2016年2月7日日曜日

覚せい剤の使用が犯罪である理由

司法書士の岡川です。

元プロ野球選手の清原和博容疑者が、覚せい剤所持の疑いで逮捕されました。

覚せい剤は、法令に定められた場合(医療用とか研究用で使われる場合)を除いて、所持も使用も覚せい剤取締法で禁止されています。
清原容疑者は、自宅で覚せい剤を手に持っているところを現行犯逮捕されたうえに、尿検査も陽性だったようで、完全にアウトですね。

もちろん、厳密には、裁判所で有罪判決が出るまでは推定無罪ということになりますけど。


清原容疑者の逮捕は、マスコミによって大きく報道される一方で、「清原容疑者に必要なのは刑罰ではなくて治療だ」とか「覚せい剤の使用を犯罪者として取り締まっても抑止効果はない」といった言説も見られます。

これらの意見は、単なる「清原擁護」とか「あえて世間と反対の意見を言ってみる俺ってカッコイイ」というだけでなく、ある意味では正しい部分も含んでいます。


例えば、覚せい剤の使用によって一番の損害を被るのは、自分自身です。
この点をみると、被害者は清原容疑者自身であるともいえます。
まあ、この場合は加害者も清原容疑者なんですけどね、


以前「大麻の法規制」で書いたとおり、薬物の単純所持や自己使用については、それ自体が直接他人に損害を与える行為ではありませんので、何のためにこれを「犯罪」として取り締まるかというのは、よく考えなければいけません。

そもそも、法律(刑法)がある行為を「犯罪」として禁止するのは、それによって、国民の権利や利益を守るためです(そうじゃない考え方もありますが)。
そうすると、薬物の自己使用のような自分自身の健康を害する行為まで犯罪とすることが果たして妥当なのかというのは、刑事法学ではメジャーな論点です。

特に、大麻等の所謂ソフトドラッグについて、結局他人ではなく自分自身を傷つけるだけなので、これを刑罰の対象から外すべきだという考えは、有力に主張されています。
他人に迷惑をかけない薬物の自己使用に対しては、刑罰ではなく、むしろ治療が必要だということになります。


そういう薬物の非犯罪化(decriminalization)の議論がある一方で、覚せい剤などは、強い薬理作用・副作用を生じる薬物であり、これはすなわち他害行為に及ぶ危険が高いことを意味します。
単に自分自身の健康を害するだけでなく、他人に迷惑をかけるようであれば、他人の権利や利益を守るために刑罰の対象として取り締まる意義が認められます。

すなわち、覚せい剤依存に陥った人に対して「治療が必要である」というのはそのとおりなのですが、自己使用にすぎないからといって刑罰の対象外になるかというと、必ずしもそうとはいいきれない側面があります。
他害行為の危険性という点に着目すれば、覚せい剤の使用を「犯罪」と定め、刑罰をもって抑止するのも一定の合理性があるといえます。


ではその次に、薬物犯罪を「刑罰をもって抑止できるか」という問題です。

この点、薬物依存症患者をいくら逮捕して処罰したからといって、再び薬物に手を出すことを抑止できるか、というと確かにそれは非常に疑問です。
依存というのは、意思の弱さでも反省のなさでもなく、脳がそうさせてしまうものですので、刑罰を受けたところで、その人が薬物依存から脱却することは難しいと思われます。

刑罰によって「犯罪を抑止する」といった場合、「罪を犯した人を処罰することによって二度と犯罪をさせない」ことを「特別予防」といいます。
薬物犯罪の特性を考えると、いくら反省しても「脳がそうさせてしまう」以上、薬物濫用についてこの特別予防効果は非常に低いといえるかもしれません(もちろん、全く効果ゼロかというとそうでもないと思います)。

他方で、「犯罪を抑止する」といった場合のもうひとつの意味として、とある行為を犯罪として定めることで「世間一般の人に対して犯罪から遠ざける」ことを「一般予防」といいますが、これについては、薬物犯罪でも一定の効果が期待できます。
「覚せい剤の使用は犯罪(よくないこと、処罰されること)である」と決められていれば、良識ある人間は、やめておこうと考えるでしょう。

実は、刑事法分野では、「刑罰の一般予防効果などない」という見解も非常に有力なのですが、それは薬物犯罪に限ったことではありません。
つまり、特別予防効果は限定的であっても、一般予防効果については、少なくとも他の犯罪類型と同程度には期待できるといえるわけです。


そういうわけで、覚せい剤の使用を犯罪とすることが完全に間違いかというとそうでもないし、清原容疑者を逮捕することが犯罪の抑止に全く意味をなさないかというとそうでもない。
そして、薬物依存の恐ろしさを考えれば、「薬物使用は悪である」として批判することも間違いではないわけです。
直接他人に危害を加えていないからといって、「必要なのは治療だ、批判しても意味がない」というものではないと思います。


その一方で、刑罰によっては、清原容疑者の再犯を防ぐことはまず不可能です。
専門の更生プログラムで徹底的に治療して、それでやっと薬物を断ち切れるか切れないか、というところです。
そして、社会の側からしても、薬物依存症患者が一人でも減った方が有益ですので、自業自得といって見捨ててはいけません。

このように考えていくと、「刑罰より治療」といって全く批判しないのも間違いだし、再犯防止のことを考えずに「とにかく刑罰」というのも間違い。
「刑罰と治療」の両方が重要だということです。


実はこれ、薬物犯罪に限ったことではないんですけどね。
そのへんの話はまた時間のあるときに。

では、今日はこの辺で。

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