2014年3月28日金曜日

略式起訴とは何ぞや

司法書士の岡川です。

東京都の猪瀬前知事が公職選挙法違反で略式起訴されたようです。

略式起訴とは何が略式なのでしょうか。


検察が、裁判所に対して犯罪に対する処罰を求めて訴えること「起訴」(公訴の提起)といいます。
検察に起訴されると、原則として公判期日が指定され、公判、すなわち法廷での裁判手続が行われることになります(刑事訴訟法273条)。

このような、検察が裁判所に公判を求める原則的な形態の起訴は、「公判請求」ともいわれます。

これに対し、一定の軽微な事件などでは、裁判所は、公判手続を経ることなく、簡易な方法で刑罰を科して手続きを終わらせることができます。
公判手続を経ないで刑罰を科す裁判を「略式命令」といいます。

この略式命令を求める際の起訴のことを、俗に「略式起訴」といいます。

略式とはいえ、起訴はきちんと起訴状を提出してなされます。
その上で、略式手続に乗せるには、検察が起訴と同時に略式命令の請求をすることになります。
具体的には、起訴状の記載が公判請求だと「下記被告事件につき、公訴を提起する。」とあるところが、「下記被告事件につき、公訴を提起し、略式命令を請求する」となるわけです。

略式手続では、比較的短期間で、法廷に出ることなく手続きが終わるので、被疑者にとっても利益があります。
その一方で、公判を省略して検察の請求と裁判官の判断だけで刑が決まるので、被疑者の権利を侵害することになりかねません。

そこで、略式手続にはいくつかの決まりがあります。

まず、略式命令で科すことができるのは、100万円以下の罰金又は科料のみ。
懲役とか死刑とかを、公判を経ずに決めてしまうのは危険だからです。

それから、略式手続によることについて、被疑者に異議がないかを確認しなければなりません。
被疑者の意向を無視して略式手続によることはできないのです。

さらに、略式命令を受けた後、不満があれば正式裁判の請求をすることができます。
きちんと公判手続への道は確保されているわけですね。


ちなみに、起訴された事件のうち約8割は略式起訴です。


では、今日はこの辺で。


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2014年3月26日水曜日

マウスオーバー広告から逃れる

司法書士の岡川です。

最近、いろんなサイトに「マウスのカーソルを重ねただけで、拡大されたり動画が再生される広告」が多用されています。

マウスオーバー広告とか、マウスオン広告とか、エンゲージメント広告とかいうそうです。

google AdWordsによると、エンゲージメント広告とは「新たなユーザー層にメッセージをアピールして関心を引き付けることができる、高機能なインタラクティブ フォーマットです。」とのこと。

インタラクティブなフォーマットらしいですよ。
なるほど、全然わからん。


この、インタラクティブなフォーマットとやら、ハッキリ言って鬱陶しいことこの上ないです。
平たくいうと、ウザい。


興味があって詳しく広告内容を見たい場合は、「広告が大きく表示されると見やすい」ということはあるでしょう。
まあ、今のところ興味のある広告に出会ったことはないですが。

しかし、「マウスオーバーしただけで再生される」というのは、たとえ微塵も興味がない場合でも、マウスがその上を一瞬通り過ぎただけで発動するのです。
もはやサイト上に仕掛けられた悪質なトラップでしかない。
サイトの中心に設置された日には、高確率で引っかかってしまいます。


「ネット上のウザい広告」といえば、かつては、ポップアップ広告(クリックすると、一番手前に新しいウインドウが開いて広告が表示されるあれ)がその代名詞でしたが、その文句なしのウザさから、今ではポップアップブロック機能は、主要ブラウザの標準機能となっています。

ところが、昨今のマウスオーバー広告は、ポップアップ並の邪魔をしてくる上に、クリックすら不要という進化を遂げています。
さらに、古き良き時代のポップアップ広告は、せいぜいチカチカ点滅するくらいのもの(それでも十分ウザいのですが)でしたが、マウスオーバー広告は音まで出やがります。
凶悪です。


この、えも言われぬウザさは、広告としては逆効果だろうと思いますが、実際に「ウザい」という声はたくさん出ているようです。

「御社のマウスオーバー広告がウザいんですけど」と聞いてみた


さて、今のところマウスオーバー広告ブロック機能は、ブラウザの標準機能としては搭載されていないようです。

そこで、対策としては、Adblock Plusというアドオンがありまして、こいつを導入すればマウスオーバー広告等の「ウザい広告」をシャットダウンすることができます。
今までは、ちょっとくらい広告があっても別に気にしていなかったので、あえて導入せず放置していたアドオンですが、さすがにマウスオーバー広告の暴虐に耐えかねてお世話になることに。

私はfirefoxユーザーですが、Adblock Plus他の主要ブラウザにも対応しているようですよ。

では、今日はこの辺で。


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2014年3月24日月曜日

学術論文はコピペ自由というのは本当か?

司法書士の岡川です。

さすがに信じた人は多くないようですが、いちおう「大学教授」という肩書を有する人物が公に発信していることなので、簡単に誤解を正しておきましょう。

中部大学教授の武田邦彦氏が「学術論文はコピペしてよい」という持論を展開しております。

コピペは良いことか、悪いことか?(1) 基礎知識

逐一細かくツッコんでいくとキリがないので、この記事の何がおかしいのか、要点のみを解説しておきましょう。


まず、知的財産基本法を持ち出して何を論証したいのか意図がつかめない(同法は、知的財産保護に関する政府の施策について定めた法律なので、特許権や著作権といった個別の権利について検討する際の根拠にはなり得ません)のですが、結局のところ、「自然科学の論文に、特許権は無い」ことをいいたいのだと思います。

というのも、

なにしろ「権利」だから、1)権利を主張するのか、2)権利の範囲を示す、必要があり、特許庁に自分の権利を主張する。その時に「権利の範囲」と「産業上の利用可能性」をはっきり書かなければならない。

とあるからです。
「特許庁に自分の権利を主張」というのは、特許権や実用新案権、商標権、意匠権などの話で、これらのうち特許権以外の権利については記事中で触れられていないからです。


他方、「権利」のなかでも、著作権というのは、多くの国(日本も含む)で「無方式主義」が採られていますので、権利の範囲を示す必要も、特許庁に自分の権利を主張する必要もありません。著作権は、著作物が創作された瞬間から、著作者(等)に「当然に」帰属する権利なのです。


そして、論文のコピペで問題となるのは、基本的には特許権ではなく著作権です。
特許権の話などは、わりとどうでもよいことになりますね。


というわけで、「学術論文に著作権の保護が及ばない」ことを丁寧に論証しないと意味がないのですが、それについては、
自然現象の「発見」はもともと自然にあったものだから、もちろん創造性はない。自然現象を利用した「発明」も、現在は「発明は発見である」とされていて、もともと自然にあるものを組み合わせて人間に有用なものにしたのだから、創造性はないと解釈されている。
したがって、専門の書籍にも、裁判でも「理系の学術論文には著作権は及ばない」とされている。

と書かれてあります。


ここが、武田氏の論拠であり、かつ、誤解している部分でもあります。


著作権は、創作的な表現を保護するものです(著作権法2条)。
したがって、いかに自然現象を発見したところで、「技術的思想とか自然科学上の知見それ自体」は著作物ではありません。
言い換えれば、「自然科学の理論(学説)そのものに著作権が発生することはない」ということです。

例えば、万能細胞の作成方法それ自体は、特許権の対象となることはあっても(実際に出願中です)、著作権の対象ではありません。

ただし、それは、「『技術的思想や自然科学上の知見それ自体』が著作権の対象にならない」というだけの話で、「理系の学術論文に著作権は及ばない」などというのは、完全に論理の飛躍です。
その技術的思想や自然科学上の知見を、論文などの形で表現した場合、その「表現」に創作性が認められれば、著作権が生じることになるからです。


もちろん、「専門の書籍」には「理系の学術論文に著作権は及ばない」なんて書いてありませんし、裁判でも「およそ学術論文は著作権の対象外」などという判断はされていません。
むしろ、学術論文の著作物性が争われた事例では、「表現に著作権が生じることは別として、発明そのものは著作権の対象外」みたいな判断がなされています。


このように、「思想そのものは著作権の対象外で、表現に著作権が生じる」という考えを「思想(アイデア)・表現二分論」といいます。
一般的には「思想は著作権の対象外」という説明のために出てくるのですが・・・。

これは、著作権法における基本的な考え方なので、「基礎知識」と題する記事を書くなら、これこそが正に解説されるべき「基礎知識」でしょう。


この「基礎知識」を基にすると、「コピペは自由」という荒っぽい結論は導かれません。
「自由にコピペできる部分もある」にすぎない。

学術論文の中でも、「この部分に著作権は生じないのでコピペ自由」という部分もあれば、「この部分は創作性が認められるから、コピペに制限がある」という部分もあるので、個別具体的な検討が必要なのです。

ところで武田氏は、連載の最後の記事で、

愛知大学の時実象一教授は著書「図書館情報学」(2009)の中で、「学術論文に掲載されている事実やデータには著作性が無いと考えてよい」と記載している。また、大阪高裁は2005年4月28日の判決で、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になると考えられる」として学術論文の創作性を否定した判例を出している。著作権に関する最高裁の判決も「創造性のあるものに限る」としている。

と補足しています。

これも、「事実やデータには著作性が無い」のであって、「学術論文は全て著作性が無い」のではありません。

また、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になる」のであって、その平成17年4月28日判決(インド人参論文事件)でも、「一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において、特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別」という留保がなされており、表現の類似性がないために侵害が否定されたものです。

最高裁(どの判決かわかりませんが)が「創作性のあるものに限る」というのも、創作性は著作権の要件だから当然です。
逆にいえば、創作性がある部分は学術論文でも著作権が生じることを意味しているのです。

例えば、論文の導入部分などは、先行研究をまとめたものだとすれば、そこに個性が出る余地は大きく、学術論文の中でも特に創作性が認められる可能性がありそうです。


結論。
学術論文の性質上、著作物性が否定される部分は多いでしょうが、かといって「自由にコピペできる」ことにはなりません。
そして、コピペしてはいけない部分をコピペしてしまえば、それは著作権法違反ですから「悪いこと」です。


なお、小保方さんの問題は、著作権侵害かどうかという問題とはまた違うように思いますので、これは、「学術論文と著作権」に関する一般論として。


では、今日はこの辺で。


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2014年3月20日木曜日

自己防衛としての成年後見制度(認知症の男性が自宅を競売にかけられた事件)

司法書士の岡川です。

一昨日昨日の続きです。

共有物分割請求をされても協議の中で請求者の譲歩を引き出すことは可能ですし、仮に訴訟になっても、適切に対処すれば、ある程度は自分の意向を判決に反映させることができます。

しかし、今回の事件で訴えられた男性は、裁判所に出頭もせず、反論もしなかったため、不動産会社の訴えが全面的に認められました。
すなわち、「競売にかけて、売却代金を分配する」という分割方法が裁判で確定したわけです。

通常であれば、男性はずっと住んでいるわけですし、裁判所で価格賠償の方法を提案するなど、分割方法を争えば、いきなり家を競売にかけられて住居を失うことにはならなかったでしょう(価格賠償ができないのであれば、競売になった可能性はありますが)。

かかりつけの医者は、男性の判断能力は「財産を管理できない最低レベル」だったといいますから、おそらく「後見相当」の判断能力だったのでしょう。
もし、予め男性に後見開始の審判がなされ、成年後見人がついていれば、成年後見人が裁判になる前にきちんと協議をすることができました。

いきなり訴訟になったとしても、成年被後見人に対する訴状の送達は不適法であり、後見人宛に訴状が送達されるため、後見人が法定代理人として裁判に対応することが可能です。
仮に裁判所が後見開始を見落として判決を出したとしても、後で覆すことができます。

後見開始の審判がされていれば、訴えを提起された時点で訴訟行為を行うことができなかったことは明らかなので、何とかなる可能性も高いのです。
しかし、そうでない限り、判断を覆そうと思えば、「当時は意思能力が無かった」と立証しなければならないという、非常に面倒なことになってしまいます。


成年後見制度は、判断能力が低下した方の財産を守る制度です。
それは、相手が悪質商法の場合に限りません。
「知らないうちに、裁判で負けて財産を失う」ということもあり得ます。

上記の通り、成年後見制度は、「何かが起こる前に利用を始める」ことが最も効果的ですので、検討はお早めに。


では、今日はこの辺で。


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成年後見シリーズ
第1回「成年後見制度入門
第2回「法定後見の類型
第3回「任意後見契約について
第4回「後見終了後の問題
第5回「後見人には誰がなるか?
第6回「成年後見制度を利用するには?
番外編「成年後見の申立てにかかる費用
番外編2「成年後見の申立てにかかる時間
(このほかにも、成年後見についての記事はありますので、右上の検索窓で検索してみてください)

2014年3月19日水曜日

共有物分割請求のリスク(認知症の男性が自宅を競売にかけられた事件)

司法書士の岡川です。

昨日の続きです。

共有不動産の「持分だけ」を安く買い取った不動産会社はどうするか。
もちろん売るのですが、昨日も書いた通り、普通の人は誰も買ってくれないでしょう。

ただ、他の共有者にとっては、「不動産会社との共有物」になっている状態は望ましいものではありませんので、持分の買取りに応じる可能性があります。
かくして、不動産会社は、「共有者の一人から安く買って、他の共有者に高く売る」ことで、差額を儲けることができるわけです。


不動産会社が持分を買い取った場合に限らず、不動産の共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができます(民法256条)。
共有者には、共有物分割請求権があるので、請求された他の共有者は、協議に応じる義務があります。

共有物分割の方法にはいろいろあります。

例えば、それなりの広さがある共有名義の土地であれば、複数の土地に分割してしまい(分筆といいます)、分割後の土地を各々が単独所有する「現物分割」という方法が使えます。
さすがに、共有建物の場合は、物理的に真ん中で切断して「こっちからこっちが私の建物」というわけにはいきませんので、現物分割は現実的ではありません。

その他にも、共有物を売ってしまって、その代金を持分割合に応じて配分する(代金分割)や、1人の共有者が他の共有者に対価を支払って単独所有とする方(価格賠償)もあります。

協議が整えばいいのですが、この共有物分割請求権は、協議が整わなければ、裁判所に分割を請求することができるとされています(民法258条)。
つまり、「ずっと共有のままでいい」と考えて協議に応じなかったとしても、訴えられたら強制的に分割協議のテーブル(法廷)につかなければならないのです。
裁判になれば、最終的に話し合いがまとまらなければ裁判所の判断(判決)で決着します。
「じゃあ、もう売っちゃえ!」と裁判所が判断すれば、競売にかけられることもあるわけです。

つまり、共有というのは、家族のように利害が一致している場合はさほど問題となりませんが、そうでなければ、いつ分割を請求されるかわからない非常に不安定な状態にあるということです(一定期間分割を禁止する合意は可能ですが)。


昨日紹介した事件は、この共有物分割請求訴訟が提起されたものです。
その結果、競売によって分割(代金分割)することになり、男性は住居を失う(かもしれない)ことになりました。

こうなってしまったのは、離婚した元妻との共有関係を早々に解消できていなかったという点がまず第一の問題です。
不動産会社に持分を売られる前に、自分で買い取っておくべきだったのです。


もっとも、本件において重大な問題は、男性が判断を誤ったというより、認知症の男性が「適切な法的支援が受けていなかった」ことにあります。

今日も長くなったので、続きは次回
ちょっと引っ張りますが、次で最後です。

では、今日はこの辺で。

2014年3月18日火曜日

共有について(認知症の男性が自宅を競売にかけられた事件)

司法書士の岡川です。

認知症の高齢者が、適切な支援を受けていなかったばかりに自宅を失うことになった(なりそうな)事件がありました。

認知症、欠席裁判で敗訴 北海道・札幌の男性、自宅競売に

認知症の高齢男性が民事訴訟を起こされ、訴えられたことを認識しないまま「欠席裁判」で敗訴する判決が昨年暮れ、札幌地裁で言い渡された。訴えた不動産会社の請求通り、男性の自宅を競売にかける判決が確定した。男性は住む家を失う可能性がある。

ここには、色々な問題が含まれているので、ひとつひとつ順を追って説明をしていこうと思います。

まず、事件類型としては共有物分割請求事件です。
ということでまずは、「共有」について。

1つの物について、複数人が権利(所有権)を有している場合の権利関係を「共有」といいます。
各共有者は、共有物の「持分」を有します。

共有者は、持分に応じて共有物全体を使用することができます。
例えば、夫婦で家を買って共有名義(持分2分の1ずつ)にしている場合、「妻は家の南側半分だけ使える」とかいうことにはならず、共有者全員が共有物全体を使うことができます。
使い方については、共有者間の話し合いによって決めればよいことです。

共有物は「皆で所有している」状態なので、共有物全体を処分する(家を取り壊す、売却する、など)ような場合は、共有者全員の合意が必要になります。
しかし、共有持分については、それ自体が個々の共有者の権利なので、自由に処分することが可能です。
「この家飽きたわ」と思えば、妻が「2分の1の共有持分だけ第三者に売る」ことも可能です。

もっとも、一般的には、家の共有持分だけを買い取る人はいないので、持分を売りたくても買い手はあまりいません。
もれなく見ず知らずのおっさん(夫)がついてくる物件を、買っても使いようがないからです。

ところが、持分の買取りを(専門的に)行っている不動産業者もいます
「持分買い取ります」という広告をたまに見かけますね。
彼らは、もちろん、見ず知らずのおっさん(夫)と一緒に住むことを目的としているのではなく、転売が目的です。

誰も買いたがらない「持分だけ」の財産価値は、建物全体の価値に、単純に持分割合を掛けた額よりも当然安くなります。
つまり、不動産業者としては、価値が低いものだから安く買い取ることができるわけです。
他方、安くても持分を手放したい人もいるわけで、例えば相続などで見ず知らずの遠い親戚同士で共有になってしまった場合など、さっさと共有関係から抜け出したいと思うでしょう。
両者の利害が一致するところにビジネスが成り立つわけですね。


今回の事件も、5分の1の持分を有していた元妻が、不動産会社に持分を売ったことに始まります。
離婚した元妻が既に住んでいない家の持分を持ち続けるメリットもないため、安くても買ってくれるのであれば不動産会社に売るのは合理的な判断です。


他方で、不動産会社は、財産的価値の低い「持分だけ」を買い取り、共有者になってどうするのか。

長くなったので、次回に続きます
では、今日はこの辺で。

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2014年3月17日月曜日

入通院の費用(交通事故の損害各論)

司法書士の岡川です。

交通事故の損害項目の各論第2弾です。

入院雑費

交通事故で怪我をして、入院することになると、治療費以外にも何かとお金が必要です。
寝具、衣類、電話代、テレビ料金、などなど、入院するだけで無駄な出費がかさみます。

こういった出費も、事故に遭わなければ必要のなかったものなので、損害として認められます。
しかし、これらの細々した支出(「スリッパ105円」とか)について、全部レシートをとっていちいち請求するのは手間がかかります。

そこで、実務上は、定額で損害として認められる扱いになっています。
裁判所が損害額として認定する額は、1日当たり1,500円くらい
10日間入院すれば、「何にいくら使った」を細かく立証することなく、「10日間で15,000円の損害」というふうに決められます。

ただし、加害者側の保険会社が示談の額として提示してくるのは、1日あたり1,100円くらいです。
入院期間が長くなるほど、この差は大きくなります(100日の入院で4万円ほど)ので、保険会社の提示額で示談するかは検討しないといけません。

交通費

入通院した場合、多くの場合、交通費がかかります。
交通費も、怪我をしなければ必要のない出費なので、損害に含まれます。
これは、定額で決めることもできないので、実費相当額を算出(電車やバスの料金)することになります。
タクシー代は、基本的には認められません(バス代等に換算する)が、必要性があれば認められることがあります。
自分の車で運転して通院した場合は、ガソリン代を支払ってもらうことになります。
ケースバイケースにはなりますが、基本的に、見舞いや付き添いの人の交通費は損害には含まれません(次の付添看護費に含む)。

付添看護費

入通院する場合の介護・介助のため、付添人を依頼することがあります。
医師の指示がある場合や、病状などに鑑みて、付添人の必要性が認められると、そのための費用が付添看護費として損害となります。

専門の職業付添人に依頼すると報酬を支払わないといけないので、支払った費用が損害になります。
職業付添人に依頼せず、近親者が付き添うと、報酬を支払うことは無いでしょうが、本来は報酬が発生することを近親者にさせている以上、不利益は生じているとして、裁判所は、この場合も損害を認める扱いをしています。
実際に近親者にその額を支払ったかどうかは問いません。

近親者の付添看護費として裁判所が認めるのは、通院1日3,000円くらい、入院1日6,000円くらいです。
もっとも、看護体制がきちんとした病院で、ただお見舞いで付き添っているだけでは、損害として認められることはありません。
きちんと付き添いの必要性(医師の指示等)は証明する必要があります。


このように、細かいことですが、交通事故で怪我をすると、治療費以外にも損害は発生しており、それらもきちんと損害として考慮されます。
加害者と交渉するときや裁判所に訴えるときは、「請求し忘れ」にご注意ください。


では、今日はこの辺で。

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交通事故の損害シリーズ
1.交通事故による損害
2.交通事故による損害の分類
3.交通事故の損害項目
4.治療関係費(交通事故の損害各論)
5.入通院の費用(交通事故の損害各論) ← いまここ
6.葬儀関係費(交通事故の損害各論)
7.休業損害(交通事故の損害各論)
8.交通事故の慰謝料(交通事故の損害各論
9.逸失利益(交通事故の損害各論)

2014年3月13日木曜日

有罪率99.98%の問題

司法書士の岡川です。

中国の刑事裁判、2013年の有罪率は99.93%

だそうです。
タイトルだけで十分なので、本文の引用は省略。


有名な話ですが、日本の有罪率は、だいたい99.98%なので、中国より日本の方が有罪率は高いです。

もっとも、「有罪率が高い」こと自体は、必ずしも不当なことではありません。
しばしば有罪率の高さが批判の対象になりますが、「有罪率が高いことが悪い」のだとすればば、裏を返せば、

有罪率は低い方がいい=裁判で無罪になる人が多い方がいい

ということです。
しかし、「裁判で無罪になる人が多い」ということは、

・無実の罪で起訴される人が多い
・本当の犯罪者のうち裁判で勝って処罰を免れる人が多い

のどちらか(あるいはその両方)だということになりますね。
本当にそれって良いことでしょうか。
批判する人は、そんなことを望んでいるのでしょうか。


無罪判決が出たら、その時は「無実の人を法廷に引っ張り出した」ということで、警察や検察の杜撰な捜査が批判されます(それは正当な批判でしょう)。
翻ってその口で「有罪率が高い(裁判で無実になる人が少ない)のは異常だ」などと批判するのは、背理なわけです。

例えば、「無実の人が有罪になる率」は、低い方がいい(というか0%であるべき)というのは当然ですが、それは有罪率からは判断できません。


日本の有罪率が高い理由のひとつは、「起訴率の低さ」にあります。
警察が検挙した被疑者は、(微罪処分を除いて)全件検察に送致されますが、日本の検察は、起訴するかしないかの裁量を有しています。
これを「起訴便宜主義」といいます。

そして検察は、そもそも有罪を勝ち取る自信のある事件しか起訴しません。
起訴されるのは、全体の35%程度です。
このほぼ100%が有罪になるので、「検察に処理された人員全体に対する有罪判決を受ける人の率」でいえば、せいぜい35%だということになります。

逆にいえば、残りの65%は、起訴される前の段階で有罪コースから外れているということです。
有罪判決を受けない以上、「無罪の推定」が働くので「検挙されて検察に送られた人の65%は無罪になっている」ということを意味します。

ここには、もともと無実の人や、罪を犯したことは確実でも処罰には適さない人などが含まれていいます。

そういう人たちを、「最初から刑事裁判の法廷に立たせることをしない」という意味では、起訴率の低さは無実の人にとって「良いこと」なのです。

他方、犯罪被害者にとっては、犯人が処罰されないという意味で「悪いこと」なのかもしれません。
それはまた別の問題としてあるのですが、その問題を批判する人は、端的に「起訴率の低さ」を問題にすると思います。


「無実の人が有罪になっている」のが問題であるとするならば、それは直接そのこと(それを引き起こした原因)を批判すべきです。
刑事司法の問題は、色々あるはずです。

有罪率の高さは、起訴率の低さの裏返しにすぎないので、これを問題視したところで何も解決しません。
(有罪率の高さを解消するだけなら、無実の人をガンガン起訴すればいいだけなので)


物事の本質は見誤らないようにしたいものですね。

と、そうそう。
中国の刑事司法の問題は、これもまた「有罪率の高さ」からは何もわからなくて、本質は別のところにあります。
それはまた後日。

では、今日はこの辺で。

2014年3月12日水曜日

「起訴」の意味

司法書士の岡川です。

一昨日は、一口に「訴える」といっても色々あることをご紹介しました。

細かいことですが、そのうちの「起訴」という語について補足しておきます。

一般的に「起訴」というと、「公訴の提起」の略です。
「公訴」とは、「公の訴え」であり、具体的には、犯罪者に対する刑罰権の発動を求める訴えのことをいいます。
なので、この意味で「起訴」といえば、刑事手続上の制度です。

日本においては、公訴の提起は、検察官が国(行政)を代表して、司法を担う裁判所に対して行うものです。
公訴権が国の機関(検察)に独占されている制度を「国家訴追主義」「起訴独占主義」といいます。

他方で、海外には、私人(一般人)が起訴することができる制度もあり、これを「私人訴追主義」といいます。



ところで、民事上の「訴えの提起」の意味でも「起訴」という語を使うことがあります。
主に、何か他の文言と一緒になって略す場合に使われます(なので、条文の文言として出てくることはありません)。


まず、民事訴訟法275条にいう「訴え提起前の和解」という制度。
これは、即日で終了することから「即決和解」ともいいますし、「訴え提起前の和解」を略して「起訴前の和解」ともいわれます。

それから、民事訴訟法142条にある「重複する訴えの提起の禁止」の原則を、「二重起訴の禁止」といいます。

また、民事保全法37条の規定により、保全命令を出したのに、申立人が(本体の手続きであるはずの)訴えの提起をしない場合に、「期間内に訴えを提起しろ」と命ずることができる制度があります。
これを「起訴命令」といいます。


これらの制度では、「起訴」という語が使われますが、刑事手続とは関係ありませんので注意しましょう。

では、今日はこの辺で。

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2014年3月11日火曜日

STAP細胞って結局存在するの?

司法書士の岡川です。

世紀の大発見かと思われたSTAP細胞ですが、次々と疑惑が出てきていますね。
「再現実験ができない」という段階では、「特許申請のため、肝心な部分を隠しているのだ」という意見もあり、そういうもんかと静観していましたが、コピペ疑惑やら画像流用疑惑まで出てくると、どうやら、理研の世紀の大失態の匂いがしてきました。

ただ、明るみに出てきている事情をみると、非常に稚拙ですよね。
あまりにも稚拙。

仮にこれが全て捏造だとすれば、第三者が検証すればすぐバレるような嘘をついた動機もわからないし、バレないと考えたのなら、その安直すぎる思考回路も全く理解できない。


あるいは、実はこれ全てが陽動作戦で、こっそりと裏で本物の世紀の大発見を準備してるとか?
何か根本的なところで壮大な勘違いをしてたとかかなぁ・・・?

ほんと、何がしたかったんだろう・・・。


では、今日はこの辺で。


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2014年3月10日月曜日

「訴える」ということの意味

司法書士の岡川です。

民事と刑事」でも書きましたが、今日は「訴える」ということの法律上の意味について確認しておきましょう。

日本語の意味としては、「上司に訴える」とか「医者に訴える」といった具合に、何かを第三者に申し出ることをいいます。

法律用語としては、「訴」とか「訴え」という語は、裁判所における訴訟手続を求める申立てについて用いられます。
「訴訟」の「訴」ですね。


何か被害を受けたときに相手を「訴える」のは、正確には民事訴訟法上の「訴えの提起」のことをいいます。
「訴えの提起」を略して「提訴」ということがあります。

民事事件というのは、当事者(私人)同士の争いのことです。
これを、裁判所で解決しようとすれば、当事者が「訴える」ことができます。
この「訴えの提起」によって開始するのは、民事訴訟です。


これに対し、加害行為が「犯罪」であった場合、犯罪者を裁くよう求めて裁判所に「訴える」のは、刑事訴訟法上の「公訴の提起」です。
「公訴」というのは刑事裁判を求める訴えのことです。
「公訴の提起」のことを略して「起訴」といいます。

公訴の提起は、検察官のみが行うことができますので、例えば被害者が「犯罪者を処罰すること」を求めて「訴える」ことはありません。


検察官のみに公訴権がある以上、被害者が処罰を求めて直接裁判所に訴えることはできませんが、検察官に対し、「『あいつを訴えてくれ』と訴える」ことは可能です。
これが「告訴」です。
告訴は、検察官か警察官にします(警察官に告訴しても、最終的に起訴するのは検察官です)。


つまり、一般の市民が「犯罪者を訴える」場合、

民事訴訟を求めて裁判所に「訴える」(訴えの提起)

のか、それとも、

刑事訴訟を求めて検察官に「『訴えてくれ』と訴える」(告訴)

のかは意識しなければなりません。
もちろん、その両方をやっても構いませんが、少なくとも「裁判所に対して処罰を求めて訴える」(起訴)ことはできませんので、気を付けましょう。


なお、被害者以外が「あいつを起訴しろ」と(検察や警察に)申し立てることを「告発」といいます。


では、今日はこの辺で。


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2014年3月7日金曜日

飼い犬が他人の飼い犬に殺されたら?

司法書士の岡川です。

昨日、動物占有者の責任について書いたら、今日も立て続けに動物の事件が報じられています。

中型犬が登校中児童4人かみつき、1人重傷3人軽傷(毎日新聞)

愛犬かみ殺され、損害賠償 地裁足利支部(下野新聞)


ひとつめの事件は、飼い犬なのか野良犬なのかまだ分かりませんが、首輪をしていたということなので、飼い犬が脱走したのかもしれないですね。
その場合、昨日紹介した事件と同じで、買主は占有者責任を問われることになります。


ふたつめの事件は、殺されたのは人間ではなくて、犬のようです。

足利市で昨年2月、近所の飼い犬に愛犬をかみ殺されたとして、群馬県太田市の60代の母親と30代の娘が、かみついた犬の飼い主で足利市の30代女性に慰謝料など約540万円の損害賠償を求める訴えを宇都宮地裁足利支部(池田知子裁判官)に起こし、6日、第1回口頭弁論が開かれた。
犬や猫は、どんなに家族同然であっても、法律上は「物」扱いであり、人が殺されたときのような慰謝料というのは基本的には認められないのが実務の現状です。
車を壊されたりしても慰謝料はもらえない(修理費は賠償してもらえる)のと同じです。

もっとも、最近では、愛犬を殺された場合に慰謝料が認められる例も増えていますが、そうはいってもその額は人が殺された場合とは比べ物にならないくらい低額です。
せいぜい10万~30万円程度が限度です。
治療費などを合わせても、540万円(それに近い金額も)の損害が認められることは、まずあり得ないと思いますが、飼主の気持ちとしては、それくらいの思いはあるでしょう。

私も、飼い犬が殺されたら、それくらい請求していたかもしれません。
まあ、無理やり540万円も請求する場合、弁護士費用がもったいなすぎるので、自分でやりますが。

請求額をいくらに設定するかは、訴える側の自由ですから別に何の問題もないのですが、訴訟費用や弁護士費用が高くなることだけは気を付けないといけません。
(たぶん弁護士も着手金を低額に抑えているのでしょうけど・・・)


そういえば、昨日は書き忘れましたが、飼い犬が他人を死傷させた場合、刑事上も過失致死罪に問われる可能性があります。
場合によっては(大型犬の場合など)、重過失致死罪です。

(少なくとも現代においては)刑法は、人間の行為に対して適用されるものなので、犬はもちろん罪に問われることはありません。
しかし、「犬をきちんと管理していなかった」という過失が飼主にある場合、それによって他人に傷害を与えたり死亡させたりすると、それは、人間の行為(不作為を含む)なので刑事責任を問われることになります。

ところが、ふたつめの事件で、(被告側の)飼主が罪に問われることはありません。
やはりこれも、犬は「物」だからです。
もし、故意に犬を殺されたということになれば、器物損壊で告訴してやればいいのですが、日本の刑法に「過失器物損壊罪」というのは存在しないので、過失で殺された場合は、犯罪が成立しないのです。

人は誰しも、不注意で何かを壊してしまうことはあるもので、 それを全て犯罪にしていたらキリがないですからね。


こういう例もあるということで、犬を飼っている人は、何かしらの個人賠償責任保険に入っておいたほうがいいかもしれませんね。
自動車保険や火災保険の特約でついているかもしれないので、飼い犬が他人に損害を与えた時は、とりあえず、自身が加入している損害保険会社に連絡してみましょう。


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2014年3月6日木曜日

動物占有者の責任

司法書士の岡川です。

故意過失で、他人の権利や利益を侵害したら、損害を賠償しなければなりません。
これが不法行為責任の原則ですが、一定の場合にその責任を加重する規定が存在することがあります(「過失責任の原則」も参照)。
例えば、交通事故の場合の加害者に科される、自動車損害賠償保障法(自賠法)に基づく運行供用者責任などもそのひとつ。
運行供用者責任は、被害者の側で、加害者の故意過失を立証する必要はありません(中間責任といいます)。

民法の中にも、中間責任の規定は色々あります。
そのうちのひとつが、動物占有者の責任(民法718条)です。
犬の飼い主に賠償命令、山梨 女性死亡で5400万円
山梨県北杜市で2011年8月、女性=当時(56)=が中型犬に襲われ転倒して死亡し、女性の家族が飼い主の男性に約7700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、甲府地裁は6日、約5400万円の支払いを命じた。

民法718条は、「動物の占有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときは、この限りでない。」という規定です。
自分の占有する動物が他人に損害を与えたら、原則的に賠償する責任を負うことになり、例外として、過失がなかったことを立証することで、責任を免れるという規定になっています。
飼い犬が人を襲ったような場合に適用される規定なのですが、上記のニュースは、まさにそのような事例(しかも死亡事故)です。
特に大型犬を飼っている方は、気をつけましょう。
では、今日はこの辺で。


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2014年3月5日水曜日

憲法の条文は「解釈の余地が少ない」のか?

司法書士の岡川です。

「立憲主義」について解説する記事がありました(なお、この話題は、当ブログでも扱っています→「政府解釈と立憲主義の話」)。

安倍首相「解釈改憲」発言で注目 立憲主義とは? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語

解釈改憲をめぐる双方の主張はうまくまとめられていると思います。
私が以前ブログで書いたことも、同じようなことがまるっとそのまま載っていますね。

ただ、途中でなぜか決定的におかしなことがサラッと書かれています。
それは、2頁目最後のこの一文。
なお憲法の条文に「解釈」が入る余地はあまりありません。例えば42条の「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」に解釈も何もないわけです。

確かに、憲法42条については、ほぼ解釈の余地は無いでしょう(「解釈の余地がない」=「一意に定まらない」という意味として)。
しかし、これをもって「憲法の条文」の一般論として「解釈が入る余地はあまりない」などと解説するのは、あまりにも暴論であり、この一文だけで記事全体の信用性が揺らいでしまいかねない程の、初歩的な事実誤認です。
もしかしたら別の意図があって手が滑って書いちゃったのかもしれませんが、もしそうなら、早く訂正を入れることをお勧めしたいところ。
(せっかくわかり易い記事なのにもったいない。)

憲法に限らず、法律や命令などでも、解釈の余地がないほど具体的な規定というのも無いことは無いでしょう。
しかし、基本的に、条文というのは、ある程度抽象的なもので、解釈の余地が必ずあるものなのです(詳しくは、「法解釈とは何か」)。

例えば、刑法204条の「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」という、一見して解釈の余地も少なそうな傷害罪の規定であっても、「人」とは何か?(胎児は「人」か?出産途中で頭だけ出てきた子は「人」か?脳死判定を受けた場合も「人」か?自分は「人」に含むか?)とか、「傷害」とは何か?(人の髪を切るのは傷害か?)といった争点があり、それらについて、実際に適用するうえで解釈が必要になります。

刑法は「罪刑法定主義」という大原則があるため、比較的具体的に書かれてはいる(明確性の原則)のですが、その刑法ですら「解釈の余地がない」と断言できるような規定というのは、ほぼ存在しません(「全く存在しない」と言い切ると、もしかしたらあるかもしれないので…)。


ましてや、憲法です。

日本国憲法は、日本という国の法体系上「最高法規」と位置付けられています。
いかなる法令も、憲法に反することは許されません。
わずか103か条の条文で、日本のすべての法令と法の適用を縛るための網をかぶせているものです。

そのため、日本国憲法は、極めて抽象度の高い、したがって他の法令に比べても格段に解釈の余地が広い法なのです。

例えば、1条の最初、「天皇は、日本国の象徴であり」という部分を読んだだけで「象徴とは何か」という解釈の問題がイキナリ出てきます。
いや、もっといえば、日本国憲法には、1条より前に「前文」という部分があるのですが、この部分の冒頭から解釈が始まります。


このように、「あまりない」どころか、「解釈の余地だらけ」なのが憲法です。
違憲判決だろうが合憲判決だろうが、裁判所で憲法判断が出されるのは、解釈に争いがあるからです。


もし仮に、「憲法に解釈の余地がない」ことを前提に、「解釈改憲は立憲主義に反する」というふうに考えている方がおられるとすれば、それは、議論の前提から間違っています。
前提が(はっきり言えば、致命的に)間違っているのでそれではまともな議論になりません。

前提事実の認識をガラッと変えて、「解釈の余地だらけ」であることを前提にしてから、「行政解釈の変更は、どこまで許されるのか」というふうに考え直してみましょう。

では、今日はこの辺で。


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2014年3月4日火曜日

未成年?少年?児童?

司法書士の岡川です。

未成年者の話のついでに、年少者を表す概念について。

成年とか未成年というのは、直接的には民法4条に規定されています。
民法は私法一般法なので、私法関係において未成年者の扱いを定める場合は、民法の成年規定に基づきます。
そのほかの分野でも、基本的には、民法の規定に準拠することが多いですね。


刑事法の分野では、あまり「未成年」という概念は用いられません。
「未成年者飲酒禁止法」と「未成年者喫煙禁止法」という法律がありまして、これらの法律は、飲酒喫煙を禁止する対象を独自に定義づけています。

まあ、「満20年ニ至ラサル者」っていう規定なので、結局は民法と一緒なんですけどね。


刑事法分野でよく聞くのは、「少年」ですね。
これは、少年法に規定がありまして、定義は「20歳に満たない者」です。
とまあ、結局これも民法上の未成年者と同一です。

少年には、少年法の適用があります。

これに対し、刑事法分野で「刑事未成年」というと、民法上の「未成年」とも少年法上の「少年」とも異なり、刑法41条でいう責任年齢に達しない者、すなわち「14歳に満たない者」のことをいいます。

ややこしいですね。
ややこしいので、私は、この「刑事未成年」という表現があまり好きではありません。


その他、「児童」っていうのもありますね。

児童福祉法や児童虐待防止法にいう「児童」というのは、「満18歳に満たない者」なので、「未成年者」や「少年」とは若干ズレがあります。
18歳を「児童」というのは非常に違和感のある表現ですが、法律上そうなっているので仕方ありません。
ちなみに「児童の権利に関する条約」の定義がそうなっているのです。

ここでもややこしいのが、同じ「児童」でも、道路交通法上の「児童」は「6歳以上13歳未満の者」をいいます。
語感的には、まさに児童っていう年齢ですね。


それから、「子供」とか「子ども」という概念も出てくるのですが、これは結構定義があやふやなので、法律ごとに定義規定を確認するしかないです。


こんな感じで、法律によって同じことを違う表現をしたり、逆に同じ表現なのに対象が違ったりということがよくあります。
気を付けましょう。

では、今日はこの辺で。


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2014年3月3日月曜日

どこからが過保護か

司法書士の岡川です。

テレビで、「過保護な親が増えている」といった特集がありました。

大学受験とか就活に親がついてくるとか、婚活に親が出てくるとか、そういう親が増えているんだそうです。

まあ、「修学旅行に親がついてくる」というのは、過保護とかいうレベルを超えていると思いますが、「過保護」といわれているものでも、それなりに理由があるんじゃないかと思うものもあります。


「就活に親が」といっても、さすがに、面接についてくるというのは少数でしょう。
そういうのは、まあ、過保護なんでしょうね。

ただ、今の就職難のご時世、自分の子が今どういう状況にあるのか、どう接していけばよいのか、といったことを知るための「親向けのセミナー」とかいうのがあるみたいですが、それはそれで別にあってもいいように思います。
というか、「過保護」とはまた次元が違うように思いますね。

大学受験は、例えば、大阪から北海道に受験に行くのについていくとか、車で送っていくとか、それなりに合理的な理由があるように思います。
万全の態勢で受験に臨んでほしいという親心は分からなくもない。

普通に電車で行ける会場についていくのは、過保護かもしれないです。
あえて取り上げられるということは、こういう事例が増えているのでしょうかね。

婚活に親が・・・ってのは、昔から「お見合い」というものがありまして、結婚相手を探すのに親が出てくるのは今に始まったことじゃないように思います。
ネーミングが変わっただけですね。


まあ、この辺までは、やりすぎたら過保護といえるのかもしれませんが、「部屋探しに同伴する」というのを、「過保護」というのは、おかしい。

とりあえず、大学進学時を想定すると、多くの子供が未成年(18歳くらい)です。
部屋を借りるというのは、「建物賃貸借契約を締結する」という立派な契約行為(法律行為)です。


未成年者は制限行為能力者なので、契約をするには、親権者が代理するか、親権者の同意が無ければいけません。
すなわち、部屋探しにおいて親というのは、当事者なわけです。


親権者が部屋を借りる際に代理又は同意するのは、親権の行使にあたるわけですが、親権というのは、親の「権利」であり、「義務」でもあります。
これは、自己の子を監督し、保護する法律上の義務です。
したがって、親が「全部子に任せる」というのは、法律上の義務の放棄していることになります。
過保護どころか、保護すべきことが法律上要請されているといえます。

さらに言えば、賃貸借契約を締結するには、連帯保証人を求められることも多い。
親が連帯保証人になることも少なくないでしょう。

その場合、連帯保証契約を締結するのは親自身なので、これも親が契約当事者になります。
契約当事者が契約相手を一緒に選定するのは、当然の話といえます。


そう考えると、「部屋探しを一緒にすること」が過保護だという批判は全くあてはまらないですね。

本人が本人の責任ですべきこと(例えば、就活とか受験とか)に親が過度に関わることは過保護だといえるかもしれませんが、少なくとも、成人するまでの「子の財産の保護」は、親権者の責任で行うべきことです。
これは、過保護ではないと思います。


では、今日はこの辺で。


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