2013年6月21日金曜日

日本国憲法の条文だけを読む意義

司法書士の岡川です

昨日、NHKで特集をやっていたが、日本国憲法の条文をそのまま読むというのが流行っているらしいですね。
そして、条文そのまま掲載した本というのが、コンビニで買えるそうです。

それはそれで読みたい人が読めばいいのですけど、それを読んで憲法を理解した気になるのは危険です。
というか、どんなに穴があくほど読み込んでも、絶対に憲法の「理解」する域には到達できませんので、それで本当に理解したと思うのなら、それは大きな間違いであると断言しておきましょう。

「日本国憲法」を文学作品か何かと勘違いされている方もおられるようですが、日本国憲法も所詮はひとつの「法」です。
日本における最高規範であり、その点で極めて大きな価値を有しているものですが、そうはいっても、せいぜい日本の法秩序の中の最高位にあるに過ぎないのであって、それ以上に高次元にあるナニカではありません。
万物の理を体現していたり、宇宙の法則を超越しているような、高尚なものでもありません。
もちろん、信仰の対象となるような聖典でもない。

憲法に限らず、法令の内容をきちんと理解するには、条文を読むことが絶対に必要ですが、条文を読むことだけでは十分条件からは程遠いものです。
法とは、条文に書かれた内容だけで成り立つものではありません。
法の内容は、条文から一意に定まるものではないからこそ、学説の対立が生じるし、裁判でも争いが起こるのです。
仮に六法全書の内容を一言一句違わず丸暗記したとしても、それだけでは何の役にも立ちません。
条文の文言、立法趣旨、歴史的経緯、他の法令との関係、判例、いろいろな要素が組み合わさって、法が現実のものとして適用されるに至ります。
このように、法の内容を確定していく作業を、「法解釈」といい、いかなる法令でも法解釈の作業が不可欠であるというのは、憲法とて例外ではありません。
いや、憲法というのは極めて抽象性が高いものなので、むしろ、憲法こそ解釈が必要なものなのです。
法解釈を伴わずに、ただ条文をひたすら読むというのは、無意味とはいいませんが、まあせいぜい暇つぶし程度の意味しか持ちません。
「日本国憲法の条文をただ読む」というのも、憲法に興味を持つ「きっかけ」という意味くらいはあるでしょうし、それを意図して出版されているのでしょうから、その点に限ってはよいと思いますが、「ただ読む」ことにそれ以上の意味を感じているのであれば、それは「気のせい」です。

「議論のきっかけに…」とかいうことも聞きますが、とんでもない。
条文をただ「読んだだけ」で理解した気になって議論なんか始めてしまうと、非常に面倒なことになります。
ドイツ語を読めない人がドイツ語で書かれた文献の文字を目でなぞっただけで、その中身について議論を始めるようなものです。
ドイツ語で書かれた文献に興味を持つことはよいですが、内容を理解したいなら、せめて独和辞典くらい使いましょうよ…と。

ところが、法解釈は、専門的な知識と技術が必要なものです。
「だから素人は首を突っ込むな」とは言いませんが、専門家のガイドも無しに首を突っ込むと変な方向に行きかねません。
なので、憲法を理解したければ、憲法の条文だけではなく、きちんと専門家(思想家やら社会運動家ではなく、法律の専門家)の解説を読むことをお勧めします。
そのうえで議論をすれば、きっと建設的な議論になるでしょう。

議論のために絶対必要な大前提(そして、議論をするマナーでもある)は、議論対象に関する正確な理解です。
それなしに議論をするのは、はっきり言って不毛です。
そして、それは決して条文を眺めるだけで得られるものではありません。


憲法に興味を持つことはいいことですが、「わかった気になる」のは、百害あって一利なしだと思います。


ちなみに、当然ながら日本国憲法の条文に著作権はありませんので、日本国憲法を読みたければ、ネットで公開されていますので、プリントアウトして読めば、わざわざ本を買わなくても紙とインク代だけで済みますよ。

では、今日はこの辺で。


法解釈について詳しくはこちら→「法解釈とは何か

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