2020年5月11日月曜日

三権分立と国民との関係

司法書士の岡川です。

ここ数日で、やたらと三権分立の話題を目にします。

きっかけは検察庁法改正に絡んだもので、この改正が三権分立に反するとか反しないとかいう話からのようです。


そこから派生したのか、何やら「首相官邸のホームページに掲載されている三権分立の図が間違っている(意図的に改竄されている)」といった指摘が出てきているようです。

(首相官邸HP「内閣制度の概要」より)

どこがおかしいかというと、「内閣」と「国民」との間の矢印が逆だと。
一般的には(教科書などでは)、国民から内閣に対して「世論」という矢印が出ている以下のような図が使われているからですね。


(衆議院HP「三権分立」より)

首相官邸HPの図を見て、「三権分立を理解していない」とか「行政による国民の監視(独裁・主権者国民の上に君臨)を意味している」とか「安倍政権の独裁の意識が云々…」といった批判の声が出ているようです。


しかし実は、「教科書に載っているのと違う」といっても、必ずしも首相官邸HPの図が三権分立の説明として間違いであるとはいえません。
また、首相官邸HPの図も、国民の上に行政が君臨することを意味しているとも読み取ることはできません。


順を追って解説しましょう。

そもそも、三権分立とは、国家権力を「立法」「行政」「司法」の3種類(三権)に分類し、それぞれの権力を担う国家機関を分けることで権力の集中を防ぎ、国民の自由と権利を保護するという考え方です。

三権分立というシステムは、ただ単に機関を分けるだけでは機能しませんので、三権が相互に抑制と均衡(チェックアンドバランス)を保つ仕組が必要となります。

そこで、日本国憲法において、上記のいずれの図にも三権の間に双方向に矢印が引かれているとおりの制度が用意されています。

この抑制と均衡(チェックアンドバランス)の仕組こそが、「三権分立」の本質的部分です。


この点において、首相官邸HPの図も、少なくとも「三権分立」に関して全く間違ったことは書かれていません。
正しく、「三権」が「分立」されて、その間の抑制と均衡の仕組が説明されていますからね。


三権分立の問題でなければ、何の問題なのか。
つまり、この三権と国民との関係、図でいうと、三権と真ん中の「国民」との間の矢印は何なのかです。
ここに首相官邸HPの図と一般的に用いられている図とで違いがあるわけですが、「三権」の「分立」の話ではありません。


ここは、三権と主権者国民との関係ですから、民主主義(民主制)に関する仕組、言い換えれば、国家権力の民主的統制(コントロール)に関する仕組を説明している部分です。


例えば、立法機関(国会)に対しては国会議員の選挙という形で、司法(裁判所)に対しては、極めて限定的ではありますが、国民審査という形で、それぞれ民主的統制を及ぼしています。

これに対応する形の、行政機関(内閣)と国民との間の、民主主義に関する仕組とは何か。


例えばアメリカでは、行政のトップである大統領は選挙で選ばれるので、ここには「選挙」という語が入ることになるでしょう。

しかし、そのような、行政機関に対して国民が直接的に民主的統制を及ぼす仕組は、日本国憲法においては用意されていません。

社会の教科書では、三権分立と同時に「議院内閣制」という言葉も習ったと思います。

日本の議院内閣制は、アメリカの大統領制とは異なり、立法機関である国会が、国会議員の中から、行政のトップである内閣総理大臣を選びます。
また、国会(衆議院)で内閣不信任決議をされると、内閣は総辞職をしなければなりません。
そして、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(日本国憲法66条3項)のです。

つまり、日本国憲法が想定する議院内閣制の下では、行政に対する民主的統制は、国会を通じた間接的なコントロールということになります。


ということは実は、図でいうと、国民と行政との間には「矢印が無い」というのが一番正確だということもできます。


一般的に使われている図では、ここに「世論」という矢印が描かれており、首相官邸の図ではその「世論」が消されていることも一つの批判になっていますが、図内の「世論」以外の矢印は全て、「三権分立」や「民主主義」に実効性をもたすために日本国憲法が用意した諸制度です。

これに対し、「世論」自体は、行政を統制するシステムではありません。

確かに世論自体は重要な要素ではありますが、それをここに図示するのであれば、「世論を行政に反映させる具体的な仕組み」でなければならない(そして、その仕組は日本国憲法では存在しない)わけです。

ここに「世論」という矢印を描いてしまうのは、国民と国会との間の矢印(「選挙」とある部分)に「民意」とか書くようなもので、完全に異質なものです。
そのため、この「世論」というのは、ものによっては、括弧書きにされていたり、矢印が点線とか薄い色とかに変えられていることもあるようです。


ところで、首相官邸HPの図では、内閣から国民に対して「行政」という矢印が引かれています。
ここで「矢印の向きが違う」と批判されているわけですが、「行政」という国家権力の作用をこの図に書き込むのであれば、それはこの向きで正しいわけです。
仮に、ここに「統制」とか「コントロール」とか書かれてたら流石にヤバいわけですが、そうではありません。
だからこの向きに関しては、これはこれでよいのです。

もっとも、上記の説明のとおり、ここに「行政」と書くのも異質といえば異質です。
何故ならここだけ三権分立とか民主主義の話とは違う内容の矢印になっているからです。

何でこんなこと書いたのか…。


ただよく見てください。

この図、そもそも「三権分立」とか「民主主義」の説明ではなく、「現行憲法下の内閣制度」の説明のページに記載されている図なんですよね。
つまり、このページは、「内閣→行政→国民」というこの部分(行政という国家作用を担っているのが内閣ですよ、という話)が中心的話題なわけです。

だから、この矢印は他の矢印と区別して、なんなら、むしろもっと目立つように強調した矢印で「行政」って書いておいても良かったくらいなのです。

中途半端に他の矢印と合わせて(それでいて矢印の方向だけ逆にした)もんだから、わけのわからない印象を与えたわけですね。



ちなみに、Internet Archiveで調べればすぐわかることなのですが、この図は少なくとも20年前から首相官邸で使われていた図です。
「いつの間にか改竄されていた」とか「安倍政権の意図が反映された」とかいうものではありません。
そういう批判は完全に的外れです。



まあ、そういうわけで、結論としては、首相官邸の図を見て、「安倍政権は三権分立を理解していない(破壊するつもりだ)」という批判をすることは、色んな意味で誤っているといえます。


実際に安倍政権が三権分立を理解・尊重しているかどうかは知りません。
その点に批判的意見があるのは構わないと思います。

ただ、少なくともそれは首相官邸HPの図とは全く関係のないことです。


では、今日はこの辺で。