2016年12月28日水曜日

失火の法的責任

司法書士の岡川です。

年末も押し迫った時期ですが、糸魚川にて大変な火災が起きましたね。

約150棟が焼けたようです。

損害は甚大ですが、幸いなことに死者は一人も出なかったようです。

さて、火災の原因は中華料理店で店主が鍋に火をかけたまま外出したことらしく、当然ですが、この店主の法的責任が問題となります。

法的責任というと、大きく民事上の責任と刑事上の責任が考えられます。

まず民事上の責任としては、過失により他人に損害を与えたら損害賠償をしなければならないという、不法行為の問題となります。
失火も当然他人に損害を与えていますので、損害賠償責任の問題が生じます。

ただし、木造家屋が多い日本では、失火による被害が拡大されやすいため、とても責任を負いきれません。
そこで民法709条の不法行為の規定の特別法として、失火による損害賠償責任を軽減する、その名もズバリ「失火ノ責任ニ関スル法律(明治三十二年法律第四十号)」という法律があります。
略称「失火責任法」というこの法律、条文は次の1つだけ。

民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス

要するに、失火の場合、原則として民法709条(不法行為)は適用しない(つまり不法行為責任は負わない)が、例外的に、重過失があるときは適用する(不法行為責任を負う)というものです。
被害者にとってはたまったものではないですが、それは、被害者が各自きちんと保険でカバーしましょうということになります。

ちなみに本件では、鍋に火をかけたまま外出するという、まあまあ重過失っぽいことをやってしまっていますので、責任を問われる可能性も高いでしょう。
もっとも、責任を負いきれないことは間違いなく、そうなると自己破産という話にもなるかもしれませんね。


刑事上の責任としては、放火罪とは別に、失火に関する犯罪類型というのが存在します(刑法116条以下)。
単純な失火罪であれば、50万円以下の罰金という比較的軽い犯罪なのですが、今回は、業務上失火罪にあたる可能性がありますので、その場合は、最大で3年の禁固の可能性があります。

ただ、今回は死者は出なかったものの、けが人は出たようなので、失火罪だけでなく、業務上(重)過失致傷罪が成立する可能性があります。
その場合、5年以下の懲役又は禁固に処されることになりますね。


というわけで、年末にあまりおめでたくない話題となってしまいましたが、火を使うことも多く、乾燥する時期ですので、皆さん失火には十分お気を付けください。

では、今日はこの辺で。

よいお年を。

2016年12月14日水曜日

認知症の人による事故に備えた社会的補償の必要性

司法書士の岡川です。

認知症の人が起こした事故について、社会的救済の仕組みの重要性が認識されつつあるところ、新たな制度が創設されそうな雰囲気があったわけですが、どうやら雰囲気だけで終わったようです。

認知症事故の公的補償見送り 連絡会議「民間保険で」

認知症の人による事故やトラブルの補償のあり方を検討してきた厚生労働省や国土交通省などによる連絡会議は13日、公的な補償制度の創設を見送る方針を決めた。徘徊(はいかい)中の認知症男性の列車事故で家族が損害賠償を求められた訴訟の最高裁判決を受けて協議してきたが、民間保険の普及や地域での見守り体制整備などで対応できると判断した。


議論のきっかけとなったのは、JR東海の認知症患者が引き起こした事故で、家族の損害賠償責任が否定された最高裁判決です。

この事件について、詳しくは過去の記事参照→「成年後見人の監督義務(名古屋の認知症患者の列車衝突事故に関する最高裁判決を踏まえて)

JR東海の事件自体は、家族の監督責任の成否が争点となっていましたが、これが(原則として)否定されることになり、結論としては妥当な判断だったわけですが、これを一般論として考えると、「認知症の人が他人に損害を与えた場合に、被害者は誰からも損害を補償してもらえない」という問題が生じます。

JR東海事故では、たまたま被害者が大手鉄道会社であり、かつ、損害といっても何らかの保険で填補される(詳しくは知りませんが)可能性もあるでしょうから、実害はそれほどない。
むしろ、「それで(直接の加害者ではない)家族に責任を問うのはおかしい」という話で済みました。

しかし、もし被害者が個人であったら、感情的には「被害に遭ったのに、誰も責任を問われないのはおかしい」という話も出てきます。


なぜこういうことになるかといえば、まず、加害者本人は責任能力が否定されることによって賠償責任を負わない。
そして、「過失責任の原則」や「自己責任の原則」がありますので、加害者以外の人が賠償責任を負わないのが民法の原則です。


民法上、誰の責任を問うこともできないのであれば、被害者を救済するには何らかの公的な補償の仕組みを作るしかない。
そういう発想から議論が始まっていたはずなのですが、今回それが「必要ない」という結論に至ったようです。


記事によると、

民間保険を利用したケースでは、認知症の人の加害行為で親族などが個人賠償を負ったのは1社あたり年数件ほど、損害額は数十万円ほどだった。

とありますが、そもそも「親族など」が賠償してくれるのであれば、それはそれでよいのです。
この場合、親族が賠償することで被害救済となり、かつ、親族としても保険(賠償責任保険)に入っていれば、保険金で填補されるからです。

そうではなく、親族の賠償責任が否定される場合が問題になるわけです。

被害者は、認知症の加害者本人が責任無能力者であれば、損害賠償請求できません。
そして、一般的な賠償責任保険は、被保険者の責任能力が否定される場合は、保険金が出ません。

最近は、被保険者の親族が監督責任を負う場合は、監督義務者としての損害賠償に対しても保険金が出るように約款が改定されているようですが、それでも親族も監督責任を負わないのであれば保険金が出ません。
なぜなら、賠償責任保険というのは、被保険者が第三者に対して損害賠償を支払うことになった際に、その損害賠償金に相当する額を保険で填補するためのものだからです。
この仕組みについては、過去の記事も参照→「自動車保険の仕組み(加害者側の保険)

保険会社からすれば、被保険者(やその家族)が誰も損害賠償責任を負っていないのに、損害賠償金を填補するための保険金を出してやる理由がないわけです。
仮に、「誰も賠償責任を負わない場合であっても、保険金を出す」という太っ腹な保険商品が出たとしても、認知症の人やその家族からすれば、賠償責任を負わないのであれば「賠償金を支払うことになる場合に備えて保険に入っておこう」という動機づけがありません。

ひとつの方策としては、責任無能力者制度を廃止する(そのうえで、保険加入を促進する)という議論もあるのですけど、あまり有力に主張されてはいませんね。


そうなると、専ら被害者側の保険(傷害保険とか生命保険)で被害救済するしかないことになります。
つまり、自分が転んでケガをしたり、自損事故を起こしたりした場合と同様に、「責任無能力者から事故を起こされた場合」にも備えて、保険に入っておこう、という話になるわけですね。


加害者側に立ってみると、確かに今ある民間保険に入っていれば「責任を負わないか、責任を負う場合でも保険で補償される」ので公的補償制度など必要ないのかもしれませんが、そもそも被害者側からみて、救済されない場合をどうするか、という問題だったと思うのですが…。

とりあえず自分の身は自分で守りましょう(被害に備えた保険に入ろう)ということになるんですかね。


では、今日はこの辺で。