司法書士の岡川です。
昨日の続きで、今日も時効の話。
時効は、本当は他人の物が自分の物になったり、自分の有する権利が消滅したり、ある意味「不自然」な制度だといえます。
そんな時効制度の存在意義は、いろいろな考え方があります。
ひとつは、「永続した事実状態の尊重」という点。
長い間、刑が執行されなかったり、公訴されなかったり、権利が行使されなかったり、自分の物として占有していたり、そういう状態が続いていたから、それを前提にして、様々な法律関係が積み重なっていることになります。
その場合、今更「本来あるべき法律関係はどうなんだ」とか問い直して、場合によっては現状をガラッとひっくり返したりするよりは、今の状態を尊重して確定することが望ましい、という考えです。
特に、真の権利者じゃない人や、義務者などの利益を保護する根拠になります。
それから、「立証困難の救済」という点。
例えば公訴時効の場合、被告人は、10年も20年も前の犯行についてアリバイを証明しろといわれても酷な話です。
起訴する側は、犯行直後から捜査資料を保管しているでしょうが、被告人は、特に本当に犯行と無関係な場合など、自分に有利な証拠をそんな長い間持っているとは限りません。
したがって、何年も経った後から起訴するのは、避けるべきという考えですね。
これは、民事上の時効でも同じことがいえます。
消滅時効だと、例えば「30年前に弁済した」ということを証明しようにも、証拠が残っているとは限りません
二重に弁済する危険を負わすのではなく、大昔のことを立証困難なのは仕方ないから、それは救済しようという考えです。
これは、特に真の権利者の利益を保護する根拠になりますね。
もうひとつは、「権利の上に眠る者は保護しない」という点。
特に民事上の時効の話になりますが、「10年も20年も請求せずに放っておいたくせに、今更請求するなよ」という考えです。
権利を有しているのに、あえて行使しないのなら、それを保護する必要はないということです。
こういった考え方のうち「どれが根拠」と決めることはできませんので、最近では、いくつかの根拠を組み合わせたりして、存在意義が説かれています。
時効に対する考え方も様々なので、ある種の時効についてはもっと長くてよいのではないか、あるいは逆に短くすべきではないか、という議論はずっと続いています。
今進められている民法改正においても、議論の対象となっています。
そんなわけで、いろんな理由があるけど、結局のところ政策的に設けられている制度といったところでしょうかね。
では、今日はこの辺で。
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