司法書士の岡川です。
法律上、「人」には「自然人」と「法人」の2種類があります。
「自然人」というのが、一般的な意味での「人」つまり「人間」のことで、自然人は生まれながらにして「人」です。
これに対し、「法人」という概念があります。
法人は、自然人以外で法律上「人」としての地位(法人格)を与えられ、権利義務の主体となりうる存在をいいます。
つまり、その存在自体が、人間(自然人)と同じように、法律関係の当事者になることができるのです。
例えば、株式会社は、会社法3条により法人とされています。
株式会社の実体は、その構成員(株主)の集まりです。
「法人」という法技術が存在しなければ、会社が事業を行うにしても、会社自体がその主体となることができないので、例えば、事業のために何か物を買おうとしても、「会社が物を買って、会社の所有物になる」ということが観念できないことになります。
そうすると、構成員たる株主全員が取引相手から物を買って株主全員の共有物とするか、あるいは誰か代表を決めてその人が物を買い、その人の持ち物とすることになります。
法人制度の存在を前提とすれば、法人である株式会社自体が権利義務の主体となるので、株式会社名義で土地を購入したり売却したり、株式会社名義でお金を借りたり、株式会社名義で税金を納めたり、といったことができます。
法人は、各種の法律に基づいて設立されるのですが、色んな種類があります。
株式会社、合同会社、相互会社、公益社団法人、特定非営利活動法人、一般社団法人、医療法人、学校法人、司法書士法人、社会福祉法人、宗教法人、農業協同組合、商工会議所、国民健康保険組合…
これらはいずれも法人の種類であり、そのごくごく一部です。
見落としがちですが、都道府県や市町村なんかも法人です(地方自治法2条)。
また、日本という国も法人です。
実は、国が法人であることは、どの法令にも明記されていませんが、当然の前提であると考えられています。
ところで、商品やサービスを提供している企業が、「個人向け」「法人向け」といったふうに顧客を分類していることがあります。
パソコンとか携帯電話とか、あるいは通信サービス等もそうですね。
ここでいう、「個人」と「法人」の区別は、正確には「一般消費者」と「事業者」の区別に対応しているのだと思われます。
つまり、個人事業主は、通常「法人向け」のサービスが適用されるように思います。
「法人」にそういう意味は無いので、この「法人」の使われ方には、ものすごく違和感を覚えます。
いくら企業であっても、法人格がなければ「法人」じゃないのですから。
私の事務所は個人事業主なので、法人向けのサービスを説明されたりするときは、一応「うちは法人じゃないんですけど」と確認しています。
法律用語は正しく使いましょう。
では、今日はこの辺で。
続きはこちら→公法人と私法人
2013年7月30日火曜日
公訴取り消しと公訴棄却
司法書士の岡川です。
誤認逮捕された男性会社員について、検察が公訴を取り消し、裁判所が公訴を棄却しました。
誤認逮捕:地検支部長、起訴取り消しの男性に謝罪 大阪(毎日新聞)
事件の概要は、ガソリンカードが盗まれ、そのカードで給油がされた様子が防犯カメラに映っていたとして、男性会社員が逮捕されたが、防犯カメラの時刻が大幅にずれていた為、その会社員のアリバイが成立したというもの。
誤認逮捕であり、誤認勾留でもあり、誤認起訴でもあります。
その後の流れとして、検察は公訴を取り消しました。
新聞報道はどれも「起訴の取り消し」となっていますが、刑事訴訟法的には、正確には「起訴」を取り消したのではなくて「公訴」を取り消したのです(刑事訴訟法257条)。
「公訴」とは、簡単にいえば刑事事件において処罰を求める訴えのことです。
犯罪の疑いがある者について、公訴を提起することができるのは、原則として検察官だけです。
そして、一審判決前であれば、検察は、公訴を取り消すことができます。
起訴というのは、刑事訴訟においては、「公訴の提起」のことです。
余談ですが、民事訴訟においても「訴えの提起」のことを「起訴」という場合がありますが(「起訴前の和解」など)、訴えの提起は一般的に「提訴」といいます。
今回検察は、「こいつが犯人だ」と思って起訴したものの、間違いであることが分かったので、刑事手続をこれ以上続けることは適当でないと判断し、公訴を取り消したようです。
ただし、公訴が取り消されると、自動的に裁判手続が打ち切りになるわけではありません。
検察の公訴取消を受けて、裁判所が公訴を棄却します。
これでようやく、手続きが終了します。
公訴棄却は、有罪か無罪かを判断することなく、訴訟手続を打ち切るという裁判です。
つまり、公訴を取り消されてしまうと、終局的に「無罪」という判断が出ずに終わってしまうことになります。
有罪を宣告されない限りその人は有罪ではない(「無罪の推定」も参照)ので、公訴棄却決定だろうが無罪判決だろうが、無罪であることに変わりはないのですが、どっちが被告人のためになるかというと、裁判所に「無罪」と判断してもらう方が被告人のためになります。
したがって、被告人は、無罪判決を求めていたわけですが、検察は、裁判所に無罪判決を求めることなくフェードアウトという道を選びました。
この辺の裏事情がどうなっているかはわかりませんが、散々裁判に付き合せたのだから、堂々と無罪判決に持って行くべきでした。
まあ、ともかく、弁護人の働きで冤罪が回避できた点は良かったですね。
では、今日はこの辺で。
誤認逮捕された男性会社員について、検察が公訴を取り消し、裁判所が公訴を棄却しました。
誤認逮捕:地検支部長、起訴取り消しの男性に謝罪 大阪(毎日新聞)
窃盗事件を巡る大阪府警北堺署の誤認逮捕問題で、大阪地検堺支部は30日、窃盗罪の起訴を取り消した男性会社員に謝罪した。
事件の概要は、ガソリンカードが盗まれ、そのカードで給油がされた様子が防犯カメラに映っていたとして、男性会社員が逮捕されたが、防犯カメラの時刻が大幅にずれていた為、その会社員のアリバイが成立したというもの。
誤認逮捕であり、誤認勾留でもあり、誤認起訴でもあります。
その後の流れとして、検察は公訴を取り消しました。
新聞報道はどれも「起訴の取り消し」となっていますが、刑事訴訟法的には、正確には「起訴」を取り消したのではなくて「公訴」を取り消したのです(刑事訴訟法257条)。
「公訴」とは、簡単にいえば刑事事件において処罰を求める訴えのことです。
犯罪の疑いがある者について、公訴を提起することができるのは、原則として検察官だけです。
そして、一審判決前であれば、検察は、公訴を取り消すことができます。
起訴というのは、刑事訴訟においては、「公訴の提起」のことです。
余談ですが、民事訴訟においても「訴えの提起」のことを「起訴」という場合がありますが(「起訴前の和解」など)、訴えの提起は一般的に「提訴」といいます。
今回検察は、「こいつが犯人だ」と思って起訴したものの、間違いであることが分かったので、刑事手続をこれ以上続けることは適当でないと判断し、公訴を取り消したようです。
ただし、公訴が取り消されると、自動的に裁判手続が打ち切りになるわけではありません。
検察の公訴取消を受けて、裁判所が公訴を棄却します。
これでようやく、手続きが終了します。
公訴棄却は、有罪か無罪かを判断することなく、訴訟手続を打ち切るという裁判です。
つまり、公訴を取り消されてしまうと、終局的に「無罪」という判断が出ずに終わってしまうことになります。
有罪を宣告されない限りその人は有罪ではない(「無罪の推定」も参照)ので、公訴棄却決定だろうが無罪判決だろうが、無罪であることに変わりはないのですが、どっちが被告人のためになるかというと、裁判所に「無罪」と判断してもらう方が被告人のためになります。
したがって、被告人は、無罪判決を求めていたわけですが、検察は、裁判所に無罪判決を求めることなくフェードアウトという道を選びました。
この辺の裏事情がどうなっているかはわかりませんが、散々裁判に付き合せたのだから、堂々と無罪判決に持って行くべきでした。
まあ、ともかく、弁護人の働きで冤罪が回避できた点は良かったですね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月29日月曜日
民事と刑事
司法書士の岡川です。
「私法と公法」の話とも関係するのですが、何かトラブルに遭った場合、それに対する法的措置としては、しばしば「民事」か「刑事」かということが問題になります。
民事というのは、私法上の法律関係についての事項、つまりは、私人間(※「わたし、にんげん」ではなく「しじんかん」)の問題をいいます。
紛争解決の手段としての民事手続には、民事訴訟を始めとして、調停や家事審判、労働審判、ADR、任意交渉等様々なものがありますが、いずれも当事者同士の問題について決着を付ける手続きです。
大部分は金銭的に解決をすることになるのですが、謝罪させたり物を引渡したりといった解決もあります。
他方、刑事とは、刑法上の問題、要するに犯罪に関することです。
相手の行為が犯罪になるかならないか、処罰されるかされないかの問題です。
刑事の問題とすると、その手続きは刑事訴訟を中心とする刑事手続であり、その最終的な結論(相手が有罪か無罪か)に関して、被害者は当事者ではありません。
あるトラブルについて、民事上の問題しか生じない場合は多々あります。
たとえ何らかの損害が発生していたも、相手の行為が犯罪ではなければ刑事の問題にはなりませんので、その場合は専ら民事上の措置を講じることになります。
そしてもちろん、民事上の問題も刑事上の問題もある場合もあります。
その時は、「どういう解決を望むか」で対処の方法が異なります。
例えば、「預けていた金を着服されたので返してほしい」なら民事の問題として対処しないといけないし、「横領罪として処罰してもらいたい」なら刑事の問題として対処しなければいけません。
あるいは、その両方を望むなら、両方の対処が必要になります。
多くの場合、「訴えてやる」というのは、民事のことを念頭においているように思います。
この場合の「訴える」は、民事訴訟の原告として、相手に対して訴えを提起することを言います。
他方、「○○罪で訴えたい」というのであれば、犯罪の訴えですので、刑事の問題です。
この場合の「訴える」は、警察や検察に対し、被害者として、「相手を犯罪者として起訴してくれ」と告訴するという意味になります。
このように、何か被害を受けたときに、「訴える」といったとき、民事の問題として訴える(=民事訴訟を提起する)のか、刑事の問題として訴える(=警察や検察に告訴する)のか、どちらをしたいと思っているのかを意識してみると、自分が今何をすべきか、が明らかになってくると思います(詳しくは、「『訴える』ということの意味」)。
では、今日はこの辺で。
「私法と公法」の話とも関係するのですが、何かトラブルに遭った場合、それに対する法的措置としては、しばしば「民事」か「刑事」かということが問題になります。
民事というのは、私法上の法律関係についての事項、つまりは、私人間(※「わたし、にんげん」ではなく「しじんかん」)の問題をいいます。
紛争解決の手段としての民事手続には、民事訴訟を始めとして、調停や家事審判、労働審判、ADR、任意交渉等様々なものがありますが、いずれも当事者同士の問題について決着を付ける手続きです。
大部分は金銭的に解決をすることになるのですが、謝罪させたり物を引渡したりといった解決もあります。
他方、刑事とは、刑法上の問題、要するに犯罪に関することです。
相手の行為が犯罪になるかならないか、処罰されるかされないかの問題です。
刑事の問題とすると、その手続きは刑事訴訟を中心とする刑事手続であり、その最終的な結論(相手が有罪か無罪か)に関して、被害者は当事者ではありません。
あるトラブルについて、民事上の問題しか生じない場合は多々あります。
たとえ何らかの損害が発生していたも、相手の行為が犯罪ではなければ刑事の問題にはなりませんので、その場合は専ら民事上の措置を講じることになります。
そしてもちろん、民事上の問題も刑事上の問題もある場合もあります。
その時は、「どういう解決を望むか」で対処の方法が異なります。
例えば、「預けていた金を着服されたので返してほしい」なら民事の問題として対処しないといけないし、「横領罪として処罰してもらいたい」なら刑事の問題として対処しなければいけません。
あるいは、その両方を望むなら、両方の対処が必要になります。
多くの場合、「訴えてやる」というのは、民事のことを念頭においているように思います。
この場合の「訴える」は、民事訴訟の原告として、相手に対して訴えを提起することを言います。
他方、「○○罪で訴えたい」というのであれば、犯罪の訴えですので、刑事の問題です。
この場合の「訴える」は、警察や検察に対し、被害者として、「相手を犯罪者として起訴してくれ」と告訴するという意味になります。
このように、何か被害を受けたときに、「訴える」といったとき、民事の問題として訴える(=民事訴訟を提起する)のか、刑事の問題として訴える(=警察や検察に告訴する)のか、どちらをしたいと思っているのかを意識してみると、自分が今何をすべきか、が明らかになってくると思います(詳しくは、「『訴える』ということの意味」)。
では、今日はこの辺で。
2013年7月28日日曜日
司法書士の後見業務監督体制
司法書士の岡川です。
前回の記事の続きです。
私は司法書士なので司法書士に限っていいますが、後見人司法書士による被後見人の財産の横領事件などは絶対にあってはなりません。
そのため、司法書士は、組織的にかなり厳しめの監督体制がとられています。
理想論としては、1人の犯罪者も出さない体制というのが、市民の側、家庭裁判所の側からは求められているのかもしれません。
もちろん、犯罪というのは、最終的には個々の人間に問題があるので、どんなに立派な体制を作っても犯罪をする人間は出てきます。
どんなに死刑制度を活用しても、殺人者がゼロになることはまずあり得ないでしょう。
また、規制を厳しくすればよいというものでもなく、厳しすぎることで後見業務に支障をきたすことがあっては本末転倒です。
その辺のバランスが難しいところですが、今のところ、司法書士による円滑な後見業務を妨げる程過剰な規制にはなっているとは思いませんし、司法書士による横領事件というのも、後見事件の総数(あるいは、後見にまつわる犯罪の件数)から見れば圧倒的に少なく抑えられています。
少しでも、「専門職後見人の筆頭」たる司法書士に対する信頼を維持・向上させるため、司法書士が誇る(といってよいと思います)後見業務の監督体制を少しご紹介しましょう。
まず、司法書士の一般的な監督体制から。
司法書士は、必ず各都道府県におかれた司法書士会に所属しています。
法令違反や会則違反などがあれば、司法書士会会長から注意勧告などの処分をうけることがあります。
さらに、司法書士は、法務局(法務省の地方支分部局です)の監督下にあります。
法務局には司法書士に対する懲戒権があり、違法な行為を行う司法書士は、法務局長からの懲戒処分を受けることがあります。
最も重いもので業務禁止、いわゆる資格剥奪ですね。
ちなみに、弁護士は、国家からの不当な圧力を受けないため等の理由により、弁護士会が弁護士に対する懲戒権を有しています(「弁護士自治」といいます)。
行政機関による懲戒を受けない士業というのは、おそらく弁護士だけです。
これに加えて、後見業務の場合、家庭裁判所の監督があります。
定期的に家庭裁判所に報告をしなければなりません。
そして、今までも、何度かブログで紹介しましたが、司法書士には、後見人の育成(研修)・供給・監督を担う「公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート」(通称「リーガル」)という公益法人があります。
もちろん、司法書士は基本的に各自独立していますので、リーガルサポートに所属していなくても後見業務は行えます。
しかし、家庭裁判所に提出されている後見人等候補者名簿に登載されている司法書士は、必ずリーガルサポートに所属し、かつ所定の研修を修了しています。
このリーガルサポートを通じて、他の専門職に比べてかなり厳しい監督・指導体制が構築されています(今年から新システムが導入されるのですが、実はそこにも新たな監督システムが組み込まれているようです)。
このように、リーガルサポート所属司法書士は、後見業務に関し、司法書士会、法務局、家庭裁判所、リーガルサポートという四重の監督下にあります。
司法書士の後見人による不正が比較的少ない理由のひとつが、この監督体制にあるのかもしれません。
「監督がなくても不正はしない」という高い倫理観を持った大多数の司法書士にとっては、ただ煩わしいだけのシステムともいえるのですが、それ以上に、不正を目論む不届者が業務をしづらい体制というのは、やはり必要なのだと思います。
それに、故意の不正は論外ですけど、細かいところで、適切でない処理をやってしまう可能性もあるわけで、それが重大な過誤になる前に是正できる体制というのは、善良な司法書士とっても有用なわけです。
というわけで、成年後見制度に関心がある方は、ぜひ地元のリーガルサポートまでご相談ください。(宣伝)
連絡先が分からなければ、市役所の福祉関係の窓口で聞けば、案内してくれるはずです。(宣伝)
いや、ブログを読んでいるということはネットが使えるのですから、「リーガルサポート+都道府県」で検索検索!(宣伝)
ちなみに、リーガルサポート本部と大阪へは→にリンクが張ってます。(宣伝)
では、ステマどころか露骨な宣伝も終わったところで、今日はこの辺で。
前回の記事の続きです。
私は司法書士なので司法書士に限っていいますが、後見人司法書士による被後見人の財産の横領事件などは絶対にあってはなりません。
そのため、司法書士は、組織的にかなり厳しめの監督体制がとられています。
理想論としては、1人の犯罪者も出さない体制というのが、市民の側、家庭裁判所の側からは求められているのかもしれません。
もちろん、犯罪というのは、最終的には個々の人間に問題があるので、どんなに立派な体制を作っても犯罪をする人間は出てきます。
どんなに死刑制度を活用しても、殺人者がゼロになることはまずあり得ないでしょう。
また、規制を厳しくすればよいというものでもなく、厳しすぎることで後見業務に支障をきたすことがあっては本末転倒です。
その辺のバランスが難しいところですが、今のところ、司法書士による円滑な後見業務を妨げる程過剰な規制にはなっているとは思いませんし、司法書士による横領事件というのも、後見事件の総数(あるいは、後見にまつわる犯罪の件数)から見れば圧倒的に少なく抑えられています。
少しでも、「専門職後見人の筆頭」たる司法書士に対する信頼を維持・向上させるため、司法書士が誇る(といってよいと思います)後見業務の監督体制を少しご紹介しましょう。
まず、司法書士の一般的な監督体制から。
司法書士は、必ず各都道府県におかれた司法書士会に所属しています。
法令違反や会則違反などがあれば、司法書士会会長から注意勧告などの処分をうけることがあります。
さらに、司法書士は、法務局(法務省の地方支分部局です)の監督下にあります。
法務局には司法書士に対する懲戒権があり、違法な行為を行う司法書士は、法務局長からの懲戒処分を受けることがあります。
最も重いもので業務禁止、いわゆる資格剥奪ですね。
ちなみに、弁護士は、国家からの不当な圧力を受けないため等の理由により、弁護士会が弁護士に対する懲戒権を有しています(「弁護士自治」といいます)。
行政機関による懲戒を受けない士業というのは、おそらく弁護士だけです。
これに加えて、後見業務の場合、家庭裁判所の監督があります。
定期的に家庭裁判所に報告をしなければなりません。
そして、今までも、何度かブログで紹介しましたが、司法書士には、後見人の育成(研修)・供給・監督を担う「公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート」(通称「リーガル」)という公益法人があります。
もちろん、司法書士は基本的に各自独立していますので、リーガルサポートに所属していなくても後見業務は行えます。
しかし、家庭裁判所に提出されている後見人等候補者名簿に登載されている司法書士は、必ずリーガルサポートに所属し、かつ所定の研修を修了しています。
このリーガルサポートを通じて、他の専門職に比べてかなり厳しい監督・指導体制が構築されています(今年から新システムが導入されるのですが、実はそこにも新たな監督システムが組み込まれているようです)。
このように、リーガルサポート所属司法書士は、後見業務に関し、司法書士会、法務局、家庭裁判所、リーガルサポートという四重の監督下にあります。
司法書士の後見人による不正が比較的少ない理由のひとつが、この監督体制にあるのかもしれません。
「監督がなくても不正はしない」という高い倫理観を持った大多数の司法書士にとっては、ただ煩わしいだけのシステムともいえるのですが、それ以上に、不正を目論む不届者が業務をしづらい体制というのは、やはり必要なのだと思います。
それに、故意の不正は論外ですけど、細かいところで、適切でない処理をやってしまう可能性もあるわけで、それが重大な過誤になる前に是正できる体制というのは、善良な司法書士とっても有用なわけです。
というわけで、成年後見制度に関心がある方は、ぜひ地元のリーガルサポートまでご相談ください。(宣伝)
連絡先が分からなければ、市役所の福祉関係の窓口で聞けば、案内してくれるはずです。(宣伝)
いや、ブログを読んでいるということはネットが使えるのですから、「リーガルサポート+都道府県」で検索検索!(宣伝)
ちなみに、リーガルサポート本部と大阪へは→にリンクが張ってます。(宣伝)
では、ステマどころか露骨な宣伝も終わったところで、今日はこの辺で。
2013年7月26日金曜日
成年後見人による財産管理
司法書士の岡川です。
また、後見人による不祥事です。
被成年後見人の保険金 弁護士口座で管理 家裁に未報告、解任(河北新報)
今回のケースは、今のところ横領などの違法行為は確認されていないようで、その点は良かったのですが、2億6000万円もの財産を家庭裁判所に報告しないという行為は、極めて不適切です。
家庭裁判所は、被後見人の財産の流れを全て把握するために、自らが網羅的に調査することは物理的に無理ですから、被後見人の財産状況は、基本的に後見人からの報告に頼ることになります(不正の疑いがあるような場合は別です)。
つまり、報告しなければ、家庭裁判所の監督が及ばない財産を手元に置いておくことが可能になります。
後見人は、被後見人の財産状況を報告するため、定期的に財産目録を作成して提出します。
そこの財産目録に2億6000万円が載っていないということになれば、仮にそれが無くなっても、家庭裁判所が気づくことができませんし、どのような用途に使用したのかも把握できません。
しかも今回のケースは、被後見人の専用口座ではなく、自分の業務用の口座で管理しており、弁護士自身の財産と混同してしまっています。
「保険金が専用口座に入ると引き出せなくなると考えた」と述べているようですが、仮に何らかの正当な事情があって、一時的に自分の口座に入れておいたとしても、家庭裁判所に報告しない理由にはなりません。
もっといえば、保険金用に別口座を作ることだってできたはずです。
意図的に被後見人の財産を「隠した」といわれても仕方ないでしょう。
専門職だろうが親族だろうが、後見人として財産管理をする場合、自分の財産と被後見人の財産を分けることは、基本中の基本です。
他人の財産を預かっているわけですから、自分の個人口座で一緒に管理したりすることは、やってはいけません。
特に、近親者の場合、正式に後見人になる前は、自分の財産から被後見人のための支出をしたり、逆に被後見人の財産から自分のための支出をしたり、財産の区別はルーズになっていることが少なくありません。
家族の財布は共通というのは珍しいことではありませんので、後見が開始する前はそれでもいいのです。
しかし、その延長で、後見人に選任された後も同じようにルーズにやっていると、結果的に被後見人の財産を流用することにつながります。
後見人となった以上は、きちんと「ここからここまでが被後見人の財産」ときっちり確定させ、財産目録を作成し、家庭裁判所に報告します。
そして、それ以後は、一円単位で帳簿をつけて管理をすることが必要です。
これは、結構大変なので、専門職後見人が選任される割合が増えているのだと思われます。
その基本中の基本を、専門職が守らないというのは、杜撰の極みなのです。
そんな杜撰なことをやるなら、報酬払って専門職が後見人になる意味がありません。
犯罪行為は見つかっていないようですが、そんな杜撰な後見人は危なっかしくて仕方ないので、解任されて当然ですね。
余談ですが、後見人の不祥事が起こると、司法書士の後見業務の監督体制が取り上げられるのは、うれしいことです。
司法書士が不正を行った側として報道されることがないよう願うばかりです。
では、今日はこの辺で。
こちらの記事もあわせてどうぞ→成年後見人と犯罪
また、後見人による不祥事です。
被成年後見人の保険金 弁護士口座で管理 家裁に未報告、解任(河北新報)
成年後見制度の成年後見人を務めた仙台弁護士会の男性弁護士が被後見人の保険金を自分の業務用の口座で管理し、管理状況を仙台家裁に報告しなかったことが24日、関係者への取材で分かった。後見人は通常、被後見人の財産を専用口座で管理し、家裁の監督を受ける。弁護士は財産を不適切に管理したとして後見人を解任され、事実上廃業した。
今回のケースは、今のところ横領などの違法行為は確認されていないようで、その点は良かったのですが、2億6000万円もの財産を家庭裁判所に報告しないという行為は、極めて不適切です。
家庭裁判所は、被後見人の財産の流れを全て把握するために、自らが網羅的に調査することは物理的に無理ですから、被後見人の財産状況は、基本的に後見人からの報告に頼ることになります(不正の疑いがあるような場合は別です)。
つまり、報告しなければ、家庭裁判所の監督が及ばない財産を手元に置いておくことが可能になります。
後見人は、被後見人の財産状況を報告するため、定期的に財産目録を作成して提出します。
そこの財産目録に2億6000万円が載っていないということになれば、仮にそれが無くなっても、家庭裁判所が気づくことができませんし、どのような用途に使用したのかも把握できません。
しかも今回のケースは、被後見人の専用口座ではなく、自分の業務用の口座で管理しており、弁護士自身の財産と混同してしまっています。
「保険金が専用口座に入ると引き出せなくなると考えた」と述べているようですが、仮に何らかの正当な事情があって、一時的に自分の口座に入れておいたとしても、家庭裁判所に報告しない理由にはなりません。
もっといえば、保険金用に別口座を作ることだってできたはずです。
意図的に被後見人の財産を「隠した」といわれても仕方ないでしょう。
専門職だろうが親族だろうが、後見人として財産管理をする場合、自分の財産と被後見人の財産を分けることは、基本中の基本です。
他人の財産を預かっているわけですから、自分の個人口座で一緒に管理したりすることは、やってはいけません。
特に、近親者の場合、正式に後見人になる前は、自分の財産から被後見人のための支出をしたり、逆に被後見人の財産から自分のための支出をしたり、財産の区別はルーズになっていることが少なくありません。
家族の財布は共通というのは珍しいことではありませんので、後見が開始する前はそれでもいいのです。
しかし、その延長で、後見人に選任された後も同じようにルーズにやっていると、結果的に被後見人の財産を流用することにつながります。
後見人となった以上は、きちんと「ここからここまでが被後見人の財産」ときっちり確定させ、財産目録を作成し、家庭裁判所に報告します。
そして、それ以後は、一円単位で帳簿をつけて管理をすることが必要です。
これは、結構大変なので、専門職後見人が選任される割合が増えているのだと思われます。
その基本中の基本を、専門職が守らないというのは、杜撰の極みなのです。
そんな杜撰なことをやるなら、報酬払って専門職が後見人になる意味がありません。
犯罪行為は見つかっていないようですが、そんな杜撰な後見人は危なっかしくて仕方ないので、解任されて当然ですね。
余談ですが、後見人の不祥事が起こると、司法書士の後見業務の監督体制が取り上げられるのは、うれしいことです。
司法書士が不正を行った側として報道されることがないよう願うばかりです。
では、今日はこの辺で。
こちらの記事もあわせてどうぞ→成年後見人と犯罪
2013年7月24日水曜日
法定担保物権
司法書士の岡川です。
「担保」と聞いてイメージしやすいのは、抵当権や質権など、当事者の合意によって設定する約定担保物権でしょう。
これらは、お金を貸してほしい側と、安心してお金を貸したい側の利害が一致した場合に、設定されます。
ところが、民法では、当事者で合意などをしなくても、ある一定の事実があれば当然に発生する「法定担保物権」というものがあります。
法定担保物権には、留置権と先取特権があります。
民法以外(商法など)に、特則もあるのですが、とりあえず、以下は民法の原則的な話をします。
民法295条には、「他人の物の占有者は、その物に関して生じた債権を有するときは、その債権の弁済を受けるまで、その物を留置することができる。」と規定されています。
例えば、あなたが車を修理に出したとします。
車の修理屋は、修理が終わると代金をあなたに請求するでしょう。
このとき修理屋は、あなたが代金を支払うまで車を返さない(留置する)権利を有しています。
これを留置権といいます。
「金を払わないなら、こっちも物を返さない」という単純明快な権利ですね。
ただし、「その物に関して生じた債権を有するとき」ですので、全く関係のない物を留置すること、例えば、友人から車を借りて「そういえば、お前にこの前10万貸してたから、返してくれるまでこの車は俺が預かっておく」とかいうことは認められません。
そのような場合に車を留置したければ、きちんと当事者同士で合意して「質権」を設定しましょう。
法定担保物権には、もうひとつ、先取特権という権利があります。
これは、一定の種類の債権者が債務者の一定の財産から優先的に弁済を受けることができる権利です。
どういう債権者がどの財産から優先的に弁済を受けられるかは、色んなものが個別に民法その他の法律に規定されているので、全部書きだすことはできませんが、先取特権の一例を挙げると、動産の売買代金債権の債権者は、動産について先取特権を有しています。
具体的に、先取特権を有しているとどうなるかというと、例えば、売買は成立して動産の所有権は買主に移っているが、売買代金は支払われていないという場合を想定してください。
売主は先取特権を有しているので、その動産を競売にかけることができ、その競売代金から、自分の売買代金を優先的に回収することができます。
質権とか抵当権みたいに、事前に当事者同士で合意して約定担保物権を設定しなくても、それらの担保権者と同じように、債務者の所有する物を競売にかけて、優先弁済を受けることができるのです。
なかなか強力な権利ですね。
法定担保物権は、ある種の債権者であるだけで当然に担保権者になるというものなので、債権者が複数いるような場合等、非常に大きな意義があります。
債権回収をしようとする場合は、他人の先取特権に注意しましょう。
では、今日はこの辺で。
「担保」と聞いてイメージしやすいのは、抵当権や質権など、当事者の合意によって設定する約定担保物権でしょう。
これらは、お金を貸してほしい側と、安心してお金を貸したい側の利害が一致した場合に、設定されます。
ところが、民法では、当事者で合意などをしなくても、ある一定の事実があれば当然に発生する「法定担保物権」というものがあります。
法定担保物権には、留置権と先取特権があります。
民法以外(商法など)に、特則もあるのですが、とりあえず、以下は民法の原則的な話をします。
民法295条には、「他人の物の占有者は、その物に関して生じた債権を有するときは、その債権の弁済を受けるまで、その物を留置することができる。」と規定されています。
例えば、あなたが車を修理に出したとします。
車の修理屋は、修理が終わると代金をあなたに請求するでしょう。
このとき修理屋は、あなたが代金を支払うまで車を返さない(留置する)権利を有しています。
これを留置権といいます。
「金を払わないなら、こっちも物を返さない」という単純明快な権利ですね。
ただし、「その物に関して生じた債権を有するとき」ですので、全く関係のない物を留置すること、例えば、友人から車を借りて「そういえば、お前にこの前10万貸してたから、返してくれるまでこの車は俺が預かっておく」とかいうことは認められません。
そのような場合に車を留置したければ、きちんと当事者同士で合意して「質権」を設定しましょう。
法定担保物権には、もうひとつ、先取特権という権利があります。
これは、一定の種類の債権者が債務者の一定の財産から優先的に弁済を受けることができる権利です。
どういう債権者がどの財産から優先的に弁済を受けられるかは、色んなものが個別に民法その他の法律に規定されているので、全部書きだすことはできませんが、先取特権の一例を挙げると、動産の売買代金債権の債権者は、動産について先取特権を有しています。
具体的に、先取特権を有しているとどうなるかというと、例えば、売買は成立して動産の所有権は買主に移っているが、売買代金は支払われていないという場合を想定してください。
売主は先取特権を有しているので、その動産を競売にかけることができ、その競売代金から、自分の売買代金を優先的に回収することができます。
質権とか抵当権みたいに、事前に当事者同士で合意して約定担保物権を設定しなくても、それらの担保権者と同じように、債務者の所有する物を競売にかけて、優先弁済を受けることができるのです。
なかなか強力な権利ですね。
法定担保物権は、ある種の債権者であるだけで当然に担保権者になるというものなので、債権者が複数いるような場合等、非常に大きな意義があります。
債権回収をしようとする場合は、他人の先取特権に注意しましょう。
では、今日はこの辺で。
2013年7月23日火曜日
約定担保物権
司法書士の岡川です
制限物権のうち、用益物権とは、他人の土地を直接利用するための権利でした。
そして、制限物権にはもうひとつあって、他人の物(土地に限りません)を直接利用するのではなく、債務の履行を確保するために設定される物権です。
これを、「担保物権」といいます。
例えば、住宅ローンを利用して家を買うと、一般的に、家に「抵当権」を設定することになります。
抵当権者は、お金を貸した銀行等です。
抵当権は、担保物権の一種で、主に不動産の所有者と債権者(銀行等)との間で設定されるのですが、抵当権者(債権者)は普段は不動産を利用(そこに住んだり)することはできません。
抵当権が設定された不動産も、所有者が自由に使うことができます。
その代わり、もし債務者がローンの返済を滞った場合、抵当権者(債権者)はその不動産を競売にかけて売ることができます。
そして、その売却代金から、他の債権者に優先して債務の弁済を受けることができます。
抵当権は、物を自分で使う権利ではなくて、物の交換価値(売ったときの売却代金)を確保しておく権利なのです。
民法の条文上は、「債務者又は第三者が占有を移転しないで債務の担保に供した不動産について、他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利」とされています(民法369条)。
このように、担保物権とは、何らかの形で、自己が有する債権を確保するために存在する物権です。
抵当権は、基本的に不動産に設定する物権ですが、同じように、「債務者が金を返さなければ、売却代金から回収する」ための物権として、「質権」というものがあります。
不動産でも動産でもよいのですが、所有者から物を預って自分の手元に置いておく権利です。
そして、いざとなったらそれを競売にかけて、売却代金から債権を回収します。
質権は、民法で「その債権の担保として債務者又は第三者から受け取った物を占有し、かつ、その物について他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利」と規定されています(民法342条)。
抵当権と質権は、物の所有者と債権者との間の合意によって設定する担保物権です。
これを「約定担保物権」といいます。
これに対し、合意がなくても、一定の関係があれば当然に発生する担保物権もあり、「法定担保物権」といいます。
法定担保物権は、ちょっと説明もイメージもしにくいので、記事を分けましょう。
では、今日はこの辺で。
制限物権のうち、用益物権とは、他人の土地を直接利用するための権利でした。
そして、制限物権にはもうひとつあって、他人の物(土地に限りません)を直接利用するのではなく、債務の履行を確保するために設定される物権です。
これを、「担保物権」といいます。
例えば、住宅ローンを利用して家を買うと、一般的に、家に「抵当権」を設定することになります。
抵当権者は、お金を貸した銀行等です。
抵当権は、担保物権の一種で、主に不動産の所有者と債権者(銀行等)との間で設定されるのですが、抵当権者(債権者)は普段は不動産を利用(そこに住んだり)することはできません。
抵当権が設定された不動産も、所有者が自由に使うことができます。
その代わり、もし債務者がローンの返済を滞った場合、抵当権者(債権者)はその不動産を競売にかけて売ることができます。
そして、その売却代金から、他の債権者に優先して債務の弁済を受けることができます。
抵当権は、物を自分で使う権利ではなくて、物の交換価値(売ったときの売却代金)を確保しておく権利なのです。
民法の条文上は、「債務者又は第三者が占有を移転しないで債務の担保に供した不動産について、他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利」とされています(民法369条)。
このように、担保物権とは、何らかの形で、自己が有する債権を確保するために存在する物権です。
抵当権は、基本的に不動産に設定する物権ですが、同じように、「債務者が金を返さなければ、売却代金から回収する」ための物権として、「質権」というものがあります。
不動産でも動産でもよいのですが、所有者から物を預って自分の手元に置いておく権利です。
そして、いざとなったらそれを競売にかけて、売却代金から債権を回収します。
質権は、民法で「その債権の担保として債務者又は第三者から受け取った物を占有し、かつ、その物について他の債権者に先立って自己の債権の弁済を受ける権利」と規定されています(民法342条)。
抵当権と質権は、物の所有者と債権者との間の合意によって設定する担保物権です。
これを「約定担保物権」といいます。
これに対し、合意がなくても、一定の関係があれば当然に発生する担保物権もあり、「法定担保物権」といいます。
法定担保物権は、ちょっと説明もイメージもしにくいので、記事を分けましょう。
では、今日はこの辺で。
2013年7月22日月曜日
用益物権いろいろ
司法書士の岡川です。
物に対する権利(物権)には、典型的な所有権の他、その一部の機能のみが認められる「制限物権」というものがあります。
制限物権の中で、物を使用収益するための権利を用益物権といいます。
用益物権にも色々あるのですが、全て土地の利用に関する権利です。
当然の前提ですが、「制限物権だけの土地」というのは存在しなくて、必ず土地には誰かの所有権があります(所有者がいなければ、国の物になるので、その場合も所有権は国にあります)。
これまた当然ですが、所有権者自身は、制限物権を設定しなくても自由にその土地を利用することができるので、用益物権とは結局、「他人の土地を利用する権利」です。
そして、民法に定められた用益物権には、次のような種類があります。
地上権 他人の土地において工作物又は竹木を所有するため、その土地を使用する権利(民法265条)
永小作権 小作料を支払って他人の土地において耕作又は牧畜をする権利(民法270条)
地役権 設定行為で定めた目的に従い、他人の土地を自己の土地の便益に供する権利(民法280条)
民法を勉強すると、それぞれの権利の特徴とか、用件とか、登記事項とか、いろいろ細かい話が出てくるのですが・・・まあ、はっきり言って、現実には用益物権ってそれほど重要なものでもありません。
というのも、土地の上に建物を建てたり耕作したりしたければ土地を賃借すればいいだけだし、土地所有者からすれば、債権に比べて強力な権利である物権である地上権とか永小作権とかを設定するのは避けたいわけです。
つまり、どっち側からも、使いにくいからあんまり使われてないんですね。
となると、こんな物権を設定しなければならない場面というのは、特殊な場合に限られるわけです。
特殊な場合というと、例えば、土地の上空の一部を利用する地上権(「空間地上権」といいます)とか、土地の地下の一部を利用する地上権(地下なのに地上権)とかを設定する場合ですね。
こういうのを、「区分地上権」といいます(民法269条の2)。
永小作権なんて、いつ使うんだろう???
ただ、地役権は、意外と利用価値があって、それなりに使われています。
例えば、他人の土地を通らないと入れない土地があれば、その他人の土地を通らせてもらうために「通行地役権」を設定する、という使い方があります。
他人の土地を賃借するんじゃなくて、「貸してくれなくてもいいから、通行だけさせてね」ということができるのが、地役権の特徴です。
土地には限りがあるので、有効活用できるように、色んな「他人の土地を利用する権利」があるのですね。
では、今日はこの辺で。
物に対する権利(物権)には、典型的な所有権の他、その一部の機能のみが認められる「制限物権」というものがあります。
制限物権の中で、物を使用収益するための権利を用益物権といいます。
用益物権にも色々あるのですが、全て土地の利用に関する権利です。
当然の前提ですが、「制限物権だけの土地」というのは存在しなくて、必ず土地には誰かの所有権があります(所有者がいなければ、国の物になるので、その場合も所有権は国にあります)。
これまた当然ですが、所有権者自身は、制限物権を設定しなくても自由にその土地を利用することができるので、用益物権とは結局、「他人の土地を利用する権利」です。
そして、民法に定められた用益物権には、次のような種類があります。
地上権 他人の土地において工作物又は竹木を所有するため、その土地を使用する権利(民法265条)
永小作権 小作料を支払って他人の土地において耕作又は牧畜をする権利(民法270条)
地役権 設定行為で定めた目的に従い、他人の土地を自己の土地の便益に供する権利(民法280条)
民法を勉強すると、それぞれの権利の特徴とか、用件とか、登記事項とか、いろいろ細かい話が出てくるのですが・・・まあ、はっきり言って、現実には用益物権ってそれほど重要なものでもありません。
というのも、土地の上に建物を建てたり耕作したりしたければ土地を賃借すればいいだけだし、土地所有者からすれば、債権に比べて強力な権利である物権である地上権とか永小作権とかを設定するのは避けたいわけです。
つまり、どっち側からも、使いにくいからあんまり使われてないんですね。
となると、こんな物権を設定しなければならない場面というのは、特殊な場合に限られるわけです。
特殊な場合というと、例えば、土地の上空の一部を利用する地上権(「空間地上権」といいます)とか、土地の地下の一部を利用する地上権(地下なのに地上権)とかを設定する場合ですね。
こういうのを、「区分地上権」といいます(民法269条の2)。
永小作権なんて、いつ使うんだろう???
ただ、地役権は、意外と利用価値があって、それなりに使われています。
例えば、他人の土地を通らないと入れない土地があれば、その他人の土地を通らせてもらうために「通行地役権」を設定する、という使い方があります。
他人の土地を賃借するんじゃなくて、「貸してくれなくてもいいから、通行だけさせてね」ということができるのが、地役権の特徴です。
土地には限りがあるので、有効活用できるように、色んな「他人の土地を利用する権利」があるのですね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月19日金曜日
物権いろいろ
司法書士の岡川です。
突然抽象的な話になりますが、今日は「物権」のお話。
物を直接的に支配する権利を、「物権」といいます。
物の支配の仕方(利用方法)としては、自分で使用したり他人に貸し出したり担保に入れたりと様々です。
物権は、物に対する排他的権利なので、物権の内容を個人が勝手に作って決めてしまうと、その物に関する権利関係が錯綜してしまう恐れがあります。
したがって、権利関係の混乱を避けるため、個人が勝手に何らかの物権を作り出すことはできないとされています。
これを「物権法定主義」といいます(民法175条)。
利用方法に応じて、物権の中にもいろいろな権利あるのですが、その典型例というか基本形が「所有権」です。
所有権は、物に対する全面的な支配権であり、その物を自由に使用収益し、処分することができる権利です。
「あなたの物」とは、「あなたが所有権を有している物」のことをいいます。
所有権が全面的な支配権であるのに対し、所有権に含まれる様々な支配の態様のうち、一部だけ認められる物権があります。
所有権の権能のうち一部に制限されているという意味で、「制限物権」といいます。
ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、例えば「地上権」という物権があります。
地上権は、土地を使用収益することだけ認められる権利です。
土地に地上権を設定すれば、その土地に建物を建てて土地を使用することができます。
しかし、処分することは認められませんので、地上権を有する人が、その土地を担保に入れたりすることはできません(細かいことをいうと、「地上権に担保を設定する」ことは可能ですが)。
その土地の所有権を有していれば、使用することも貸し出すことも担保に入れることもできるので、地上権は所有権と比べてできることが制限されていることが分かります。
制限物権は、さらに2種類に大別できます。
地上権のように、物を使用する(使用価値を一部支配する)ための権利を「用益物権」といいます。
他方、物の交換価値のみを支配する権利を「担保物権」といいます。
交換価値を支配するとは、対象物を使用することはできませんが、債務の履行を確保するため、いざとなればその物を売り払って代金を取得したりすることをいいます。
あまり一気に細かい話をするのも大変なので、次回以降、個別の物権についても紹介していこうと思います。
では、今日はこの辺で。
物権シリーズ
・用益物権いろいろ
・約定担保物権
・法定担保物権
・一物一権主義
突然抽象的な話になりますが、今日は「物権」のお話。
物を直接的に支配する権利を、「物権」といいます。
物の支配の仕方(利用方法)としては、自分で使用したり他人に貸し出したり担保に入れたりと様々です。
物権は、物に対する排他的権利なので、物権の内容を個人が勝手に作って決めてしまうと、その物に関する権利関係が錯綜してしまう恐れがあります。
したがって、権利関係の混乱を避けるため、個人が勝手に何らかの物権を作り出すことはできないとされています。
これを「物権法定主義」といいます(民法175条)。
利用方法に応じて、物権の中にもいろいろな権利あるのですが、その典型例というか基本形が「所有権」です。
所有権は、物に対する全面的な支配権であり、その物を自由に使用収益し、処分することができる権利です。
「あなたの物」とは、「あなたが所有権を有している物」のことをいいます。
所有権が全面的な支配権であるのに対し、所有権に含まれる様々な支配の態様のうち、一部だけ認められる物権があります。
所有権の権能のうち一部に制限されているという意味で、「制限物権」といいます。
ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、例えば「地上権」という物権があります。
地上権は、土地を使用収益することだけ認められる権利です。
土地に地上権を設定すれば、その土地に建物を建てて土地を使用することができます。
しかし、処分することは認められませんので、地上権を有する人が、その土地を担保に入れたりすることはできません(細かいことをいうと、「地上権に担保を設定する」ことは可能ですが)。
その土地の所有権を有していれば、使用することも貸し出すことも担保に入れることもできるので、地上権は所有権と比べてできることが制限されていることが分かります。
制限物権は、さらに2種類に大別できます。
地上権のように、物を使用する(使用価値を一部支配する)ための権利を「用益物権」といいます。
他方、物の交換価値のみを支配する権利を「担保物権」といいます。
交換価値を支配するとは、対象物を使用することはできませんが、債務の履行を確保するため、いざとなればその物を売り払って代金を取得したりすることをいいます。
あまり一気に細かい話をするのも大変なので、次回以降、個別の物権についても紹介していこうと思います。
では、今日はこの辺で。
物権シリーズ
・用益物権いろいろ
・約定担保物権
・法定担保物権
・一物一権主義
2013年7月18日木曜日
無罪の推定(推定無罪)の原則
司法書士の岡川です。
近代法における最も有名な原則のひとつ(だと思われる)が、「無罪の推定」(推定無罪)の原則です。
これは、狭義には、刑事訴訟における挙証責任の分配に関する原則をいいます。
刑事訴訟においては、被告人は「無罪」である推定が働き、被告人を罰するためには、その無罪の推定を破るために検察側が積極的に犯罪を立証しなければなりません。
逆にいえば、被告人が罰されないために、弁護人が積極的に「犯罪をしていないこと」を立証する必要はありません。
被告人を有罪にしたい検察と、被告人を無罪にしたい弁護人が真正面から争っていると、「どっちが正しいか判断がつかない」という状態になることがあります。
しかし、そんな場合でも、裁判所は、必ず終局的な判断(裁判)をしなければならず、判断を回避することは許されません。
このとき、「検察が有罪を立証できていない」ので、裁判所は、必ず無罪を宣告しなければなりません。
「弁護人が無罪を立証できてない」としても、そのことで有罪にはしてはいけないというのが、「無罪の推定」です。
すなわち、この「無罪の推定」は「疑わしきは被告人の利益に」といった法格言と同義です。
近代の刑事訴訟においては、裁判官が合理的な疑いをさしはさむ余地がなく「こいつが犯人だ」と確信できる程度に犯罪事実の証明がなされた場合に限って有罪となるのです。
弁護人としては、被告人が「白」だと証明できなくても、最低限「グレー」にまで持ち込めば良いということになります。
人を罰するというのは、基本的に重大な人権侵害です。
したがって、その人権侵害を正当化するためには、慎重な判断を経なければなりません。
「グレー」で有罪になれば、「犯罪をしたから罰される」というだけでなく「訴訟活動に失敗したから罰される」という場合が出てくるわけで、それを避けるための原則が「無罪の推定」とか「疑わしきは被告人の利益に」といったものなのです。
たとえ「本当は犯人だけどグレーだから無罪になる」という可能性があるとしても、近代刑事訴訟法は、「本当は犯人じゃないのにグレーだから有罪になる」という事態を避ける方を優先したわけです。
刑事訴訟法では、「無罪の推定」(推定無罪)というと、一般的には以上の意味で使われます。
ただ、「推定無罪の原則」というと、少し違った意味で使われることがあります。
すなわち「刑事裁判で有罪と判断されるまで、その人は無罪であることが推定される」(したがって、それまでは、犯罪者であることを前提とした扱いをしてはけない)という意味です。
こちらは、「裁判所が有罪と言っていない以上、有罪として扱ってはいけない」という、いってみれば当然の話ではあるのですが、これも人権を保護するための原則です。
どちらの原則も、本当に守られているのか疑問に思うことも無きにしも非ず・・・ですね。
では、今日はこの辺で。
近代法における最も有名な原則のひとつ(だと思われる)が、「無罪の推定」(推定無罪)の原則です。
これは、狭義には、刑事訴訟における挙証責任の分配に関する原則をいいます。
刑事訴訟においては、被告人は「無罪」である推定が働き、被告人を罰するためには、その無罪の推定を破るために検察側が積極的に犯罪を立証しなければなりません。
逆にいえば、被告人が罰されないために、弁護人が積極的に「犯罪をしていないこと」を立証する必要はありません。
被告人を有罪にしたい検察と、被告人を無罪にしたい弁護人が真正面から争っていると、「どっちが正しいか判断がつかない」という状態になることがあります。
しかし、そんな場合でも、裁判所は、必ず終局的な判断(裁判)をしなければならず、判断を回避することは許されません。
このとき、「検察が有罪を立証できていない」ので、裁判所は、必ず無罪を宣告しなければなりません。
「弁護人が無罪を立証できてない」としても、そのことで有罪にはしてはいけないというのが、「無罪の推定」です。
すなわち、この「無罪の推定」は「疑わしきは被告人の利益に」といった法格言と同義です。
近代の刑事訴訟においては、裁判官が合理的な疑いをさしはさむ余地がなく「こいつが犯人だ」と確信できる程度に犯罪事実の証明がなされた場合に限って有罪となるのです。
弁護人としては、被告人が「白」だと証明できなくても、最低限「グレー」にまで持ち込めば良いということになります。
人を罰するというのは、基本的に重大な人権侵害です。
したがって、その人権侵害を正当化するためには、慎重な判断を経なければなりません。
「グレー」で有罪になれば、「犯罪をしたから罰される」というだけでなく「訴訟活動に失敗したから罰される」という場合が出てくるわけで、それを避けるための原則が「無罪の推定」とか「疑わしきは被告人の利益に」といったものなのです。
たとえ「本当は犯人だけどグレーだから無罪になる」という可能性があるとしても、近代刑事訴訟法は、「本当は犯人じゃないのにグレーだから有罪になる」という事態を避ける方を優先したわけです。
刑事訴訟法では、「無罪の推定」(推定無罪)というと、一般的には以上の意味で使われます。
ただ、「推定無罪の原則」というと、少し違った意味で使われることがあります。
すなわち「刑事裁判で有罪と判断されるまで、その人は無罪であることが推定される」(したがって、それまでは、犯罪者であることを前提とした扱いをしてはけない)という意味です。
こちらは、「裁判所が有罪と言っていない以上、有罪として扱ってはいけない」という、いってみれば当然の話ではあるのですが、これも人権を保護するための原則です。
どちらの原則も、本当に守られているのか疑問に思うことも無きにしも非ず・・・ですね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月17日水曜日
六法全書と六法
司法書士の岡川です。
皆さんは、「六法全書」と聞いてどんなものを想像しますか?
「六法全書」とは、普通名詞として使えば、いろいろな法令を集めた法令集のことを指します。
しかし、「『六法全書』という名の六法全書」(法令集)は、現在では一種類しかありません。
「六法全書」というのは、固有名詞として使えば、法律書の大手出版社「有斐閣」が出している法令集の書籍名です。
現在発行されている書籍の中から「六法全書」という書籍を探せば、有斐閣の本しかありません(「○○六法全書」とかいう本なら他にあるかも)。
テレビで弁護士事務所が映ったときに弁護士の背景に見える「六法全書」という文字は、確実に有斐閣の『六法全書』が入った箱が映っています。
昔は、色んな出版社から「六法全書」という書籍が出ていたようですが。
『六法全書』という名の六法全書であれ、『六法全書』以外の六法全書であれ、日本の法令全てを網羅した書籍ではありません。
『六法全書』は比較的大きな六法全書ですが、それでも収録された法令は、日本の法令のごくごく一部だけです。
「全」とか付いてますが、「全部」には圧倒的に足りないのです。
このように、「六法全書」といえば、有斐閣の『六法全書』のことを指すことがあるので、法学者とか法律実務家とか法学部生とか、とにかく法律に携わる人は、法令集のことを専ら「六法」といいます。
あまり「六法全書」とはいいません。
「六法全書」とか言えば、即座に「え?有斐閣の?」と突っ込まれること間違いなしです。
例えば、大学の試験で「六法のみ持ち込み可」とあれば、「法令集は持ち込んでいいよ」という意味で一意に定まります。
「六法全書のみ持ち込み可」と書かれると、「(有斐閣の)六法全書しか持ち込めないのかー」と思い悩み、絶望に打ちひしがれる学生が続出します。
ま、大抵は「法令集」の意味なんですけどね。
これは、この業界というか出版業界も巻き込んでほぼ共通認識のようで、『六法全書』以外の法令集は、多くが「○○六法」という名前になっています。
「判例六法」「小六法」「模範六法」「ポケット六法」「デイリー六法」「登記六法」「後見六法」などなど…。
「ナントカ六法全書」とかいう書籍はほとんどありません。
別に「六法全書」は有斐閣の登録商標じゃないので、「六法全書」という名前でもいいはずなのですが。
ちなみに、「六法」とは、本来の意味では、主要な6つの法典、すなわち「憲法」「民法」「商法」「刑法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」のことを指します。
あるいは、この6つの法分野を指します。
日本に近代法が整備されていった明治初期の頃にできた言葉ですので、その頃の「六法」と現在の「六法」では、指しているものが違いますが。
今では、そこから転じて、上記のように「法令集」の意味で使うことが一般的です。
「六法持ってこい」と言われて、法令集の6つの法律の部分だけ切り取って持っていくと赤っ恥を書きます。
余談ですが、伝統的に「主要な法典」の一員である商法は、元々その中に入っていた多くの規定が独立して別の法律(手形法とか小切手法とか会社法とか保険法とか)が制定されたため、今ではスッカスカの法律に成り下がっています。
まあ、今でも重要な法律であることに変わりはないのですけどね。
では、今日はこの辺で。
皆さんは、「六法全書」と聞いてどんなものを想像しますか?
「六法全書」とは、普通名詞として使えば、いろいろな法令を集めた法令集のことを指します。
しかし、「『六法全書』という名の六法全書」(法令集)は、現在では一種類しかありません。
「六法全書」というのは、固有名詞として使えば、法律書の大手出版社「有斐閣」が出している法令集の書籍名です。
現在発行されている書籍の中から「六法全書」という書籍を探せば、有斐閣の本しかありません(「○○六法全書」とかいう本なら他にあるかも)。
テレビで弁護士事務所が映ったときに弁護士の背景に見える「六法全書」という文字は、確実に有斐閣の『六法全書』が入った箱が映っています。
昔は、色んな出版社から「六法全書」という書籍が出ていたようですが。
『六法全書』という名の六法全書であれ、『六法全書』以外の六法全書であれ、日本の法令全てを網羅した書籍ではありません。
『六法全書』は比較的大きな六法全書ですが、それでも収録された法令は、日本の法令のごくごく一部だけです。
「全」とか付いてますが、「全部」には圧倒的に足りないのです。
このように、「六法全書」といえば、有斐閣の『六法全書』のことを指すことがあるので、法学者とか法律実務家とか法学部生とか、とにかく法律に携わる人は、法令集のことを専ら「六法」といいます。
あまり「六法全書」とはいいません。
「六法全書」とか言えば、即座に「え?有斐閣の?」と突っ込まれること間違いなしです。
例えば、大学の試験で「六法のみ持ち込み可」とあれば、「法令集は持ち込んでいいよ」という意味で一意に定まります。
「六法全書のみ持ち込み可」と書かれると、「(有斐閣の)六法全書しか持ち込めないのかー」と思い悩み、絶望に打ちひしがれる学生が続出します。
ま、大抵は「法令集」の意味なんですけどね。
これは、この業界というか出版業界も巻き込んでほぼ共通認識のようで、『六法全書』以外の法令集は、多くが「○○六法」という名前になっています。
「判例六法」「小六法」「模範六法」「ポケット六法」「デイリー六法」「登記六法」「後見六法」などなど…。
「ナントカ六法全書」とかいう書籍はほとんどありません。
別に「六法全書」は有斐閣の登録商標じゃないので、「六法全書」という名前でもいいはずなのですが。
ちなみに、「六法」とは、本来の意味では、主要な6つの法典、すなわち「憲法」「民法」「商法」「刑法」「民事訴訟法」「刑事訴訟法」のことを指します。
あるいは、この6つの法分野を指します。
日本に近代法が整備されていった明治初期の頃にできた言葉ですので、その頃の「六法」と現在の「六法」では、指しているものが違いますが。
今では、そこから転じて、上記のように「法令集」の意味で使うことが一般的です。
「六法持ってこい」と言われて、法令集の6つの法律の部分だけ切り取って持っていくと赤っ恥を書きます。
余談ですが、伝統的に「主要な法典」の一員である商法は、元々その中に入っていた多くの規定が独立して別の法律(手形法とか小切手法とか会社法とか保険法とか)が制定されたため、今ではスッカスカの法律に成り下がっています。
まあ、今でも重要な法律であることに変わりはないのですけどね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月14日日曜日
戸籍の正本と副本
司法書士の岡川です。
宝塚市役所の放火事件で焼失された可能性があった台帳が無事だったようです。
カウンターは原形とどめず、机も変形…台帳2万件は無事 宝塚市役所放火(産経新聞)
物理的な被害は甚大ですが、とりあえず、重要な記録が残っていたのは不幸中の幸いでした。
話は変わりますが、役所の記録といえば、日本人が個人を識別する最も重要な記録といえば戸籍です。
その戸籍ですが、実は、正本と副本が作られています。
戸籍の正本は本籍地の市役所に保管されています。
「戸籍を取得する」という場合、正確には「戸籍謄本」(さらに正確には、現在では戸籍の「全部事項証明書」ですが)を取得しているわけですが、これは、本籍地の市役所に請求します。
申請して出てくる「謄本」というのは、正本のコピーです(現在では、記載事項の「証明書」が発行されるので、コピーとは違うのですが)。
つまり、私たちが普段お世話になっている(?)のは、戸籍の正本です。
他方、副本というのは、管轄の法務局に保管されています(戸籍法8条2項)。
戸籍は、非常に大切な記録ですから、市役所で何かあった(それこそ、放火されたような場合)としても、副本から記録が再現できるように、バックアップがとられているわけですね。
ただ、東日本大震災では、市役所とともに法務局も被害を受けたせいで、正本だけでなく副本も水没してしまった例(南三陸町等)もあり、大変なことになりました。
この戸籍の副本ですが、基本的に一般人が参照することは無いので、知ってても別に全く何の得もしない単なる豆知識でした。
では、今日はこの辺で。
宝塚市役所の放火事件で焼失された可能性があった台帳が無事だったようです。
カウンターは原形とどめず、机も変形…台帳2万件は無事 宝塚市役所放火(産経新聞)
一方、市は14日、焼失が危ぶまれていた市税収納課の保管する税の滞納や徴収に関する記録約2万件が書き込まれた台帳が無事だったことを明らかにした。
物理的な被害は甚大ですが、とりあえず、重要な記録が残っていたのは不幸中の幸いでした。
話は変わりますが、役所の記録といえば、日本人が個人を識別する最も重要な記録といえば戸籍です。
その戸籍ですが、実は、正本と副本が作られています。
戸籍の正本は本籍地の市役所に保管されています。
「戸籍を取得する」という場合、正確には「戸籍謄本」(さらに正確には、現在では戸籍の「全部事項証明書」ですが)を取得しているわけですが、これは、本籍地の市役所に請求します。
申請して出てくる「謄本」というのは、正本のコピーです(現在では、記載事項の「証明書」が発行されるので、コピーとは違うのですが)。
つまり、私たちが普段お世話になっている(?)のは、戸籍の正本です。
他方、副本というのは、管轄の法務局に保管されています(戸籍法8条2項)。
戸籍は、非常に大切な記録ですから、市役所で何かあった(それこそ、放火されたような場合)としても、副本から記録が再現できるように、バックアップがとられているわけですね。
ただ、東日本大震災では、市役所とともに法務局も被害を受けたせいで、正本だけでなく副本も水没してしまった例(南三陸町等)もあり、大変なことになりました。
この戸籍の副本ですが、基本的に一般人が参照することは無いので、知ってても別に全く何の得もしない単なる豆知識でした。
では、今日はこの辺で。
2013年7月13日土曜日
放火は重罪です
司法書士の岡川です
宝塚市役所の放火事件は、かなり大きな被害をもたらしているようです。
宝塚、市税滞納記録2万件が焼失 放火で庁舎復旧に2~3カ月(共同通信)
刑法に規定された数ある犯罪類型の中でも、「放火」というのは、非常に重い犯罪です。
中でも、人が現に住んでいたり、人がいる建物を放火する行為(現住建造物放火罪)は、死刑を含む重い法定刑が規定されており、殺人罪と同等の犯罪とされています。
日本では、法定刑に死刑が含まれている罪というのは、基本的に殺人罪や傷害致死罪等の「○○致死罪」のように、人の殺害(死)を内容としている犯罪です。
犯した罪と、それに対する刑罰は均衡が取れていなければならないというのが刑法の原則ですので、例えば窃盗の法定刑として死刑が定められることは不合理な重罪として違憲となるでしょう。
しかし、現住建造物放火罪は、(量刑相場はさておき)法定刑だけをみれば、仮に人が1人も死ななくても死刑に処される可能性があります。
このように、人が1人も死ななくても死刑になる可能性のある罪というのは、とても珍しいものです(他は、内乱罪や外患誘致罪といった特殊な犯罪類型や、現住建造物浸害罪等に限られます)。
放火がこれだけ重い罪である理由は、建物だけでなく人の生命や身体にも重大な危険を生じさせる(場合によっては死者が多数出る)行為(公共危険罪)だからです。
特に日本では、昔から木造家屋が多く、火災が周囲にまで被害を及ぼす危険が大きいという社会的背景も指摘されています。
正常な人は、建物に放火しようなんて考えないでしょうが、子供が火遊びの延長で火をつけるようなことは絶対にやってはいけないという教育は必要でしょう。
それは、「軽い気持ちで人を殺した」と同レベルの(あるいはそれ以上の)行為なのです。
ところで、今回の放火では、けが人も出ているようですが、役所の記録なんかも失われてしまったようです。
庁舎を修繕したり、失われた記録を復旧したりする作業は、全て税金で行われます。
この犯人は、税金を滞納して差押えを受けた腹いせに放火したようですが、そのせいで貴重な税金が余計に使われます。
この上なく身勝手な、許しがたい犯罪ですね。
では、今日はこの辺で。
宝塚市役所の放火事件は、かなり大きな被害をもたらしているようです。
宝塚、市税滞納記録2万件が焼失 放火で庁舎復旧に2~3カ月(共同通信)
1階の火災現場では固定資産税など市税の滞納や徴収に関する台帳が焼け、約2万件の記録が失われたと明らかにした。庁内システムにデータが保存されていない資料もあるため、今後一部の業務が滞る可能性があるという。
市によると、農業台帳や市民墓地の申込書なども焼失したり水浸しになったりした。
刑法に規定された数ある犯罪類型の中でも、「放火」というのは、非常に重い犯罪です。
中でも、人が現に住んでいたり、人がいる建物を放火する行為(現住建造物放火罪)は、死刑を含む重い法定刑が規定されており、殺人罪と同等の犯罪とされています。
日本では、法定刑に死刑が含まれている罪というのは、基本的に殺人罪や傷害致死罪等の「○○致死罪」のように、人の殺害(死)を内容としている犯罪です。
犯した罪と、それに対する刑罰は均衡が取れていなければならないというのが刑法の原則ですので、例えば窃盗の法定刑として死刑が定められることは不合理な重罪として違憲となるでしょう。
しかし、現住建造物放火罪は、(量刑相場はさておき)法定刑だけをみれば、仮に人が1人も死ななくても死刑に処される可能性があります。
このように、人が1人も死ななくても死刑になる可能性のある罪というのは、とても珍しいものです(他は、内乱罪や外患誘致罪といった特殊な犯罪類型や、現住建造物浸害罪等に限られます)。
放火がこれだけ重い罪である理由は、建物だけでなく人の生命や身体にも重大な危険を生じさせる(場合によっては死者が多数出る)行為(公共危険罪)だからです。
特に日本では、昔から木造家屋が多く、火災が周囲にまで被害を及ぼす危険が大きいという社会的背景も指摘されています。
正常な人は、建物に放火しようなんて考えないでしょうが、子供が火遊びの延長で火をつけるようなことは絶対にやってはいけないという教育は必要でしょう。
それは、「軽い気持ちで人を殺した」と同レベルの(あるいはそれ以上の)行為なのです。
ところで、今回の放火では、けが人も出ているようですが、役所の記録なんかも失われてしまったようです。
庁舎を修繕したり、失われた記録を復旧したりする作業は、全て税金で行われます。
この犯人は、税金を滞納して差押えを受けた腹いせに放火したようですが、そのせいで貴重な税金が余計に使われます。
この上なく身勝手な、許しがたい犯罪ですね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月12日金曜日
自己責任の原則
司法書士の岡川です。
ちょっと前、キャスターの辛坊治郎氏が太平洋横断に失敗して自衛隊に救助されたとかで、「自己責任論」が少し盛り上がりました。
さらに何年か前には、イラクで人質になった日本人の救出に関して、自己責任論が世間を賑わしたことは記憶に新しいです。
この「自己責任」というものは、実は、法律の世界でも妥当します。
ただ、法律の世界で使われる「自己責任」は、「自分の行為から生じた結果については(全部)自分で責任とれ」という意味よりは、「自分の行為の結果についてのみ責任を問われる(他人の行為から生じた結果については、責任を負わなくてよい)」というふうな意味です。
これを「自己責任の原則」といいます。
かつては、家長が家族の行為について絶対的な責任を負わされたこともありました。
また、「連座」という制度は、誰かの犯罪について、その犯罪者の家族にも刑罰が科されるという刑事上の連帯責任ですね。
しかし、近代法では、原則として、不可抗力による結果責任を個人が負わされたり、他人の行為について連帯責任を負わされたりすることはありません。
「過失責任の原則」とも関係しますが、「個人」を尊重する「個人主義」が基本原理となっている近代社会(日本)、では、当然といえば当然の原則です。
連帯保証人なんかは、一見、連帯責任のようなものですけど、連帯保証というのは、必ず連帯保証人自身が「連帯保証契約」を締結しているはずなので、厳密にいえば、自分の行為(契約)に基づく弁済義務なわけで、純粋に他人の行為の責任を負っているわけではありません。
だから、自己責任の範囲内の責任といえます(安易に誰かの連帯保証人になっちゃダメですよ)。
ただ、一定の場合に、直接的には他人の行為から生じた結果について責任を負う場合があります。
その一例が、以前紹介したような場合、つまり、未成年者の行為に対して親(や未成年後見人)が責任を負う場合です。
しかしこれも、完全に自己責任の範囲から外れているかというとそうでもなくて、親が自分の監督義務をきちんと果たしていれば責任を負うことはありません。
つまり、「自己の監督義務を果たさなかった結果の責任を負う」という形ですね。
なので、少なくとも全く自分のあずかり知らないところでなされた、見ず知らずの赤の他人(監督義務も負わない相手)の行為に対する責任を負うことはないのです。
なお、これは民事上の責任の話で、刑事上の責任については、また別です。
刑法41条には、「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定されており、14才未満の者は責任能力が否定されます。
責任能力が否定されると、犯罪が成立しません。
ここまでは、民法も刑法も同じですね。
しかし、責任能力が否定される場合に、例えば親が子の代わりに刑事責任を負う(つまり、親に何らかの犯罪が成立する)ということはありません。
近代刑法では、自分が関与していない他人(例えば家族)の行為について責任を負う連座のような制度は否定されているのです。
ただし、法人の代表者や従業員の犯罪行為について、法人自体が刑事責任を負うことがあります。
一般刑法(「刑法」という名の法律)では、刑事責任を負う主体は個人(自然人)であることが前提とされていますので、例えば、代表取締役による殺人とか窃盗について、法人が責任を負うことはありません。
他方、特別刑法(一般刑法以外の刑罰法規)の中には、直接行為を行った代表者や従業員だけでなく、法人に対しても刑罰(懲役を科すわけにいかないので、主に罰金刑です)を科す法人処罰規定が存在します。
これを両罰規定といいます(従業員の行為で、従業員+法人+法人の代表者が責任を負う「三罰規定」というパターンもあります)。
(追記:一般刑法と特別刑法については→こちら)
法人は、代表や従業員とは独立した主体ですので、「他人」の行為によって刑事責任を負っていることになります。
もっとも、法人処罰の根拠についても、他人の行為に対する純粋な無過失責任ではなく、「法人の過失が推定される」という説明がされています(過失推定が明記されていることもあります)。
これも、「自己責任の原則」があるからです。
「自己責任」という言葉は多義的で、しばしば「自分の行為の結果は、他人に頼らず自分で処理しなければならない」といった意味でも使われますが、法の世界では、個人主義や自由主義の観点から責任を合理的な範囲に限定する原則なのです。
では、今日はこの辺で。
ちょっと前、キャスターの辛坊治郎氏が太平洋横断に失敗して自衛隊に救助されたとかで、「自己責任論」が少し盛り上がりました。
さらに何年か前には、イラクで人質になった日本人の救出に関して、自己責任論が世間を賑わしたことは記憶に新しいです。
この「自己責任」というものは、実は、法律の世界でも妥当します。
ただ、法律の世界で使われる「自己責任」は、「自分の行為から生じた結果については(全部)自分で責任とれ」という意味よりは、「自分の行為の結果についてのみ責任を問われる(他人の行為から生じた結果については、責任を負わなくてよい)」というふうな意味です。
これを「自己責任の原則」といいます。
かつては、家長が家族の行為について絶対的な責任を負わされたこともありました。
また、「連座」という制度は、誰かの犯罪について、その犯罪者の家族にも刑罰が科されるという刑事上の連帯責任ですね。
しかし、近代法では、原則として、不可抗力による結果責任を個人が負わされたり、他人の行為について連帯責任を負わされたりすることはありません。
「過失責任の原則」とも関係しますが、「個人」を尊重する「個人主義」が基本原理となっている近代社会(日本)、では、当然といえば当然の原則です。
連帯保証人なんかは、一見、連帯責任のようなものですけど、連帯保証というのは、必ず連帯保証人自身が「連帯保証契約」を締結しているはずなので、厳密にいえば、自分の行為(契約)に基づく弁済義務なわけで、純粋に他人の行為の責任を負っているわけではありません。
だから、自己責任の範囲内の責任といえます(安易に誰かの連帯保証人になっちゃダメですよ)。
ただ、一定の場合に、直接的には他人の行為から生じた結果について責任を負う場合があります。
その一例が、以前紹介したような場合、つまり、未成年者の行為に対して親(や未成年後見人)が責任を負う場合です。
しかしこれも、完全に自己責任の範囲から外れているかというとそうでもなくて、親が自分の監督義務をきちんと果たしていれば責任を負うことはありません。
つまり、「自己の監督義務を果たさなかった結果の責任を負う」という形ですね。
なので、少なくとも全く自分のあずかり知らないところでなされた、見ず知らずの赤の他人(監督義務も負わない相手)の行為に対する責任を負うことはないのです。
なお、これは民事上の責任の話で、刑事上の責任については、また別です。
刑法41条には、「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定されており、14才未満の者は責任能力が否定されます。
責任能力が否定されると、犯罪が成立しません。
ここまでは、民法も刑法も同じですね。
しかし、責任能力が否定される場合に、例えば親が子の代わりに刑事責任を負う(つまり、親に何らかの犯罪が成立する)ということはありません。
近代刑法では、自分が関与していない他人(例えば家族)の行為について責任を負う連座のような制度は否定されているのです。
ただし、法人の代表者や従業員の犯罪行為について、法人自体が刑事責任を負うことがあります。
一般刑法(「刑法」という名の法律)では、刑事責任を負う主体は個人(自然人)であることが前提とされていますので、例えば、代表取締役による殺人とか窃盗について、法人が責任を負うことはありません。
他方、特別刑法(一般刑法以外の刑罰法規)の中には、直接行為を行った代表者や従業員だけでなく、法人に対しても刑罰(懲役を科すわけにいかないので、主に罰金刑です)を科す法人処罰規定が存在します。
これを両罰規定といいます(従業員の行為で、従業員+法人+法人の代表者が責任を負う「三罰規定」というパターンもあります)。
(追記:一般刑法と特別刑法については→こちら)
法人は、代表や従業員とは独立した主体ですので、「他人」の行為によって刑事責任を負っていることになります。
もっとも、法人処罰の根拠についても、他人の行為に対する純粋な無過失責任ではなく、「法人の過失が推定される」という説明がされています(過失推定が明記されていることもあります)。
これも、「自己責任の原則」があるからです。
「自己責任」という言葉は多義的で、しばしば「自分の行為の結果は、他人に頼らず自分で処理しなければならない」といった意味でも使われますが、法の世界では、個人主義や自由主義の観点から責任を合理的な範囲に限定する原則なのです。
では、今日はこの辺で。
2013年7月11日木曜日
成年後見制度と犯罪
司法書士の岡川です。
最近、成年後見人であった弁護士による横領事件について、相次いで2件の有罪判決が出ました。
成年後見の預かり金着服、弁護士に実刑判決(読売新聞)
弁護士として申し開きできない、成年後見人弁護士に有罪判決(産経新聞)
いずれも、弁護士、すなわち専門職後見人による犯罪行為です。
成年後見人が被後見人の財産を横領して逮捕(起訴)されたというニュースは、今年に入ってからのものだけでも、東京弁護士会の元副会長(合計4200万円横領)と兵庫弁護士会所属の弁護士(合計2700万円横領)の事件がありますので、これらの事件についてもそのうち裁判が行われるでしょう。
いずれも被害額は1000万円を超えており、一般市民が被害者であることを考えれば、巨額の横領事件です。
ちなみに、今年に入ってからの有罪判決の報道としては、群馬司法書士会所属の司法書士が250万横領で実刑判決を受けた事件があります。
恥ずかしい話ですが、司法書士が横領事件を起こすこともあるわけです。
司法書士であれ弁護士であれ、専門職に対する信頼を裏切る行為であり、断じて許されるものではありません。
今紹介した事件は弁護士の事件が多いですが、これは別に弁護士に恨みがあるわけでも弁護士に対してネガティブキャンペーンをやろうとしているわけでもなく、事実として、弁護士による横領事件報道が多いのです。
もちろん、弁護士の犯罪ばかり報道されるのは、弁護士ばかりが犯罪に走っているからというわけではありません。
実際には、報道されないような親族後見人の犯罪の方が圧倒的に多く、専門職後見人による犯罪というのは、数としてはそれほど多いものではありません。
さらに、弁護士ほどではないとはいえ、上に紹介した通り、司法書士による横領事件もありますし、過去には同じく専門職の社会福祉士による横領事件もありました。
あるいは、ほかにも明るみになっていない事件もあるでしょう。
にもかかわらず弁護士の犯罪ばかり報道されるのは、その社会的地位・責任によるものです。
そこは、一応、客観的事実としておさえておかなければならないポイントだと思います。
ですが、司法書士・社会福祉士も含め、専門職後見人による横領事件というのは、「少なけりゃいい」というものでもありません。
横領というのは、過失犯ではなく故意犯です。
しかも、確実に確定的な故意をもって実行する犯罪です。
うっかりミスでやってしまう類の犯罪ではありません。
専門職後見人による横領事件は、たとえ1件であったとしても「多い」と思います。
0件でなければいけない。
全くの他人である専門職後見人に自分(や家族)の財産を預けるのも、家庭裁判所が専門職後見人を選任するのも、全ては「信頼」に基づくものです。
信頼して預けられた財産を横領するということは、横領した本人の信頼だけでなく、他の多くの専門職後見人に対する信頼、もっといえば、成年後見制度そのものに対する信頼を揺るがす行為です。
横領した本人の信頼が地に落ちようが資格を剥奪されようが、自業自得なので知ったこっちゃないですが、1件でも不祥事があれば、高齢者等の権利を擁護するための有効な制度であるはずの成年後見制度そのものや、その制度を支える専門職後見人に対し、疑念を抱かせることになります。
直接的には、横領罪はあくまでも後見人と被後見人の間で起きた犯罪ですので、「被後見人の信頼を裏切り、財産的損害を与えた」という点で罪に問われるわけですが、その次元にとどまらない罪深さがあるといえます。
「司法書士に任せておけば安心」と、誰からも思ってもらえるようになりたいものです。
では、今日はこの辺で。
(参考)
成年後見制度入門
最近、成年後見人であった弁護士による横領事件について、相次いで2件の有罪判決が出ました。
成年後見の預かり金着服、弁護士に実刑判決(読売新聞)
成年後見人として管理していた知的障害のある男性の預かり金1270万円を着服したとして、業務上横領などの罪に問われた東京弁護士会所属の弁護士、関康郎被告(52)に対し、東京地裁は9日、懲役2年6月(求刑・懲役4年)の実刑判決を言い渡した。
弁護士として申し開きできない、成年後見人弁護士に有罪判決(産経新聞)
成年後見人として財産を管理していた女性から約1100万円を着服したとして、業務上横領罪に問われた大阪弁護士会所属の弁護士、小幡一樹被告(45)に対する判決公判が2日、大阪地裁で開かれた。石井俊和裁判長は「成年被後見人が生活原資を失いかねない危機にさらされた。厳しく非難される」などとして懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を言い渡した。
いずれも、弁護士、すなわち専門職後見人による犯罪行為です。
成年後見人が被後見人の財産を横領して逮捕(起訴)されたというニュースは、今年に入ってからのものだけでも、東京弁護士会の元副会長(合計4200万円横領)と兵庫弁護士会所属の弁護士(合計2700万円横領)の事件がありますので、これらの事件についてもそのうち裁判が行われるでしょう。
いずれも被害額は1000万円を超えており、一般市民が被害者であることを考えれば、巨額の横領事件です。
ちなみに、今年に入ってからの有罪判決の報道としては、群馬司法書士会所属の司法書士が250万横領で実刑判決を受けた事件があります。
恥ずかしい話ですが、司法書士が横領事件を起こすこともあるわけです。
司法書士であれ弁護士であれ、専門職に対する信頼を裏切る行為であり、断じて許されるものではありません。
今紹介した事件は弁護士の事件が多いですが、これは別に弁護士に恨みがあるわけでも弁護士に対してネガティブキャンペーンをやろうとしているわけでもなく、事実として、弁護士による横領事件報道が多いのです。
もちろん、弁護士の犯罪ばかり報道されるのは、弁護士ばかりが犯罪に走っているからというわけではありません。
実際には、報道されないような親族後見人の犯罪の方が圧倒的に多く、専門職後見人による犯罪というのは、数としてはそれほど多いものではありません。
さらに、弁護士ほどではないとはいえ、上に紹介した通り、司法書士による横領事件もありますし、過去には同じく専門職の社会福祉士による横領事件もありました。
あるいは、ほかにも明るみになっていない事件もあるでしょう。
にもかかわらず弁護士の犯罪ばかり報道されるのは、その社会的地位・責任によるものです。
そこは、一応、客観的事実としておさえておかなければならないポイントだと思います。
ですが、司法書士・社会福祉士も含め、専門職後見人による横領事件というのは、「少なけりゃいい」というものでもありません。
横領というのは、過失犯ではなく故意犯です。
しかも、確実に確定的な故意をもって実行する犯罪です。
うっかりミスでやってしまう類の犯罪ではありません。
専門職後見人による横領事件は、たとえ1件であったとしても「多い」と思います。
0件でなければいけない。
全くの他人である専門職後見人に自分(や家族)の財産を預けるのも、家庭裁判所が専門職後見人を選任するのも、全ては「信頼」に基づくものです。
信頼して預けられた財産を横領するということは、横領した本人の信頼だけでなく、他の多くの専門職後見人に対する信頼、もっといえば、成年後見制度そのものに対する信頼を揺るがす行為です。
横領した本人の信頼が地に落ちようが資格を剥奪されようが、自業自得なので知ったこっちゃないですが、1件でも不祥事があれば、高齢者等の権利を擁護するための有効な制度であるはずの成年後見制度そのものや、その制度を支える専門職後見人に対し、疑念を抱かせることになります。
直接的には、横領罪はあくまでも後見人と被後見人の間で起きた犯罪ですので、「被後見人の信頼を裏切り、財産的損害を与えた」という点で罪に問われるわけですが、その次元にとどまらない罪深さがあるといえます。
「司法書士に任せておけば安心」と、誰からも思ってもらえるようになりたいものです。
では、今日はこの辺で。
(参考)
成年後見制度入門
2013年7月10日水曜日
「非嫡出子(婚外子)差別」のおさらい
司法書士の岡川です。
非嫡出子の相続分の規定について、違憲判決が出る可能性が高くなってきました。
(追記:違憲決定出ました→「非嫡出子(婚外子)差別の違憲決定」)
婚外子相続規定:最高裁大法廷で弁論 合憲見直しの可能性(毎日新聞)
嫡出子とは、「夫婦の間の子」です。
典型的には、夫婦が結婚した後に懐胎(妊娠)し、生まれた子が嫡出子です。
民法の規定上、嫡出子の推定を受けるのは、「妻が婚姻中に懐胎した子」(民法772条)だけですが、結婚前に懐胎(いわゆる「できちゃった婚」「おめでた婚」)した場合であっても、嫡出子と認められます(これを「推定されない嫡出子」といいます)。
ただし、結婚前の懐胎は、婚姻中に懐胎した場合と違って嫡出子の推定を受けないため、あとで揉めたら少し大変なことになる可能性は残っています。
特に、離婚した直後に別の男との間の子を懐胎するのは、リスクが高いのでやめた方がいいですよ。
嫡出がどうかという点を除いても、「この子の(法律上の)父親は誰だ!」ということで問題となり、下手すると裁判沙汰です。
嫡出子になるもうひとつのパターンが「準正」という制度です(民法789条)。
準正とは、「父親が子を認知した後に両親が結婚する場合」または、「両親が結婚した後に父母が認知する場合」をいいます。
母親については、分娩の事実だけで認知をしなくても母子関係が成立すると考えられていますので、結局のところ、「両親の結婚」と「父親の認知」の両方がそろった場合を「準正」といいます。
準正があれば、その子は嫡出子の身分を取得します。
この嫡出子の定義に当てはまっていれば、別に母子家庭でも父子家庭でも関係ありません。
例えば、婚姻中に懐胎したがその後に両親が離婚したような場合、出産時に母親に夫はいなくても、生まれてきた子は、元夫との間の嫡出子です。
この場合、父親の認知も不要で、もし父親が「俺の子じゃない」と言いたければ、父親の側から嫡出否認の訴えを提起しなければなりません。
そして、どのようなパターンでも、一度嫡出子になれば、あとは両親が離婚しようが再婚しようが、嫡出子の身分を失うことはありません。
嫡出子と非嫡出子(婚外子)の違いは、書類上の問題として、戸籍の記載が違うなどの点があるのですが、実体法上の最大の違いは、嫡出子と非嫡出子では、法定相続分が異なるということです(民法900条4号)。
具体的には、非嫡出子の相続分は、嫡出子の2分の1になります。
具体例として、被相続人A、その妻B、その子がCDEという5人家族があるとして、Eが非嫡出子とします。
このような家族構成になる理由としては、いくつか考えられます。
例えば、Aが独身女性Fと浮気し、AとFとの間に生まれた子をAが認知した場合ですね。
あるいは、AがB結婚する前の独身時代に独身女性Gと交際し、AとGの間に生まれた子を認知したが、AとGは結婚しないまま別れ、後にAとBが結婚した場合も考えられます。
いずれにせよ、このようなときにAが死んだ場合の法定相続分は、Bが妻として2分の1で、CDEが子として残りの2分の1になります。
そして、CDEの分け方は「非嫡出子は嫡出子の2分の1」になりますので、最終的な取り分は、
Bは10分の5
Cは10分の2
Dは10分の2
Eは10分の1
となります。
この点について、「嫡出子と非嫡出子で相続分に差があるのは、差別だ」として、昔からその規定の合憲性(平等原則を定める憲法14条違反)が争われてきました。
過去に争われた裁判では、最高裁判所は、「結婚」という制度を尊重するためのもので不合理な差別ではないと判断し、この民法の規定は合憲だと判断していました。
以後、実務上、民法の規定の通りに動いています。
今回の事件も、一審と二審は、過去の最高裁判例と同様、合憲と判断しました。
そこで、最高裁判所までいったわけですが、大法廷で口頭弁論が開かれることになりました。
最高裁判所は、裁判官15人全員で構成される「大法廷」と、5人で構成される「小法廷」(第一から第三まで)があります。
そのうち大法廷は、特に重要な判断をする審理を取り扱い、ここでは違憲判決や判例変更をすることができます(裁判所法10条)。
また、最高裁判所は、理由がないとみれば、口頭弁論を開くことなく(つまり、当事者を裁判所に呼ぶこともなく)特別抗告を棄却することができるのですが、原審(今回だと東京高裁)の判断を覆すような場合は、口頭弁論が開かれます。
と、いうことは、最高裁は、判例を変更し、民法の規定は違憲だと宣言し、東京高裁の決定を破棄する・・・という可能性が出てきたわけですね。
もちろん、決まったわけではなく、大法廷が口頭弁論の末「やっぱ、東京高裁のいうとおりだわ」と判断する可能性もありますが。
さて、最高裁はどう判断するでしょうか。
違憲判決が出れば、民法改正という話になってきます。
では、今日はこの辺で。
非嫡出子の相続分の規定について、違憲判決が出る可能性が高くなってきました。
(追記:違憲決定出ました→「非嫡出子(婚外子)差別の違憲決定」)
婚外子相続規定:最高裁大法廷で弁論 合憲見直しの可能性(毎日新聞)
結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分とした民法の規定が、「法の下の平等」を保障する憲法に違反するかどうかが争われた家事審判の特別抗告審で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允<ひろのぶ>長官)は10日午前、当事者の意見を聞く弁論を開いた。婚外子側は「規定は憲法違反で、直ちに司法の救済が必要だ」と訴えた。今秋にも大法廷が、従来の合憲判断を見直す可能性が高まっている。
嫡出子とは、「夫婦の間の子」です。
典型的には、夫婦が結婚した後に懐胎(妊娠)し、生まれた子が嫡出子です。
民法の規定上、嫡出子の推定を受けるのは、「妻が婚姻中に懐胎した子」(民法772条)だけですが、結婚前に懐胎(いわゆる「できちゃった婚」「おめでた婚」)した場合であっても、嫡出子と認められます(これを「推定されない嫡出子」といいます)。
ただし、結婚前の懐胎は、婚姻中に懐胎した場合と違って嫡出子の推定を受けないため、あとで揉めたら少し大変なことになる可能性は残っています。
特に、離婚した直後に別の男との間の子を懐胎するのは、リスクが高いのでやめた方がいいですよ。
嫡出がどうかという点を除いても、「この子の(法律上の)父親は誰だ!」ということで問題となり、下手すると裁判沙汰です。
嫡出子になるもうひとつのパターンが「準正」という制度です(民法789条)。
準正とは、「父親が子を認知した後に両親が結婚する場合」または、「両親が結婚した後に父母が認知する場合」をいいます。
母親については、分娩の事実だけで認知をしなくても母子関係が成立すると考えられていますので、結局のところ、「両親の結婚」と「父親の認知」の両方がそろった場合を「準正」といいます。
準正があれば、その子は嫡出子の身分を取得します。
この嫡出子の定義に当てはまっていれば、別に母子家庭でも父子家庭でも関係ありません。
例えば、婚姻中に懐胎したがその後に両親が離婚したような場合、出産時に母親に夫はいなくても、生まれてきた子は、元夫との間の嫡出子です。
この場合、父親の認知も不要で、もし父親が「俺の子じゃない」と言いたければ、父親の側から嫡出否認の訴えを提起しなければなりません。
そして、どのようなパターンでも、一度嫡出子になれば、あとは両親が離婚しようが再婚しようが、嫡出子の身分を失うことはありません。
嫡出子と非嫡出子(婚外子)の違いは、書類上の問題として、戸籍の記載が違うなどの点があるのですが、実体法上の最大の違いは、嫡出子と非嫡出子では、法定相続分が異なるということです(民法900条4号)。
具体的には、非嫡出子の相続分は、嫡出子の2分の1になります。
具体例として、被相続人A、その妻B、その子がCDEという5人家族があるとして、Eが非嫡出子とします。
このような家族構成になる理由としては、いくつか考えられます。
例えば、Aが独身女性Fと浮気し、AとFとの間に生まれた子をAが認知した場合ですね。
あるいは、AがB結婚する前の独身時代に独身女性Gと交際し、AとGの間に生まれた子を認知したが、AとGは結婚しないまま別れ、後にAとBが結婚した場合も考えられます。
いずれにせよ、このようなときにAが死んだ場合の法定相続分は、Bが妻として2分の1で、CDEが子として残りの2分の1になります。
そして、CDEの分け方は「非嫡出子は嫡出子の2分の1」になりますので、最終的な取り分は、
Bは10分の5
Cは10分の2
Dは10分の2
Eは10分の1
となります。
この点について、「嫡出子と非嫡出子で相続分に差があるのは、差別だ」として、昔からその規定の合憲性(平等原則を定める憲法14条違反)が争われてきました。
過去に争われた裁判では、最高裁判所は、「結婚」という制度を尊重するためのもので不合理な差別ではないと判断し、この民法の規定は合憲だと判断していました。
以後、実務上、民法の規定の通りに動いています。
今回の事件も、一審と二審は、過去の最高裁判例と同様、合憲と判断しました。
そこで、最高裁判所までいったわけですが、大法廷で口頭弁論が開かれることになりました。
最高裁判所は、裁判官15人全員で構成される「大法廷」と、5人で構成される「小法廷」(第一から第三まで)があります。
そのうち大法廷は、特に重要な判断をする審理を取り扱い、ここでは違憲判決や判例変更をすることができます(裁判所法10条)。
また、最高裁判所は、理由がないとみれば、口頭弁論を開くことなく(つまり、当事者を裁判所に呼ぶこともなく)特別抗告を棄却することができるのですが、原審(今回だと東京高裁)の判断を覆すような場合は、口頭弁論が開かれます。
と、いうことは、最高裁は、判例を変更し、民法の規定は違憲だと宣言し、東京高裁の決定を破棄する・・・という可能性が出てきたわけですね。
もちろん、決まったわけではなく、大法廷が口頭弁論の末「やっぱ、東京高裁のいうとおりだわ」と判断する可能性もありますが。
さて、最高裁はどう判断するでしょうか。
違憲判決が出れば、民法改正という話になってきます。
では、今日はこの辺で。
2013年7月9日火曜日
痴漢サイトなりすまし事件真犯人逮捕
司法書士の岡川です。
例のあの事件について、真犯人が逮捕されました。
痴漢:国税局調査官を逮捕 女性になりすまし「痴漢して」(毎日新聞)
容疑者自体は、既に見つかっていたのですが、今回、容疑が固まって逮捕という運びになりました。
逮捕容疑は、迷惑防止条例違反です。
まあ、穏当なところですね。
痴漢は、「痴漢罪」というものが存在するわけではなく、刑法上、強制わいせつ罪や迷惑防止条例違反に問われるのが一般的です。
そのうち、下着の中に手を入れるなど、悪質なものは強制わいせつ罪で立件されますが、服の上から触った程度なら迷惑防止条例違反が適用されることが多いようです。
今回の事件でも、捜査段階では、強制わいせつ罪も視野に入れていたようですが、最終的には迷惑防止条例違反で立件されました。
つまり「強制わいせつ」に至らない程度の行為だったのでしょう。
強制わいせつ罪については、以前の記事で検討した通り、「単なる嫌がらせ目的の真犯人に強制わいせつ罪が成立するのか」という、刑法学的になかなか興味深い論点があったのですが、そういう議論には踏み込まないことになりそうです。
迷惑防止条例違反については、最初の記事の段階から考慮の対象から外しています。
強制わいせつ罪に比べて法定刑は軽いですが、その代わりかなり広範に成立する犯罪なので、あまり深く考察する対象でもなかったからです
なんなら、相手に触れなくても成立します(もちろん、傾向犯でもありません)。
要するに、いろいろと話題性がありましたが、結論的には「結構簡単に成立する犯罪だけで立件されました。以上。」ということです。
今回の事件で、この手のサイトには「なりすまし」が存在するということが広く知れ渡りました。
今のところ、直接痴漢行為に及んだ男の処分は保留のままになっていますが、今後、同じようになりすましに引っかかって痴漢をする人が出てきたら、「なりすましとは知らなかった」では済まされなくなるでしょう。
痴漢ごっこは知り合い同士プライベートな空間でやってくださいね。
では、今日はこの辺で。
例のあの事件について、真犯人が逮捕されました。
痴漢:国税局調査官を逮捕 女性になりすまし「痴漢して」(毎日新聞)
インターネットの掲示板で「痴漢してくれる人を望む」などの書き込みを見てJR和歌山線の電車内で痴漢をした男が逮捕された事件で、和歌山県警和歌山東署は9日、女性になりすまして他人に痴漢行為をさせたとして、大阪国税局海南税務署(同県海南市)の上席調査官、伊勢川洋二容疑者(49)=同県紀の川市粉河=を県迷惑防止条例違反(卑わいな行為)容疑で逮捕した。
容疑者自体は、既に見つかっていたのですが、今回、容疑が固まって逮捕という運びになりました。
逮捕容疑は、迷惑防止条例違反です。
まあ、穏当なところですね。
痴漢は、「痴漢罪」というものが存在するわけではなく、刑法上、強制わいせつ罪や迷惑防止条例違反に問われるのが一般的です。
そのうち、下着の中に手を入れるなど、悪質なものは強制わいせつ罪で立件されますが、服の上から触った程度なら迷惑防止条例違反が適用されることが多いようです。
今回の事件でも、捜査段階では、強制わいせつ罪も視野に入れていたようですが、最終的には迷惑防止条例違反で立件されました。
つまり「強制わいせつ」に至らない程度の行為だったのでしょう。
強制わいせつ罪については、以前の記事で検討した通り、「単なる嫌がらせ目的の真犯人に強制わいせつ罪が成立するのか」という、刑法学的になかなか興味深い論点があったのですが、そういう議論には踏み込まないことになりそうです。
迷惑防止条例違反については、最初の記事の段階から考慮の対象から外しています。
強制わいせつ罪に比べて法定刑は軽いですが、その代わりかなり広範に成立する犯罪なので、あまり深く考察する対象でもなかったからです
なんなら、相手に触れなくても成立します(もちろん、傾向犯でもありません)。
要するに、いろいろと話題性がありましたが、結論的には「結構簡単に成立する犯罪だけで立件されました。以上。」ということです。
今回の事件で、この手のサイトには「なりすまし」が存在するということが広く知れ渡りました。
今のところ、直接痴漢行為に及んだ男の処分は保留のままになっていますが、今後、同じようになりすましに引っかかって痴漢をする人が出てきたら、「なりすましとは知らなかった」では済まされなくなるでしょう。
痴漢ごっこは知り合い同士プライベートな空間でやってくださいね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月8日月曜日
未成年後見人の損害賠償責任
司法書士の岡川です
昨日の話題に引き続き、未成年者の加害行為と損害賠償の(少し発展的な)話をします。
親権者がいる場合は、親権者が責任を取る。
これは、「子供の責任は親がとる」ということで、まあ直観的にわかり易いですね。
ところで、親権者がいない子(両親が死亡して養親も存在しない場合等)には、「未成年後見人」という、親権者の代わりに子の監護をし、財産を管理する立場の人がつきます。
未成年後見人は、全くの第三者でも構いません。
この点は、同じ「後見制度」である成年後見制度と変わりません。
そうすると、成年後見制度において「専門職後見人」といわれている、司法書士、弁護士、社会福祉士らが選任されてもよさそうですが、実は、未成年後見の専門職後見人は、成年後見ほど多くありません。
というより、専門職後見人が選任されることはほとんどないのが現状です(成年後見ほどしっかりとした統計は出ていませんが)。
知り合いの司法書士で一人、未成年後見人をしている人がいますが、周りでもあまり聞きません。
まずそもそも未成年後見の選任申立件数が少ないということがあります。
「両親も養親も不在で、施設にも入っていない」という子が毎年何万人も出てくる状況にはなっていないからです。
しかし、それでも毎年3,000件程度の申立てはあります。
そんな中、司法書士や弁護士が未成年後見人にならないのは、制度的な問題がある点も要因のひとつではないかと考えられます。
実は、昨年施行された民法改正で、未成年後見制度は少し使いやすくなったのですが、それでもまだまだ完全ではありません。
未成年後見制度の大きな問題のひとつが、損害賠償責任の点です。
未成年後見人の特徴のひとつとして、未成年後見人には「監護権」があります。
「権」とありますが、監護権は純粋な権利ではなく、子を適切に監督し、保護し、教育する「権利と義務」の両面があります。
もちろん、未成年後見人になったからといって、一緒に住んだり、養ったりする義務はありませんが(これが養親との違いです)、「監督・教育する義務」があります。
と、いうことは、昨日の話題につながるわけです。
つまり、例えば10歳くらいの未成年者(責任無能力者)につく未成年後見人は、未成年者が誰かに損害を与えた場合に賠償義務を負うことになります(民法714条の責任)。
また、未成年者に責任能力が認められる場合であっても、未成年後見人に監督義務自体はあるわけで、場合によっては監督義務違反として独自に不法行為責任を問われる可能性もあります(民法709条に基づく通常の不法行為責任)。
未成年後見人は、親ではないけど、民法上、未成年者の行為について親と同等の責任を負っていることになります。
したがって、未成年者がもし自転車で高齢女性にぶつかって意識不明の重体に陥らせてしまったら、未成年後見人自身が9500万円の損害賠償責任を負うことにもなりかねません。
非常にリスクが高いということです。
一応保険もあるのですが、保険でカバーしきれない点もあります。
未成年者が、故意に不法行為を行った場合など、保険金が出ない可能性が高い。
これが、司法書士や弁護士等の第三者が未成年後見人を引き受けにくい原因のひとつです。
権利擁護という点では、成年後見だけでなく未成年後見も積極的に引き受けたいところなのですが(今のところ、そういう相談を受けたことはないですが)、やはり、このリスクを回避する方法ができない限り、正直いって躊躇してしまいますよね。
親のいない子の権利を保護するためには、何らかの制度改善が望まれます。
では、今日はこの辺で。
昨日の話題に引き続き、未成年者の加害行為と損害賠償の(少し発展的な)話をします。
親権者がいる場合は、親権者が責任を取る。
これは、「子供の責任は親がとる」ということで、まあ直観的にわかり易いですね。
ところで、親権者がいない子(両親が死亡して養親も存在しない場合等)には、「未成年後見人」という、親権者の代わりに子の監護をし、財産を管理する立場の人がつきます。
未成年後見人は、全くの第三者でも構いません。
この点は、同じ「後見制度」である成年後見制度と変わりません。
そうすると、成年後見制度において「専門職後見人」といわれている、司法書士、弁護士、社会福祉士らが選任されてもよさそうですが、実は、未成年後見の専門職後見人は、成年後見ほど多くありません。
というより、専門職後見人が選任されることはほとんどないのが現状です(成年後見ほどしっかりとした統計は出ていませんが)。
知り合いの司法書士で一人、未成年後見人をしている人がいますが、周りでもあまり聞きません。
まずそもそも未成年後見の選任申立件数が少ないということがあります。
「両親も養親も不在で、施設にも入っていない」という子が毎年何万人も出てくる状況にはなっていないからです。
しかし、それでも毎年3,000件程度の申立てはあります。
そんな中、司法書士や弁護士が未成年後見人にならないのは、制度的な問題がある点も要因のひとつではないかと考えられます。
実は、昨年施行された民法改正で、未成年後見制度は少し使いやすくなったのですが、それでもまだまだ完全ではありません。
未成年後見制度の大きな問題のひとつが、損害賠償責任の点です。
未成年後見人の特徴のひとつとして、未成年後見人には「監護権」があります。
「権」とありますが、監護権は純粋な権利ではなく、子を適切に監督し、保護し、教育する「権利と義務」の両面があります。
もちろん、未成年後見人になったからといって、一緒に住んだり、養ったりする義務はありませんが(これが養親との違いです)、「監督・教育する義務」があります。
と、いうことは、昨日の話題につながるわけです。
つまり、例えば10歳くらいの未成年者(責任無能力者)につく未成年後見人は、未成年者が誰かに損害を与えた場合に賠償義務を負うことになります(民法714条の責任)。
また、未成年者に責任能力が認められる場合であっても、未成年後見人に監督義務自体はあるわけで、場合によっては監督義務違反として独自に不法行為責任を問われる可能性もあります(民法709条に基づく通常の不法行為責任)。
未成年後見人は、親ではないけど、民法上、未成年者の行為について親と同等の責任を負っていることになります。
したがって、未成年者がもし自転車で高齢女性にぶつかって意識不明の重体に陥らせてしまったら、未成年後見人自身が9500万円の損害賠償責任を負うことにもなりかねません。
非常にリスクが高いということです。
一応保険もあるのですが、保険でカバーしきれない点もあります。
未成年者が、故意に不法行為を行った場合など、保険金が出ない可能性が高い。
これが、司法書士や弁護士等の第三者が未成年後見人を引き受けにくい原因のひとつです。
権利擁護という点では、成年後見だけでなく未成年後見も積極的に引き受けたいところなのですが(今のところ、そういう相談を受けたことはないですが)、やはり、このリスクを回避する方法ができない限り、正直いって躊躇してしまいますよね。
親のいない子の権利を保護するためには、何らかの制度改善が望まれます。
では、今日はこの辺で。
2013年7月7日日曜日
子の自転車事故で、賠償金は母親が支払うのか?
司法書士の岡川です
前回の話題で、とりあえず無視しておいた点について。
事件の内容をおさらいしておくと、当時10歳くらいの少年が自転車で高齢女性にぶつかり、意識不明の重体を負わせたところ、母親に対する総額9500万円の損害賠償請求が認められたというものです。
前回は、「被害者」と「加害者」という風にしておきましたが、厳密にいうと、加害者は少年であって、その母親は直接自転車で被害者にぶつかったわけではありません。
しかし、賠償責任は母親にあります。
判決を詳しく見ていないのでわかりませんが、少年の「責任能力」が否定されているものと考えられます。
責任能力とは、「自己の行為の責任を弁識するに足りる能力」をいいます(民法712条)。
責任能力は、だいたい12歳前後で判断されるのですが、当時小5ということであれば、責任能力が否定されたのでしょう。
これが否定される人を「責任無能力者」といい、責任無能力者は自己の不法行為に対する損害賠償責任を負いません。
つまり、被害者からしてみれば、暴走する野生の牛に追突されて怪我したのと同じ状態なわけです(野生の牛は、損害賠償してくれません。気を付けましょう)。
しかし、野生の牛に追突されたら、泣き寝入りするしかなくても仕方ないですが、いくら未成熟な子のしたことだからといって、誰の責任も問われないのは被害者がかわいそうです。
そこで、民法714条には、「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」と規定されています。
親権者は監督する義務を負うので、子の代わりに親が責任を負うわけですね。
ただし、完全な無過失責任(結果責任)を負うわけではなく、親の方で、「私の監督は完璧だった!」と証明できれば、責任は免れます。
昨日の事件では、母親がその証明をできなかった(と裁判所は判断した)、ということです。
特に小さなお子さんをお持ちの方は、「加害者側の保険」(損害賠償責任保険)に入ることを検討するのも一つの手です。
既に何かの保険に入っている方は、「自分の子が他人に損害を与えた場合の損害賠償金を補填してくれる特約」がついているか、確認しておきましょう。
では、今日はこの辺で。
関連記事→認知症患者の家族の損害賠償責任
前回の話題で、とりあえず無視しておいた点について。
事件の内容をおさらいしておくと、当時10歳くらいの少年が自転車で高齢女性にぶつかり、意識不明の重体を負わせたところ、母親に対する総額9500万円の損害賠償請求が認められたというものです。
前回は、「被害者」と「加害者」という風にしておきましたが、厳密にいうと、加害者は少年であって、その母親は直接自転車で被害者にぶつかったわけではありません。
しかし、賠償責任は母親にあります。
判決を詳しく見ていないのでわかりませんが、少年の「責任能力」が否定されているものと考えられます。
責任能力とは、「自己の行為の責任を弁識するに足りる能力」をいいます(民法712条)。
責任能力は、だいたい12歳前後で判断されるのですが、当時小5ということであれば、責任能力が否定されたのでしょう。
これが否定される人を「責任無能力者」といい、責任無能力者は自己の不法行為に対する損害賠償責任を負いません。
つまり、被害者からしてみれば、暴走する野生の牛に追突されて怪我したのと同じ状態なわけです(野生の牛は、損害賠償してくれません。気を付けましょう)。
しかし、野生の牛に追突されたら、泣き寝入りするしかなくても仕方ないですが、いくら未成熟な子のしたことだからといって、誰の責任も問われないのは被害者がかわいそうです。
そこで、民法714条には、「責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」と規定されています。
親権者は監督する義務を負うので、子の代わりに親が責任を負うわけですね。
ただし、完全な無過失責任(結果責任)を負うわけではなく、親の方で、「私の監督は完璧だった!」と証明できれば、責任は免れます。
昨日の事件では、母親がその証明をできなかった(と裁判所は判断した)、ということです。
特に小さなお子さんをお持ちの方は、「加害者側の保険」(損害賠償責任保険)に入ることを検討するのも一つの手です。
既に何かの保険に入っている方は、「自分の子が他人に損害を与えた場合の損害賠償金を補填してくれる特約」がついているか、確認しておきましょう。
では、今日はこの辺で。
関連記事→認知症患者の家族の損害賠償責任
2013年7月5日金曜日
自転車事故で保険会社に損害賠償?
司法書士の岡川です。
自転車事故に関して、9500万円の賠償を認める判決が出たというニュースがありました。
親に9500万円賠償命令 少年が自転車で人はねた事故(朝日新聞)
じっくりと関係者を整理すれば、それほど複雑なことではないのですが、登場人物は、「被害者」と「加害者」、それから「被害者側の保険会社」です。
そして、加害者が被害者に与えた損害額は、9500万円です。
「被害者側の保険会社」は、被害者の損害(傷害)について、保険契約に基づいて保険金を出さなければなりません。
これは、「被害者側の保険会社」から「被害者」に対して支払われます。
少なくとも6000万円は支払っていると推認されるわけですが、説明を簡単にするため、「ちょうど6000万円を被害者に支払った」としましょう。
ここまでで、「被害者は、9500万円の損害を受けた」そして、「被害者の保険会社は、被害者に6000万円支払った」状態です。
次に、保険法にはこういう条文があります。
ここでは、「保険者」というのが保険会社で、「被保険者」というのが被害者ですね。
「代位する」というのは、「請求権者の権利を受け継ぐ」といった程度の意味だと考えてください。
被害を受けた段階では、被害者は、加害者に対して、9500万円の損害賠償請求権を有していたわけです。
そして、保険会社は、そのうち6000万円について、被害者に支払いました(保険給付を行った)。
その場合、保険会社は、6000万円分について損害賠償請求をする地位を、被害者から受け継いだことになります。
したがって、被害者は、加害者に対して、補償されていない残りの3500万円の損害賠償請求ができ、保険会社は、同じく加害者に対して、6000万円の損害賠償請求をすることができるようになります。
そうすると、
・被害者は、保険会社(6000万円)と加害者(3500万円)から、合わせて損害額の全額9500万円を受け取る。
・被害者側の保険会社は、6000万円被害者に支払って、加害者から6000万円回収して、差し引きゼロになる。
・加害者は、被害者(3500万円)と被害者側の保険会社(6000万円)に、合わせて損害額の全額9500万円を支払う。
という構造になるわけです。
結論を見ると、「加害者が全額賠償し、被害者が全額受け取る」というだけなので、何もおかしいことはないですね。
おそらく、「保険会社は、事故があった時に金を出すのが仕事だろ。なんで金もらってんだよ」という疑問だと思います。
しかし、被害者側の保険会社、「被害者との契約」で「被害者に対して」金を出すのです。
そして実際に、まず6000万円を「被害者に」支払っています。
そのうえで、保険会社は、「加害者から」自分が先に被害者に支払った分だけ回収することで、加害者との関係で差し引きゼロに持っていくわけです。
つまり、今回も保険会社は損害賠償請求しても、1円も儲けは出ていませんし、他方で加害者側も、保険会社に賠償することで、本来の額以上の賠償をするわけでもありません。
ついでにいえば、もし、今回の事故で、加害者側が「損害賠償責任保険」という種類の保険に入っていれば、その「加害者側の保険会社」が、9500万円のうちいくらかを「加害者に」補填してくれます。
そして、この場合、「加害者側の保険会社」は誰にもそれを請求できません(なぜなら、そのために保険料をもらっているのだから)。
ご理解いただけたでしょうか?
保険代位の話は、いろいろ難しい問題があるので、さっと記事に書き上げることはできませんが、とりあえず今日のところは、「別に保険会社は利益を得たわけでもないし、加害者が必要以上に支出をしたわけでもない」というところだけおさえておきましょう。
では、今日はこの辺で。
続き→子の自転車事故で、賠償金は母親が払うのか?
自転車事故に関して、9500万円の賠償を認める判決が出たというニュースがありました。
親に9500万円賠償命令 少年が自転車で人はねた事故(朝日新聞)
自転車で女性(67)をはねて寝たきり状態にさせたとされる少年(15)=当時小学5年=の親の賠償責任が問われた訴訟の判決が4日、神戸地裁であった。田中智子裁判官は「事故を起こさないよう子どもに十分な指導をしていなかった」と判断。少年の母親(40)に対し、原告の女性側と傷害保険金を女性に支払った損保会社に計9500万円を賠償するよう命じた。いろいろと論点はあるのですが、ネット上では「え、なんで保険会社に賠償してんの?」という疑問があるようなので、「母親に責任があるのか」とか、「賠償額が大きすぎる」とか、そういう点はひとまず置いといて、まずは「なんで保険会社に支払うのか」という点を解説します。
(中略)
母親には女性側へ3500万円、損保会社へ6千万円の賠償責任があるとした。
じっくりと関係者を整理すれば、それほど複雑なことではないのですが、登場人物は、「被害者」と「加害者」、それから「被害者側の保険会社」です。
そして、加害者が被害者に与えた損害額は、9500万円です。
「被害者側の保険会社」は、被害者の損害(傷害)について、保険契約に基づいて保険金を出さなければなりません。
これは、「被害者側の保険会社」から「被害者」に対して支払われます。
少なくとも6000万円は支払っていると推認されるわけですが、説明を簡単にするため、「ちょうど6000万円を被害者に支払った」としましょう。
ここまでで、「被害者は、9500万円の損害を受けた」そして、「被害者の保険会社は、被害者に6000万円支払った」状態です。
次に、保険法にはこういう条文があります。
(請求権代位)これは法律の条文ですが、保険会社の契約(約款)にも、同じ趣旨のことが規定されていることがあります。
第25条 保険者は、保険給付を行ったときは、次に掲げる額のうちいずれか少ない額を限度として、保険事故による損害が生じたことにより被保険者が取得する債権(債務の不履行その他の理由により債権について生ずることのある損害をてん補する損害保険契約においては、当該債権を含む。以下この条において「被保険者債権」という。)について当然に被保険者に代位する。
ここでは、「保険者」というのが保険会社で、「被保険者」というのが被害者ですね。
「代位する」というのは、「請求権者の権利を受け継ぐ」といった程度の意味だと考えてください。
被害を受けた段階では、被害者は、加害者に対して、9500万円の損害賠償請求権を有していたわけです。
そして、保険会社は、そのうち6000万円について、被害者に支払いました(保険給付を行った)。
その場合、保険会社は、6000万円分について損害賠償請求をする地位を、被害者から受け継いだことになります。
したがって、被害者は、加害者に対して、補償されていない残りの3500万円の損害賠償請求ができ、保険会社は、同じく加害者に対して、6000万円の損害賠償請求をすることができるようになります。
そうすると、
・被害者は、保険会社(6000万円)と加害者(3500万円)から、合わせて損害額の全額9500万円を受け取る。
・被害者側の保険会社は、6000万円被害者に支払って、加害者から6000万円回収して、差し引きゼロになる。
・加害者は、被害者(3500万円)と被害者側の保険会社(6000万円)に、合わせて損害額の全額9500万円を支払う。
という構造になるわけです。
結論を見ると、「加害者が全額賠償し、被害者が全額受け取る」というだけなので、何もおかしいことはないですね。
おそらく、「保険会社は、事故があった時に金を出すのが仕事だろ。なんで金もらってんだよ」という疑問だと思います。
しかし、被害者側の保険会社、「被害者との契約」で「被害者に対して」金を出すのです。
そして実際に、まず6000万円を「被害者に」支払っています。
そのうえで、保険会社は、「加害者から」自分が先に被害者に支払った分だけ回収することで、加害者との関係で差し引きゼロに持っていくわけです。
つまり、今回も保険会社は損害賠償請求しても、1円も儲けは出ていませんし、他方で加害者側も、保険会社に賠償することで、本来の額以上の賠償をするわけでもありません。
ついでにいえば、もし、今回の事故で、加害者側が「損害賠償責任保険」という種類の保険に入っていれば、その「加害者側の保険会社」が、9500万円のうちいくらかを「加害者に」補填してくれます。
そして、この場合、「加害者側の保険会社」は誰にもそれを請求できません(なぜなら、そのために保険料をもらっているのだから)。
ご理解いただけたでしょうか?
保険代位の話は、いろいろ難しい問題があるので、さっと記事に書き上げることはできませんが、とりあえず今日のところは、「別に保険会社は利益を得たわけでもないし、加害者が必要以上に支出をしたわけでもない」というところだけおさえておきましょう。
では、今日はこの辺で。
続き→子の自転車事故で、賠償金は母親が払うのか?
2013年7月4日木曜日
参議院議員選挙の公示
司法書士の岡川です。
今日、参議院選挙の公示がされました。
正確にいうと、選挙の施行とその期日が公示されます。
公示というのは、広く一般に知らせるために公表することです。
選挙の施行の公示は、日本国憲法第7条4号に、天皇の国事行為として「国会議員の総選挙の施行を公示すること。」と規定されていますので、天皇の出す文書、すなわち「詔書」という形で公示されます。
この詔書は、今日の官報に載っています。
中学校くらいで習ったと思いますが、衆議院の場合、(補欠選挙を除けば)議員全員を一斉に改選しますが、参議院選挙は、一気に参議院議員全員を選ぶのではなく、3年ごとに半数ずつ改選(よって、参議院議員の任期は6年です)します。
そこで、公職選挙法では、衆議院議員選挙を「総選挙」と呼ぶのに対し、参議院議員選挙は「総」選挙ではなく「通常選挙」と呼んでいます。
ところが、日本国憲法の規定では、天皇の国事行為は「総選挙の施行を公示」となっています。
ということは、参議院通常選挙の公示は天皇の国事行為に含まれないの?という疑問も出てきます。
しかし、もちろんそんなことはありません。
同じ単語でも法令によって違う意味に使われることは、ごくごく一般的なことです。
例えば、会社法でいう「役員」と独占禁止法でいう「役員」では、そこに含まれているものが違います。
もっといえば、同じ法令の中に出てくる単語であっても、条項によって違う意味になる場合もあります。
なので、公職選挙法の「総選挙」と日本国憲法の「総選挙」が同じ意味であるとは限らないのです。
そこで、日本国憲法を読んでいくと、7条4号は「国会議員の総選挙」となっていますね。
他方、日本国憲法の中でも、衆議院議員の総選挙に関しては、例えば54条等で「衆議院議員の総選挙」となっています。
7条4号が衆議院のことに限定する趣旨なら、ここも「衆議院議員の総選挙」となっているはずです。
そもそも、日本国憲法のどこにも「総選挙」を衆議院議員の選挙に限るという定義はされていませんし、「通常選挙」という概念も存在しません。
衆議院と参議院で総選挙と通常選挙を使い分けているのは、あくまで公職選挙法上の用例にすぎないわけです。
また、実質的に、衆議院と参議院で公示の仕方を変えなければならない理由もありません。
こういうふうに考えていけば、日本国憲法7条4号にいう「総選挙」には衆議院も参議院も含むといえそうです。
そして、実際に、解釈上(学説的にも実務的にも)、7条4号に参議院議員選挙も含むことは、争いがありません。
以前の記事で、ただ単純に日本国憲法の条文だけ読むことは、「暇つぶし程度の意味しかない」と述べましたが、この7条4号ひとつとってみても、「解釈」をしなければ内容を確定的に理解することができないわけです。
さてさて、公示がされたので、本格的に選挙活動がスタートします。
皆さん、公職選挙法に抵触しないよう気を付けましょう。
では、今日はこの辺で。
今日、参議院選挙の公示がされました。
正確にいうと、選挙の施行とその期日が公示されます。
公示というのは、広く一般に知らせるために公表することです。
選挙の施行の公示は、日本国憲法第7条4号に、天皇の国事行為として「国会議員の総選挙の施行を公示すること。」と規定されていますので、天皇の出す文書、すなわち「詔書」という形で公示されます。
この詔書は、今日の官報に載っています。
中学校くらいで習ったと思いますが、衆議院の場合、(補欠選挙を除けば)議員全員を一斉に改選しますが、参議院選挙は、一気に参議院議員全員を選ぶのではなく、3年ごとに半数ずつ改選(よって、参議院議員の任期は6年です)します。
そこで、公職選挙法では、衆議院議員選挙を「総選挙」と呼ぶのに対し、参議院議員選挙は「総」選挙ではなく「通常選挙」と呼んでいます。
ところが、日本国憲法の規定では、天皇の国事行為は「総選挙の施行を公示」となっています。
ということは、参議院通常選挙の公示は天皇の国事行為に含まれないの?という疑問も出てきます。
しかし、もちろんそんなことはありません。
同じ単語でも法令によって違う意味に使われることは、ごくごく一般的なことです。
例えば、会社法でいう「役員」と独占禁止法でいう「役員」では、そこに含まれているものが違います。
もっといえば、同じ法令の中に出てくる単語であっても、条項によって違う意味になる場合もあります。
なので、公職選挙法の「総選挙」と日本国憲法の「総選挙」が同じ意味であるとは限らないのです。
そこで、日本国憲法を読んでいくと、7条4号は「国会議員の総選挙」となっていますね。
他方、日本国憲法の中でも、衆議院議員の総選挙に関しては、例えば54条等で「衆議院議員の総選挙」となっています。
7条4号が衆議院のことに限定する趣旨なら、ここも「衆議院議員の総選挙」となっているはずです。
そもそも、日本国憲法のどこにも「総選挙」を衆議院議員の選挙に限るという定義はされていませんし、「通常選挙」という概念も存在しません。
衆議院と参議院で総選挙と通常選挙を使い分けているのは、あくまで公職選挙法上の用例にすぎないわけです。
また、実質的に、衆議院と参議院で公示の仕方を変えなければならない理由もありません。
こういうふうに考えていけば、日本国憲法7条4号にいう「総選挙」には衆議院も参議院も含むといえそうです。
そして、実際に、解釈上(学説的にも実務的にも)、7条4号に参議院議員選挙も含むことは、争いがありません。
以前の記事で、ただ単純に日本国憲法の条文だけ読むことは、「暇つぶし程度の意味しかない」と述べましたが、この7条4号ひとつとってみても、「解釈」をしなければ内容を確定的に理解することができないわけです。
さてさて、公示がされたので、本格的に選挙活動がスタートします。
皆さん、公職選挙法に抵触しないよう気を付けましょう。
では、今日はこの辺で。
2013年7月3日水曜日
信義誠実の原則
司法書士の岡川です。
今日のテーマは「信義誠実の原則」です。
略して、「信義則」といいます。
法学の初学者や、教養として法律を学んだ方は、おそらく、民法の規定として理解されていることでしょう。
民法1条2項には、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」と規定されています。
なお、この信義則を含む、民法1条の規定を「一般条項」といいます。
一般的・抽象的な基本原則を定めたもので、1項は、「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。」と公共の福祉について定め、3項は、「権利の濫用は、これを許さない。」と権利濫用について定めています。
何か法律上の問題が生じた場合、その種の紛争のために用意された具体的に規定されている個別の条項が適用されるのが基本です。
しかし、事案によっては、個別の規定では対処できないようなとき(規定が存在しなかったり、直接その規定を文言通り適用したのでは不当な結論になる場合など)、広く一般的に妥当する原則に立ち戻って判断することになります。
その時に「戻ってくる場所」が、「一般条項」です。
一般条項は、法令の解釈の基準になったり、あるいは、直接一般条項を適用したりしますが、規定が抽象的で漠然としているので、いきなり一般条項から検討するようなことはしません。
そんなことしたら、何のための個別の規定なんだ、ってことになりますからね。
さて、そんな一般条項のひとつ「信義誠実の原則」ですが、文字通り、「信義に従い誠実に行わなければならない」というものです。
義務の履行だけでなく、権利の行使についても、信義誠実が求められます(信義則違反の権利行使は、権利濫用も問題になってきます)。
信義則の下では、具体的な事情の下で、相手方に対して持つであろう正当な期待や信頼は裏切ってはなりません。
具体的に、信義則によって認められた法理としては、例えば次のようなものがあります。
消滅時効の期間が経過た場合に、債務者がそのことを知らないで、債権者に「きちんと支払います」と約束した場合、あとから「あ、時効完成してたわ。やっぱ払わないでいいよね」とか言い出すことは、信義則違反とされます。
時効の援用権は期間の経過によって生じたんだけども、それを行使しない(債務を弁済する)と言った以上は、信義則上、後から「やっぱ時効援用する」ということはできない、というこの法理を「援用権の喪失」といいます。
他には、契約交渉段階において、相手方に重要な事項を説明すべき「信義則上の説明義務」が課せられたり、契約交渉が煮詰まった段階でいきなり交渉を破棄するような行為が信義則に違反するとなれば、それによって損害賠償責任を負うことになります。
このように、自分の利益だけを考えた行動をとり、相手に損害を与えたりすることは許されないのです。
ところで、信義則というのは、民法(私法上の法律関係)においてのみ妥当する原則ではなく、手続法上もやはり妥当します。
民事訴訟法2上には、訴訟法上の信義則として「当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」と規定されています。
同様の規定は、同じく手続法の非訟事件手続法や家事事件手続法にも存在します。
この規定は民事訴訟法の改正(新法制定)によって新設されたものですが、従来から判例で、訴訟追行上も信義則が妥当すると解されていました。
自己の権利を実現すべく争う法廷においても、相手方の利益をも尊重しなければならないということが宣言されているわけです。
「私的自治の原則」とか「契約自由の原則」があるからといって、自分の好き勝手にやっていいというわけではなく、信義に従い誠実に行動しなければいけません。
法律というのは、少なくとも建前上は「やったもん勝ち」を認めていないということですね。
では、今日はこの辺で。
今日のテーマは「信義誠実の原則」です。
略して、「信義則」といいます。
法学の初学者や、教養として法律を学んだ方は、おそらく、民法の規定として理解されていることでしょう。
民法1条2項には、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」と規定されています。
なお、この信義則を含む、民法1条の規定を「一般条項」といいます。
一般的・抽象的な基本原則を定めたもので、1項は、「私権は、公共の福祉に適合しなければならない。」と公共の福祉について定め、3項は、「権利の濫用は、これを許さない。」と権利濫用について定めています。
何か法律上の問題が生じた場合、その種の紛争のために用意された具体的に規定されている個別の条項が適用されるのが基本です。
しかし、事案によっては、個別の規定では対処できないようなとき(規定が存在しなかったり、直接その規定を文言通り適用したのでは不当な結論になる場合など)、広く一般的に妥当する原則に立ち戻って判断することになります。
その時に「戻ってくる場所」が、「一般条項」です。
一般条項は、法令の解釈の基準になったり、あるいは、直接一般条項を適用したりしますが、規定が抽象的で漠然としているので、いきなり一般条項から検討するようなことはしません。
そんなことしたら、何のための個別の規定なんだ、ってことになりますからね。
さて、そんな一般条項のひとつ「信義誠実の原則」ですが、文字通り、「信義に従い誠実に行わなければならない」というものです。
義務の履行だけでなく、権利の行使についても、信義誠実が求められます(信義則違反の権利行使は、権利濫用も問題になってきます)。
信義則の下では、具体的な事情の下で、相手方に対して持つであろう正当な期待や信頼は裏切ってはなりません。
具体的に、信義則によって認められた法理としては、例えば次のようなものがあります。
消滅時効の期間が経過た場合に、債務者がそのことを知らないで、債権者に「きちんと支払います」と約束した場合、あとから「あ、時効完成してたわ。やっぱ払わないでいいよね」とか言い出すことは、信義則違反とされます。
時効の援用権は期間の経過によって生じたんだけども、それを行使しない(債務を弁済する)と言った以上は、信義則上、後から「やっぱ時効援用する」ということはできない、というこの法理を「援用権の喪失」といいます。
他には、契約交渉段階において、相手方に重要な事項を説明すべき「信義則上の説明義務」が課せられたり、契約交渉が煮詰まった段階でいきなり交渉を破棄するような行為が信義則に違反するとなれば、それによって損害賠償責任を負うことになります。
このように、自分の利益だけを考えた行動をとり、相手に損害を与えたりすることは許されないのです。
ところで、信義則というのは、民法(私法上の法律関係)においてのみ妥当する原則ではなく、手続法上もやはり妥当します。
民事訴訟法2上には、訴訟法上の信義則として「当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」と規定されています。
同様の規定は、同じく手続法の非訟事件手続法や家事事件手続法にも存在します。
この規定は民事訴訟法の改正(新法制定)によって新設されたものですが、従来から判例で、訴訟追行上も信義則が妥当すると解されていました。
自己の権利を実現すべく争う法廷においても、相手方の利益をも尊重しなければならないということが宣言されているわけです。
「私的自治の原則」とか「契約自由の原則」があるからといって、自分の好き勝手にやっていいというわけではなく、信義に従い誠実に行動しなければいけません。
法律というのは、少なくとも建前上は「やったもん勝ち」を認めていないということですね。
では、今日はこの辺で。
2013年7月2日火曜日
実体法と手続法。ついでに実定法
司法書士の岡川です。
以前、私法と公法の話を書きましたが、法律の分類には、他にもいろいろあります。
大きな分類としては、実体法と手続法に分けることができます。
実体法というのは、権利の変動(その要件や効果)など、法律関係それ自体を規定する法です。
例えば、私法上の法律要件と効果を規定する民法や、犯罪の要件とその効果(罰則)を規定する刑法などが実体法です。
商法とか会社法とかもそうですね。
これに対し、実体法に定められた法律関係を実現させるための手続きについて定めたのが手続法です。
民事訴訟法や刑事訴訟法が手続法に該当します。
民事執行法とかもそうですね。
一般的には、民法が実体法で民事訴訟法が手続法、という風に考えておけばよいのですが、ある法律の中に実体法としての規定と手続法としての規定が混在することもあります。
厳密にいえば、民法の中にも、手続きについて定めた条文が存在するので、その限りにおいて手続法だといえます。
ところで、「実体法」と似た名前の「実定法」という概念もありますが、意味的には全く異なります。
「実定法」というのは、普遍的に存在すると観念される「自然法」の対立概念で、人の手により現実的に定立され、ある範囲(時代や社会)において実効性を有する法です。
成文法(制定法)であれ、慣習法であれ、判例法であれ、とにかくある社会(例えば現在の日本)において、現実に適用されるものとして存在する法が実定法ですね。
「人を殺してはならない」というのは、ほぼ普遍的に妥当するルールです。
これを自然法というかどうかはさておき、こういう「人を殺してはならない」みたいな漠然としたルールはどの国にも(仮に「国」がなかったとしても)ありますが、どの国においてもそれがそのまま裁判所で判決の基準になるわけではありません。
これに対して、日本においては刑法199条で「人を殺した者は、死刑または無期若しくは5年以上の懲役に処する」と規定されています。
日本において殺人に関するルールを規定しているのは刑法199条であり、これが実定法だということになります。
もっとざっくりといえば、我々が普段「法律」といっているものは全部実定法です。
なので、もし「実定法上の根拠は何か」とか聞かれたら、「お前のその主張は、何法の何条に書いてるんや?言うてみい!」というような意味です。
覚えておきましょう。
なんか、実定法の話の方が長くなりましたが、今日はこの辺で。
以前、私法と公法の話を書きましたが、法律の分類には、他にもいろいろあります。
大きな分類としては、実体法と手続法に分けることができます。
実体法というのは、権利の変動(その要件や効果)など、法律関係それ自体を規定する法です。
例えば、私法上の法律要件と効果を規定する民法や、犯罪の要件とその効果(罰則)を規定する刑法などが実体法です。
商法とか会社法とかもそうですね。
これに対し、実体法に定められた法律関係を実現させるための手続きについて定めたのが手続法です。
民事訴訟法や刑事訴訟法が手続法に該当します。
民事執行法とかもそうですね。
一般的には、民法が実体法で民事訴訟法が手続法、という風に考えておけばよいのですが、ある法律の中に実体法としての規定と手続法としての規定が混在することもあります。
厳密にいえば、民法の中にも、手続きについて定めた条文が存在するので、その限りにおいて手続法だといえます。
ところで、「実体法」と似た名前の「実定法」という概念もありますが、意味的には全く異なります。
「実定法」というのは、普遍的に存在すると観念される「自然法」の対立概念で、人の手により現実的に定立され、ある範囲(時代や社会)において実効性を有する法です。
成文法(制定法)であれ、慣習法であれ、判例法であれ、とにかくある社会(例えば現在の日本)において、現実に適用されるものとして存在する法が実定法ですね。
「人を殺してはならない」というのは、ほぼ普遍的に妥当するルールです。
これを自然法というかどうかはさておき、こういう「人を殺してはならない」みたいな漠然としたルールはどの国にも(仮に「国」がなかったとしても)ありますが、どの国においてもそれがそのまま裁判所で判決の基準になるわけではありません。
これに対して、日本においては刑法199条で「人を殺した者は、死刑または無期若しくは5年以上の懲役に処する」と規定されています。
日本において殺人に関するルールを規定しているのは刑法199条であり、これが実定法だということになります。
もっとざっくりといえば、我々が普段「法律」といっているものは全部実定法です。
なので、もし「実定法上の根拠は何か」とか聞かれたら、「お前のその主張は、何法の何条に書いてるんや?言うてみい!」というような意味です。
覚えておきましょう。
なんか、実定法の話の方が長くなりましたが、今日はこの辺で。
2013年7月1日月曜日
7月
司法書士の岡川です。
金土日と更新止まってましたが、なんかその間にもう7月になってしまいました。
何と、今年の半分が終わってしまったんですね~。
早いですね。
実は、7月には、司法書士試験があります。
今年の試験は、今度の日曜日です。
受験生にとっては、今は最後の追い込みの時期ですね。
最終調整の仕方は人それぞれですけど、私の場合、この時期は、ひたすら「時間を計って答案を書く練習」をしてましたね。
基本的なことを忘れていて、何度も絶望的な点数を叩き出したりして、大変な時期だったなぁ~・・・。
とか昔を思い出しつつ、今日はこの辺で。
金土日と更新止まってましたが、なんかその間にもう7月になってしまいました。
何と、今年の半分が終わってしまったんですね~。
早いですね。
実は、7月には、司法書士試験があります。
今年の試験は、今度の日曜日です。
受験生にとっては、今は最後の追い込みの時期ですね。
最終調整の仕方は人それぞれですけど、私の場合、この時期は、ひたすら「時間を計って答案を書く練習」をしてましたね。
基本的なことを忘れていて、何度も絶望的な点数を叩き出したりして、大変な時期だったなぁ~・・・。
とか昔を思い出しつつ、今日はこの辺で。
登録:
投稿 (Atom)