司法書士の岡川です。
法解釈の手法の話の続きです。
今日は論理解釈について。
法律は、何らかの趣旨や目的の下に作られたものであり、また、法全体として論理的体系として存在しています。
条文に書かれた言葉の意味に幅がある場合に、その法律の趣旨や目的から外れた意味として捉えて適用すべきではないし、ある条文と別の条文が矛盾するようでもいけません。
そこで、条文に書かれた言葉の論理的意義を踏まえて内容を確定させることが必要となります。
これを文理解釈に対し、「論理解釈」といいます。
論理解釈は、具体的な手法や「論理」の中身(捉え方)などによって、さまざまな分類がなされています。
まず、「拡張解釈」(拡大解釈)と「縮小解釈」。
文言の「通常の意味」より広げて解釈するのを拡張解釈、逆に狭めて解釈するのを縮小解釈といいます。
例えば「馬は大阪府知事選の選挙権を有する」という法律があったとします。
ここでいう「馬」に「ロバとかシマウマとかも含まれる」と考えるのであれば、それは拡張解釈だといえます。
逆に、馬は馬でも「子馬やポニーは含まない」と考えるとすれば、それは縮小解釈となります。
「結局のところ、法律用語の『馬』はどこまで含むのか?」という疑問は無意味で、それぞれの条文でなぜ「馬」と書かれているのか、その論理的意義を考えなければなりません。
その結果、ある法律と別の法律で「馬」の意味が異なることもあり得るのです。
「類推解釈」と「反対解釈」というのもあります。
いずれも、ある事情について適用できる規定が存在しない場合に用いられる手法です。
法律に何も書かれていない場合、類似した事実について書かれた条文から類推して同様の結論を導くか、あるいは、「書かれていない」ことを重視して、その条文の反対の結論を導くかの2とおりの結論が考えられます。
例えば、牛が大阪府知事選の選挙権を主張したとしましょう(とある法律によって馬は選挙権を有しています)。
大阪府知事選との関連においては馬も牛も同じと考え、馬についての条文を牛についても類推し、同様の結論(牛も選挙権を有する)を導く手法を「類推解釈」といいます。
逆に、「馬は」選挙権を有すると書いてあって、牛については何も書かれていない以上、牛は除外されるのだと考えれば、反対の結論(牛には選挙権がない)が導かれます。
これを「反対解釈」といいます。
単純に考えれば、Aについて規定されていて、Bについて規定されていなければ、Bは規定の範囲外と考える(反対解釈)のが当然かもしれません。
しかし、法律の世界では、類推解釈によって法の規定がないところに別の条文が適用(類推適用)されることは、決して珍しいことではないのです。
論理解釈と反対解釈のどちらが正しいかは、文言から単純に決まるものではありません。
その規定の趣旨や法体系などを勘案して解釈することになります。
ただし、これまでに何度も出てきましたが、刑罰法規においては類推解釈は認められておりません。
罪刑法定主義の派生原理のひとつである「類推解釈の禁止」です。
ちなみに、類推解釈のうち、類推するのが当然といえるものは特に「勿論解釈」といわれます。
「論理」の中身、何を基準に解釈するかという点に着目して分類することもできます。
ある規定の立法者がどのように考えていたのかということを基準にして解釈する手法を「歴史的解釈」といいます。
その規定の置かれている場所や他の規定との相互関係を基準にして解釈する手法を「体系的解釈」といいます。
その規定の立法目的や趣旨に照らし合わせて解釈する手法を「目的論的解釈」といいます。
もちろん、「これは何解釈」とスパッとキレイに分けられるものではなく、色々な事情を勘案して(その中で何を重視するかが異なる)論理的意義を確定させていくことになります。
解釈手法については、分類の仕方がは論者によって区々ですので、これとは別の説明がされることもあります。
重要なのは、「これを何解釈というか」ということではなく、様々な基準に照らして論理的に意味内容を確定させる作業が、法律の理解には不可欠だということです。
文言の意味を時には広げ、時には狭める。
その作業(解釈)をするには、その制度の趣旨や目的、現在の社会情勢や立法時の背景を知らなければなりませんし、他の法律や場合によっては外国の法律の知識も必要です。
条文をただただ日本語の知識に従って読んでいても、その法律、条文の意味するところは理解できません。
とはいえ、あくまでベースは条文にあります。
独善的な思考に陥って、条文の文言からかけ離れた解釈にならないように注意しないといけないですね。
では、今日はこの辺で。
参照記事→「日本国憲法の条文だけを読むことの意義」
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