民法上、不法行為の要件は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者」であって、故意(又は過失)が必要とされています。
刑法上、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」として、故意犯処罰の原則が採られています。
いずれも、「故意」が要件となっていますが、ではその「故意」とは何かということが問題となります。
一般的には、「わざと」やることを「故意」といい、法律的にも基本的にはそれほど大きな違いはないのですが、もう少し厳密に考えられています。
なお、民法(私法)上の要件としては、故意だろうが過失だろうが、結局成立するのは不法行為であり、刑法ほど「故意とは何か」という論点は重要視されません(むしろ、過失のほうが問題となります)。
他方で、刑法では、故意と過失で成立する犯罪が異なりますので、故意論というのは非常に大きな意味を持っています(哲学レベルで学説を二分するくらい)。
あまり詳しく書くと深みにはまっていく危険があるので、通説的な理解にとどめておきますと、故意とは「事実(結果)を認識し、(少なくとも)それを認容する心理状態」をいいます(これを「認容説」といいます)。
「これをやると相手が怪我をするかもしれない」と認識しただけでは足りず、「これをやると相手が怪我をするかもしれない。まあ、いいか」と認容すれば、故意が成立すると考えられています。
「故意の成立にはそれで足りる」ということなので、当然ながら積極的に「怪我をさせてやろう」と意図した場合も故意です。
後者を「確定的故意」というのに対し、前者は「未必の故意」といいます。
確定的だろうが不確定的であろうが、故意は故意です。
それでも故意は故意
・・・何でもないです。
ところが、認識していても「認容」までしていなければ、故意は成立しません。
その場合、「認識ある過失」といって、過失が成立する可能性があります(つまり、過失にも「認識ある過失」と「認識なき過失」があるということですね)。
なお、ここでいう認識とか認容というのは、「事実」の認識の問題です。
刑法の論点になりますが、故意が成立するためには、その行為が「違法である」というところまで認識することは必要ないと考えられています。
他人が飼っている犬を怪我させる行為は器物損壊罪に該当しますが、「他人が飼っている犬を怪我させる」ことさえ認識認容してさえいれば、「怪我させる行為が犯罪になる」ことまで知らなくても、故意が成立することになります。
「犯罪とは知らなかった」は通用しないということです。
詳しくは、「違法性の意識」とか「法の不知は害する」とかに書いていますのでご参照ください。
では、今日はこの辺で。
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