2013年11月9日土曜日

無免許運転が「危険運転」でない理由

司法書士の岡川です。

悪質運転の厳罰化のきっかけとなった亀岡市の事故において、「無免許運転」が危険運転致死傷罪の構成要件として規定されていないことに、一部から批判がありました。

しかし、「無免許運転」が「危険運転」でないことは合理的な理由があり、それは立法ミス等ではなく当然のことだといえます。
また、今回の改正においても、無免許運転自体が危険運転行為とは規定されませんでしたが、これも極めて妥当な結論です。
今日は、この点について書いてみます。

運転免許を取得するには、前提として一定の運転技量が必要ですので、「一定の運転技量がないこと」と「無免許であること」は原因と結果の関係にあります。
しかし、「無免許であること」と「死傷」の結果には直接の因果関係はありません。
無免許の人間が自動車を運転して事故を起こしたとしても、それは、「免許がなかったから」ではありません。
他に何か直接的な原因があったはずです。
例えば、亀岡市の事故についても、直接の原因は居眠り運転でした。

形式的に免許を持っていなくても、十分な運転技能を有している場合があります(例えば、海外の免許を持っている場合や、更新を失念していた場合などが考えられる)。
逆に、形式的に免許を持っていても、具体的な場面に対処する運転技量が無くて事故を起こすこともあります。

無免許運転で過失により交通事故を起こした人間が、「仮に免許を持っていたら」被害者の「死傷」という結果が防げたかというと、当然ながらそんなわけがありません。

もちろん「無免許運転」というのは、運転技能を担保するものが無いわけですから、確かに危険な運転であることが「推認」できるでしょう。
危険な運転である可能性も高い。
しかし、「無免許運転それ自体」が危険な運転というわけではありません。

したがって、今回の法改正においても、「無免許運転それ自体」が危険運転致死傷罪における危険運転行為にはされていないのです。

「だったら免許制度が存在する意味がない」などと批判するのは、典型的な「論理の飛躍」というものです。
免許制度には免許制度の存在意義があります。
それは、事故を起こしたかどうか(人を死傷させたかどうか)に関わらず、そもそも「一定の基準に達していない人物の運転を禁止する」ことです。
したがって、無免許運転は、実際にその運転が危険かどうかに関わらず「それ自体」が犯罪なのです。
事故を起こしたかどうか、人を死傷させたかどうかに拘らず、「無免許運転」というだけで取締り対象とするものです。
この制度により、「事前に危険の芽を摘む」ことが可能になります。
無免許運転が「危険運転」の類型に入っていないからといって、それ自体の存在意義は決して小さいものではありません。

亀岡の事故のとき、「無免許だけど運転の技量があった」というフレーズをもって、「そんな馬鹿なことがあるか」と、やたらとテレビのコメンテーターが感情論を展開して煽っていましたが、少し考えれば、何も馬鹿なことはないのです。
無免許運転はそれ自体が犯罪であって取り締まりの対象だけど、死傷との因果関係がない、というただそれだけの話です。

問題があったとすれば、「無免許運転それ自体」の罰則が軽すぎたという点でしょう。
今回の改正では、「無免許であること」は、その規範違反の程度が大きいということで、危険運転致死傷罪や過失運転致死傷罪等の法定刑を加重する要素として規定されました。
これはこれで、「あり得る改正」のひとつであったと思います。
他に「あり得る改正」としては、「事故を起こしていなくても、無免許運転それ自体の法定刑を大幅に引き上げる」という方法も考えられました。


とまあ、こういうわけで、無免許運転「それ自体」は、「危険運転」ではないということです。

では、今日はこの辺で。

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