2013年6月26日水曜日

私法の三大原則

司法書士の岡川です。

前回は、私法と公法の話を書きました。

今回はその「私法」(私人間の関係について規律する法)の原則について。

私法の基本原理として、一般的に次のような原則があるとされています。
  • 権利能力平等の原則
  • 所有権絶対の原則
  • 私的自治の原則
この3つの原則を総称して「私法の三大原則」といいます。
人によっては、これとは違う原則を「三大」の中に入れたりするのですが、その場合もこれら3つの原則と似たようなものが入ってきます。

1.権利能力平等の原則

「すべての自然人は、国籍、階級、職業、年齢、性別等によって差別されることなく、等しく権利義務の主体となる資格(権利能力)を有する」といった原則です。

この原則が端的に表れているのが、民法3条1項で、
第3条 私権の享有は、出生に始まる
と規定されています。
私権というのは、私法上の権利のことです。
「出生」という事実のみよって、私法上の権利を有するということですから、すべての人が権利能力を有するということを意味します。

これは、あまりにも当然のことすぎて、三大原則に数えないこともあります。
しかし、今では当然のこととはいえ、歴史的には必ずしも「当然」のことではないのであって(例えば、奴隷は私権の主体ではなく客体であった)、三大原則として数えるのが妥当でしょう。

また、すべての個人を個人として尊重する「個人主義」の表れでもあります。

2.所有権絶対の原則

「所有権は、私人はおろか国家でさえも侵すことのできない絶対的な権利である」といった原則です。

何で所有権だけ特別なん?と思われるかもしれませんが、これには歴史的な背景があります。
かつては、特に土地の所有に関して、階層的な権利関係が設定されていました。
土地を直接耕作する人がいて、その上にその土地とその農民を支配する実力者がいて、さらにその実力者より上位の実力者がそれらを支配する、という主従関係がそこにあったわけです。

つまり、単純に物に対する支配だけでなく、人に対する支配を伴っていました。

近代的な「物に対する絶対的な支配権」としての所有権を保障するということは、国民をこのような封建的な支配から解放するという意味があります。
まあ、フランス革命の時代の話ですけどね。

そういう歴史的な意味を持つ原則ですから、必ずしも「とにかく所有権は絶対」というほどのものではありません。
民法206条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。 」として、一定の留保をしています。

「絶対」というほど絶対ではないのですが、とにかく、「私的所有」を認める近代社会を基礎づける原則だということですね。
なので、個人に土地所有権が認められていない中国なんかでは妥当しない原則ですね。

3.私的自治の原則

「私法上の法律関係において、各人は自らの自由意思にのみ基づいて自律的に法律関係を形成しうる」といった原則です。

民法にはいろいろなルールが定められています。
中には絶対に守らないといけないルールもありますが、それらを除けば、民法に定められたルールは、別に守らなくてもよいのです。

「法律は守らなければならない」というのが常識と考えていた人には衝撃かもしれませんが、私法というのは実はそういうものです。
誤解のないように、もう少し正確にいうと、当事者間の合意によってルールを定めれば、そのルールが民法よりも優先する、ということです。
なので、当事者がルールを作っていなければ、法律が適用されることになるので、その場合はもちろん法律を守らなければなりません。

このように、私法上の法律関係というのは、必ずしも法律に縛られずに原則として自由に形成できるのです。

民法91条に「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」とされています。

民法のうち、「公の秩序に関する規定」は、当事者の合意より優先します。

この原則を「契約」の場面に限定したものが「契約自由の原則」というものです。
「契約を締結するか」「誰と契約するか」「どのような契約をするか」「どういう方式で契約するか」は、原則として自由に決められるというのが契約自由の原則です。

契約自由の原則を、私的自治の原則の代わりに三大原則に入れる場合もありますが、私的自治というのは、必ずしも契約だけの話じゃないので、もっと射程の広い「私的自治」のほうを三大原則とするのが妥当でしょうね。


日本国憲法の三大原則と違って、法学部出身者でも意外と知らない人も多いのですが、原則はしっかりと身につけておきたいですね。

では、今日はこの辺で。

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