき、新たな司法書士が誕生する時期ですので、ここで改めて「司法書士」という仕事の原点、「なぜ司法書士は『司法』書士なのか」という点をおさらいしておきたいと思います。



何で急にそんな話をするのかというと、アレですよ。



最近ブログのネタが枯渇気味だからです。



さて、司法書士というのは、司法書士法に規定された業務を(独占的に)行う国家資格です。
「司法書士」という名前からもわかると思いますが、「司法」に深く関わる資格です。

「司法」というと、皆さん小学校か中学校あたりで習ったと思いますが、三権分立の「立法」「行政」「司法」でいうところの「司法」です。

三権というのは、国家権力を大きく3つに分類したもので、国家権力が一つの機関に集中しないように分散させるというのが三権分立の考え方でしたね。

このうちの「司法」を管轄しているのが裁判所です。
裁判所は、司法権を行使する役所なので、「司法機関」とか「司法官庁」と呼ばれます。


そして司法書士は、司法機関である裁判所に提出する類を作成するなので、「司法」書士といいうわけです。

はい、もう答え出ました。


司法書士の歴史は、またそのうち時間があるときに詳しく書こうと思いますが、ここでは簡単にふれておきます。

日本に司法書士という存在が公式に現れたのは明治時代(1872年)。
近代的な司法制度を急いで作り上げなければならなかった時代に、司法職務定制(明治5年太政官達)という、法制史の教科書なんかに出てくる古い法令(太政官達)が制定されまして、ここで「代書人」として登場します。

第42条第1に、「各区代書人ヲ置キ各人民ノ訴状ヲ調成シテ其詞訟ノ遺漏無カラシム」とあります。

訴状を作成する人として、代書人という職業が制定されたのです。

ちなみに、同じ司法職務定制の中で、「田畑家屋等不動産ノ売買賃借及生存中所持物ヲ人ニ贈与スル約定書ニ奥印」することを職務とする証書人(今の公証人)と、「自ラ訴フル能ハサル者ノ為メニ之レニ代リ其訴ノ事情ヲ陳述シテ枉冤無カラシム」ことを職務とする代言人(今の弁護士)も一緒に登場しました。


その後、「代書人」という職業は、あまり世間的に華々しく活躍することはありませんでしたが、裁判所構内等で、せっせと地道に裁判書類の作成する仕事をしておりました。


今のように「司法」と頭につくようになったのは、大正8年(1919年)。
司法代書人法という法律が制定され、代書人は「司法代書人」となりました。
世間には、司法職務定制より続く裁判書類の作成以外に、一般的な書類の作成(代書)をする人らがあふれており、それらの人ら(一般代書人)と区別するために、「司法」と付けたわけですね。

この法律では、司法代書人は地方裁判所の所属ということになっていました。


で、何やかんやあって今に至ります。

「何やかんや」に司法書士の歴史がぎゅっと詰まっているわけですが、今日のところは飛ばしましょう。


今では、さすがに裁判所の所属ではなく、裁判所からは独立した資格になっておりますが、裁判所との関わりは途切れずに続いております。
現行の司法書士法3条1項4号でも、変わらず「裁判所に提出する書類の作成」(長ったらしいので、一般に「裁判書類作成」といわれています)が業務として規定されています。

これに加えて、法務大臣の認定を受けた司法書士は、簡易裁判所での訴訟代理権(いわゆる簡裁代理権)を付与され、簡易裁判所では、書類の作成だけでなく法廷に立って代理人として訴訟行為を行うことも業務となっています(3条1項6号)。
明治時代は、「代書」のみをその職務としていましたが、現在は、一部「代言」もその職務に加わっているということになります。


さらに近年では、司法書士は、専門職後見人として最も多く成年後見人等に選任されています。
成年後見人等の選任や監督は家庭裁判所の管轄です。

成年後見業務自体は司法書士法上の独占業務ではありませんが、司法書士法施行規則31条に「後見人、保佐人、補助人、監督委員その他これらに類する地位に就き、他人の法律行為について、代理、同意若しくは取消しを行う業務又はこれらの業務を行う者を監督する業務」というのが、司法書士の(非独占)業務として規定されています。

裁判所の所属ではなくなったとはいえ、裁判書類の作成と簡裁代理に加えて、成年後見業務が加わった現在の司法書士の仕事は、裁判所と深く関わっているといえます。


「司法」というと、世間的には「裁判官、検察官、弁護士」(いわゆる法曹三者)のイメージが強いですが、「司法」と名の付く司法書士も、実は目立たないところで司法と関わっているということで、以後お見知りおきください。


・・・とかいいつつ、次回は、司法書士と「行政」の関わりについて書こうと思います。

では、今日はこの辺で。

2016年3月23日水曜日

日本ライフ協会の事業譲渡が白紙になり破産へ

司法書士の岡川です。

このブログでも過去に経緯を取り上げておりますが、日本ライフ協会が、民事再生手続から一転、破産手続を開始するようです。

日本ライフ協会の問題を整理しますと、

1.高齢者等の会員から預かっていた預託金を事業資金として流用していたことが発覚し、

日本ライフ協会の預託金流用問題

2.自力での事業継続が困難となって民事再生手続の申立てを行い、

日本ライフ協会が民事再生法適用申請した件

3.一般社団法人日本えにしの会への事業譲渡を行った上で解散する方針が決定していました。

日本ライフ協会が解散?事業継続?


日本ライフ協会が行っていた事業は、えにしの会が全部引き受けて、日本ライフ協会自身は解散する予定でした。
その事業譲渡契約は、3月3日に既に締結済みでしたので、あとは契約に基づいて事業譲渡の手続きを進めてとりあえず日本ライフ協会の会員はサービスを継続して受けられるという話になっていました。

ところが、ここにきて、えにしの会が「資金調達ができない」という理由でその契約を解除しました。

今更事業譲渡が白紙撤回されても、日本ライフ協会が立ち直る余力はありませんし、そもそも事業譲渡先(全国規模の事業を引き受けられる先)としては、えにしの会が唯一の候補であったようです。

日本ライフ協会の事業を継続させるためには、事業譲渡しか方法はなく、えにしの会に事業譲渡ができないとなれば、日本ライフ協会に残された道は、事業をどこかに承継することもなく、ただ破産するのみということになりました。


いくら救済にきた立場にあるとはいえ、事業譲渡契約も立派な契約であり、契約当事者は対等な立場にあります。
成立した契約を一方的に破棄するということは、本来認められることではありません。
両法人間の事業譲渡契約の条項がどうなっていたかはわかりませんが、基本的には、えにしの会側の債務不履行となる可能性があります。
今後、えにしの会に対する何らかの責任追及が行われることになるかもしれません。


とはいっても、実際問題として引き受けられないものはどうしようもないし、そもそも経営破綻したこと事態は日本ライフ協会自身の問題です。

残念ながら、他に譲渡先がないのであれば、事業譲渡も自力での再建もできず、破産して解散するしかありません。
そのためサービスは3月末日で終了するようです。


管財人は、同種のサービスを行っている事業者リストを元会員に配布したようです。

もっとも、一連の問題で、身元保証サービスというものの問題が露呈することになったところ。
仮に元会員の皆さんが他の事業者を見つけて同じような契約をするにしても、また不正に巻き込まれることのないように、さらに慎重になる必要があります。

そもそも、本当に「身元保証」が必要であるのかというところから再度検討する必要もあります。
「身元保証」というものは、その意義や合理性が疑問視されている制度であり、専門家の間では身元保証制度そのものを廃止すべきという考えも強く主張されているものです。

身元保証に限らず、同種の事業者が行っている各種サービスについても、そのサービスが本当に自分自身に必要なサービスなのか見極めてから契約しなければなりません。
特に、サービスが全て「プラン」としてまとめられ、一括で契約していると、自身にとって不要なサービスも契約しているかもしれません。

場合によっては第三者の意見も聞きながら、焦らずじっくり検討しましょう。


というわけで、例によってここからは宣伝なんですけど、私は、専門職後見人として成年後見制度に力を入れております。
将来の不安を解消するためには、任意後見契約や死後事務委任契約、遺言という手段もありますので、ぜひご相談ください。

任意後見契約制度について(事務所ホームページ)

では、今日はこの辺で。

2016年3月17日木曜日

「他に相続人はいない」旨の上申書が不要に

司法書士の岡川です。

またまた相続登記に関する法務省の通達(平成28年3月11日法務省民二第219号)が出ました。

例によって実務的な話になりますが、あまり高度なことではありませんので興味のある方はどうぞ。

相続を原因とする移転登記、いわゆる「相続登記」ですが、相続登記を申請するには、基本的には、相続関係を証明するための書類として、戸籍謄本を添付します。

相続登記は、相続人全員の住所氏名がわからなければなりません。。

法定相続分どおりに共有名義にする場合はいうまでもないですが、遺産分割に基づいて単有名義にする場合も、遺産分割協議は相続人全員でしなければなりませんので、やはり、全員の住所氏名が必要になります。


要するに、相続登記に必要とされている添付書類は、「登記申請人や遺産分割協議の参加者が相続人である」ということを証明できなければなりませんが、それだけでは足りず、その人(達)以外に他に相続人がいないことまでが、(少なくとも書類審査でわかる範囲で)証明できていなければいけないことになります。


そのために 、戸籍謄本だけでなく、除籍謄本やら改製原戸籍なども含めて、被相続人の古い戸籍まで全部そろえなければなりません。

例えば、ある人が子を産み、その子が結婚して戸籍から抜けた後に、他市へ転籍(本籍地を移転)したとします。
このとき、最新の戸籍には、転籍前にすでに戸籍から抜けていた子のことは一切記載されません。

つまり、転籍や戸籍が改製される前の除籍や原戸籍には載っていて、最新の戸籍や除籍には載っていない相続人というのが存在するので、それを見つけるために古い戸籍類が必要なのです。


ただ厄介なのは、除籍や原戸籍というのは保存期間というのがあり、あまり古いものは市役所が廃棄してしまっていることがあるのです。
保存期間は過去に延長されたりもしましたが、延長される前に廃棄されたものはどうしようもない。
そうすると、古い戸籍を請求しても、市役所から「これより前のものは廃棄されているので出せません」と言われます。


そんなとき、必要な書類がそろわないから未来永劫相続登記ができないか、ということになるとそういうわけにもいきません。

そこで、残存する戸籍類からわかる相続人全員が、「私たちの他に相続人はいません」ということを証明した上申書(実印を押して印鑑証明添付)を、戸籍類と一緒に登記申請の際に添付すれば、相続登記は受理される、というのが登記実務の扱いでした。

でもこれって非常におかしなことで、相続人にだって他に相続人がいるかどうかなんてわからないし、厳密な意味で証明などしようがない。
でも、そんなこと言っててもしょうがないので、「いません」と言い切ってしまうしかないので、細かいことは気にせずに上申書を出して登記を通してもらうわけです。

もっとも、理屈としておかしいことに目を瞑ったとしても、実際問題として、「相続人全員の上申書」というものを取得できないこともあります。
ケースバイケースの部分もありますが、上申書も揃わないようだと登記は受理してもらえないという事態が生じることもあり、この「除籍謄本の代わりに上申書で登記」というのも万能ではなかったのです。


という前提がありつつの、今回の通達の話。

今回の通達では、この上申書は添付不要だということになりました。
以下、通達より引用
「他に相続人はない」旨の相続人全員による証明書を提供することが困難な事案が増加していることなどに鑑み,本日以降は,戸籍及び残存する除籍等の等本に加え,除籍等(明治5年式戸籍(壬申戸籍)を除く。)の滅失等により「除籍等の等本を交付することができない」旨の市町村長の証明書が提供されていれば,相続登記をして差し支えない

結局のところ、上申書なんかあってもなくてもあんまり意味ないし、その割には、出せなくて登記できないという不都合も生じていることから、この取り扱いを維持することはデメリットの方が大きいということでしょう。

今後は、取得できる限りの必要な戸籍類を全部添付(これは当然)して、廃棄されたものは廃棄証明を出せば、必要な戸籍類が完全に揃っていなくても相続登記が受理されることになります。

なお、壬申戸籍は除くということになっていますが、壬申戸籍というのは、そもそも一般に交付されていない古い戸籍なので、「わざわざ市町村長の証明などなくても、交付できないのは周知の事実だからそんなもんいらん」ということだと思われます。

戸籍が揃わないケースというのは頻繁にあるので、司法書士にとっては大きな意味を持つ通達なのでした。

では、今日はこの辺で。

2016年3月11日金曜日

「一人遺産分割協議」の問題とその周辺

司法書士の岡川です。

今日の記事はちょっと専門的な話にもなりますが、あんまり高度なことではありませんので、興味があれば読んでくださいね。


一昨年あたりから同業者の間で話題になっていたことですが、いわゆる「一人遺産分割協議」の問題があります(こちらの記事も参照→「華麗なる一人芝居」)。

例えば、Aさんが不動産を所有しているとします。
そして、Aさんの法定相続人は、その妻であるBと、ABの子であるCの二人だったとします。

Aさんが死亡しましたが、相続登記はしていませんでした。
そのうちに、Bさんも死亡しました。

CさんがA名義から直接C名義に相続登記をすることはできるでしょうか?という問題です。


このとき、Bが存命中にBC間で「Cが相続する」という内容の遺産分割協議が成立しており、遺産分割協議書も作成していたとすれば、それを添付して申請すれば、直接C名義に相続登記することは問題なさそうです。

ただ、BC間で遺産分割協議は成立していたとしても、「遺産分割協議書」の形で書類として残っていないという場合もあります。
この場合はどうでしょうか?
さらに、もしBC間で何も話し合いがなされていなかった場合はどうでしょう?

いずれの場合も、従前は、Cが書類を作成することでAからCへ直接相続登記をすることができました。

前者の場合、「BC間でCが取得するという内容の遺産分割がありました」という内容の「遺産分割協議証明書」をCが作成すればよい。
後者の場合、Cが一人で「Aの相続人C」と「Aの相続人であるBの相続人C」の立場で遺産分割協議を行い、遺産分割協議書なり遺産分割決定書なり(タイトルは自由です)の書類を作成すればよいわけです(これが「一人遺産分割協議」です。)。

こういう登記は、法務局によっては以前から受理されないこともあったようですが、多くの法務局では受理されていたと思われます(私もやったことありますし)。


ところが、後者の事案(BC間で遺産分割協議がされていなかった場合)について、これを違法とする東京高裁の裁判例(東京高判平成26年9月30日)が出てしまいました。
その理屈は、遺産分割協議は相続人が複数存在する場合にしか観念できないので、相続人がCだけになってしまった段階では、もはや「遺産分割」ということはあり得ない、ということです。
となると、まずはBCの共有名義に相続登記をし、その次にBからCに持分の相続登記をしなきゃならんわけです。


実務を真っ向から否定する裁判例に対し、司法書士の間では、「東京高裁さん何してくれてんねん」という話になってたんですね。

司法の終局的な解釈である裁判例と、行政の解釈で運用される登記実務はしばしば食い違うことがありますが、この件に関しては、東京高裁判決が出た瞬間全国の法務局で、「一人遺産分割協議」に基づく相続登記申請は受理されない取り扱いが一般化しました。
運悪くそのタイミングで申請して審査中だった人なんかは、取下げしなければ申請却下を食らうハメに。


そして、このたび法務省の通達がありまして、「一人遺産分割協議」の事例については受理しないことで確定のようですが、「BC間で遺産分割協議が成立していたが、それを証明する書類が残っていない場合」については、Cが作成した遺産分割協議(があったことの)証明書を添付すれば登記可能ということになりました。

きちんと「あったこと」を証明しなければなりません。
実際にBC間で一切話し合いがなされていなければこの方法は使えませんので、まずBC共有名義への相続登記を経由する必要があります。


以後、この取り扱いで確定ということになりますね。


さて、ここで間違ってはいけないのは、これは、「相続を原因とする移転登記申請」の話だということ。

似ているようですが、「相続人が直接自己名義でする保存登記」は別の話です。

保存登記については、相続人が何人いようが、間に何回相続が行われていようが、遺産分割があろうがなかろうが、現在の相続人名義で直接登記をすることができます。
つまり、保存登記では、登記されるまでの権利変動の過程を逐一記録する必要がないということです。

先の例でいえば、そもそもA名義で登記がなされていなければ(建物を建てたまま未登記の場合等)、BC間の遺産分割の有無にかかわらず、CがAの唯一の相続人としてC名義の保存登記をすることができるわけです。

遺産分割の有無にかかわらず現在の相続人が直接登記申請人になれるわけですから、遺産分割協議の存否で結論が変わる東京高裁判決の射程外だということになります。


この判決が出た後に、相続人による保存登記を申請したところ、法務局から「遺産分割があったことの証明書」を出せ(出せないなら取り下げろ)と補正指示を受けたことがあります。
保存登記では、そもそも遺産分割がなくても問題ないのだからそんな書面必要ないと(参考資料を提出して)説明したら受理されました。
法務局でも混乱してた時期だったのかもしれません。


ちなみに、保存登記は現在の相続人から申請できるとする資料としては、登記研究407号85頁や登記研究443号93頁あたりを参考にどうぞ。

では、今日はこの辺で。

2016年3月2日水曜日

成年後見人の監督義務(名古屋の認知症患者の列車衝突事故に関する最高裁判決を踏まえて)

司法書士の岡川です。

名古屋の認知症患者が徘徊して列車と衝突して死亡し、遺族がJRから損害賠償を請求された事件について、最高裁判決が出ました(名古屋高裁の判決については、こちらを参照→「認知症患者の家族の損害賠償責任」)。

結論としては、JR側の請求を全て棄却し、家族の監督義務者としての損害賠償責任が否定されました。
このような事案で、介護家族の損害賠償責任を肯定してしまうと、認知症患者は家や施設内に厳重に閉じ込めておかなければならなくなります。
最高裁の判断は、極めて妥当な結論だといえます。

全ての問題が解決したわけでなく、新たな問題(今後、こういう事例で誰が被害者を救済するのか等)も生まれていますが、認知症患者を介護する家族にとって画期的な判決だといえるでしょう。


ところで、今回の判決は、成年後見制度にとっても非常に重要な内容が書かれています。

すなわち、判決理由中で「保護者や成年後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者に該当するということはできない」と判示されているのです。
実は、この部分は、非常に重要な意味を持っています。


介護家族の責任の問題は、ニュース等で散々報道されているので、ここでは少しそこから外れて、成年後見制度との関係で今回の判決を見ていくことにします。


民法714条では、「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」と規定されています。

「監督する法定の義務を負う者」とは具体的に誰なのかが問題となりますが、従来、親権者や未成年後見人とならび、精神保健福祉法上の「保護者」(ただし、保護者制度は平成25年改正により現在では廃止されています)や「成年後見人」が挙げられていました。

多くの民法(不法行為法)の基本書を始めとする各種書籍や論文において、成年後見人が法定の監督義務者にあたるというのは、あえてその理由を論じるまでもない当然の前提として紹介されています。
すなわち、法定の監督義務者とは、典型的には「本人が未成年であれば親権者、成人であれば成年後見人」であって、その他にどういう人が監督義務者にあたるか、というような議論がされてきたわけです。


これには、歴史的な背景があります。

かつての禁治産制度(成年後見制度の前身)では、禁治産者に付けられた成年後見人には、「禁治産者の資力に応じて、その療養看護に努めなければならない」とする療養看護義務が課されていました。
さらに加えて、精神保健福祉法により、成年後見人は、当然に第一順位の「保護者」になりました。
保護者には、かつては、「精神障害者に治療を受けさせるとともに、精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督」する自傷他害防止監督義務が課されていました。
精神保健福祉法制定当初(まだ精神衛生法であったころ)は、保護者には精神障害者の保護拘束の権限も存在し、本人の保護というより社会防衛の側面が強い法律であったことがわかります。

このような法制度であったことから、成年後見人が民法714条にいう法定の監督義務者であるのは当然であり、かつ、成年後見人こそ民法714条の想定する典型例だと考えられていたわけです。

これがいわば従来の通説でありました。
また、判例や下級審裁判例においても、私の知る限り、直接的に成年後見人の責任が問われたものはありませんが、精神保健福祉法上の「保護者」が法定が監督義務者であるのは当然の前提とされてきました。


ところが、精神障害者をめぐる法制度に平成11年に大きな転換があります。
すなわち、禁治産制度が廃止され、精神障害者の自己決定の尊重やノーマライゼーション(残存能力の活用)といったことが理念に置かれた現行の成年後見制度が開始されます。

成年後見制度では、かつての成年後見人に課されていた禁治産者の「療養看護に勤める義務」という規定は削除され、その代わりに「成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない」とする身上配慮義務が課されます。
さらに、精神保健福祉法からも上記の自傷他害防止監督義務は削除され、成年後見人が当然に保護者となっても、同法上の自傷他害防止義務を負うことはなくなりました。


このように、平成11年の前後で成年後見人の法律上の地位やそれに伴う義務の内容は大きく変わっています。
同年の改正以後の成年後見人は、成年被後見人を保護する支援者であって、第三者との関係において成年被後見人の行動を監督するような立場ではなくなっています。
また、精神保健福祉法の保護者の制度は平成25年まで残りますが、これも、文字通り「本人を保護」するために治療を受けさせる義務を負ったり、医療保護入院の同意権を有しているにとどまり、社会防衛的な意味は有していません。


ところが、「法定の監督義務者の典型例は成年後見人である」という考え方が、あまりにも当然であり、通説の地位を得ていたものですから、平成11年の改正後においても、これが「通説」として通用してきました。
成年後見法分野においては、従来の「通説」はもはや通用しないという考えが広まっていたものの、民法学者(不法行為法分野)においては、根強く残っていたようです。
もちろん法改正の経緯と成年後見制度の現状を意識する学者も中にはいて、責任を限定するような見解もありましたが、そもそも「法定の監督義務者の典型例は成年後見人である」という大前提を否定する見解は少数にとどまっていたように思います(統計をとったわけではありませんが、ざっと調べた限りの印象です)。

裁判所の意識としても、平成11年以後、精神障害者の不法行為に関する裁判例がいくつか出ていますが、やはり正面から保護者や成年後見人の責任を否定することはなく、むしろ「当然の前提」とされているものが見られます。

現に、今回の原審である名古屋高裁では、成年後見人が法定の監督義務者であることを明確に前提とした法律構成となっており、仮に被告(亡くなった方の長男)が成年後見人であったならば、そのことを理由に責任が肯定されていた可能性が高いものと思われます。


ところが、今回の最高裁では、このような従来の見解が否定され、成年後見人というだけでは民法714条にいう法定の監督義務者ではないと判示されています。
理由はまさに、平成11年以後の成年後見人の法律上の地位に基づきます。

小法廷の5人の裁判官のうち、裁判長を含む4人が成年後見人は法定の監督義務者でないとしています。
そのうち、特に木内道祥裁判官の補足意見が法改正の沿革と成年後見制度の実情について詳しく述べています。

ただ、大谷剛彦裁判官の意見だけはこれと異なって、従来通り成年後見人の監督義務を肯定しています(ただし、その義務は緩和されている)。
しかし、その理由として「従前との連続性を踏まえて解釈」すべきとする論旨は理解しがたいものです。
法制度が連続性を絶っているのだから、解釈論としても連続性をもたせなければならない理由はありません。


今回の最高裁判決は、法改正の趣旨に沿ったもので、法改正前の意識を引きずっていた従来の「通説」を明確に否定する、成年後見制度にとっても、非常に大きな意義をもつ判決だといえます。

実際には家族の責任が争点になったものではありますが、それにとどまらない重要な判決になりました。

では、今日はこの辺で。