2014年3月24日月曜日

学術論文はコピペ自由というのは本当か?

司法書士の岡川です。

さすがに信じた人は多くないようですが、いちおう「大学教授」という肩書を有する人物が公に発信していることなので、簡単に誤解を正しておきましょう。

中部大学教授の武田邦彦氏が「学術論文はコピペしてよい」という持論を展開しております。

コピペは良いことか、悪いことか?(1) 基礎知識

逐一細かくツッコんでいくとキリがないので、この記事の何がおかしいのか、要点のみを解説しておきましょう。


まず、知的財産基本法を持ち出して何を論証したいのか意図がつかめない(同法は、知的財産保護に関する政府の施策について定めた法律なので、特許権や著作権といった個別の権利について検討する際の根拠にはなり得ません)のですが、結局のところ、「自然科学の論文に、特許権は無い」ことをいいたいのだと思います。

というのも、

なにしろ「権利」だから、1)権利を主張するのか、2)権利の範囲を示す、必要があり、特許庁に自分の権利を主張する。その時に「権利の範囲」と「産業上の利用可能性」をはっきり書かなければならない。

とあるからです。
「特許庁に自分の権利を主張」というのは、特許権や実用新案権、商標権、意匠権などの話で、これらのうち特許権以外の権利については記事中で触れられていないからです。


他方、「権利」のなかでも、著作権というのは、多くの国(日本も含む)で「無方式主義」が採られていますので、権利の範囲を示す必要も、特許庁に自分の権利を主張する必要もありません。著作権は、著作物が創作された瞬間から、著作者(等)に「当然に」帰属する権利なのです。


そして、論文のコピペで問題となるのは、基本的には特許権ではなく著作権です。
特許権の話などは、わりとどうでもよいことになりますね。


というわけで、「学術論文に著作権の保護が及ばない」ことを丁寧に論証しないと意味がないのですが、それについては、
自然現象の「発見」はもともと自然にあったものだから、もちろん創造性はない。自然現象を利用した「発明」も、現在は「発明は発見である」とされていて、もともと自然にあるものを組み合わせて人間に有用なものにしたのだから、創造性はないと解釈されている。
したがって、専門の書籍にも、裁判でも「理系の学術論文には著作権は及ばない」とされている。

と書かれてあります。


ここが、武田氏の論拠であり、かつ、誤解している部分でもあります。


著作権は、創作的な表現を保護するものです(著作権法2条)。
したがって、いかに自然現象を発見したところで、「技術的思想とか自然科学上の知見それ自体」は著作物ではありません。
言い換えれば、「自然科学の理論(学説)そのものに著作権が発生することはない」ということです。

例えば、万能細胞の作成方法それ自体は、特許権の対象となることはあっても(実際に出願中です)、著作権の対象ではありません。

ただし、それは、「『技術的思想や自然科学上の知見それ自体』が著作権の対象にならない」というだけの話で、「理系の学術論文に著作権は及ばない」などというのは、完全に論理の飛躍です。
その技術的思想や自然科学上の知見を、論文などの形で表現した場合、その「表現」に創作性が認められれば、著作権が生じることになるからです。


もちろん、「専門の書籍」には「理系の学術論文に著作権は及ばない」なんて書いてありませんし、裁判でも「およそ学術論文は著作権の対象外」などという判断はされていません。
むしろ、学術論文の著作物性が争われた事例では、「表現に著作権が生じることは別として、発明そのものは著作権の対象外」みたいな判断がなされています。


このように、「思想そのものは著作権の対象外で、表現に著作権が生じる」という考えを「思想(アイデア)・表現二分論」といいます。
一般的には「思想は著作権の対象外」という説明のために出てくるのですが・・・。

これは、著作権法における基本的な考え方なので、「基礎知識」と題する記事を書くなら、これこそが正に解説されるべき「基礎知識」でしょう。


この「基礎知識」を基にすると、「コピペは自由」という荒っぽい結論は導かれません。
「自由にコピペできる部分もある」にすぎない。

学術論文の中でも、「この部分に著作権は生じないのでコピペ自由」という部分もあれば、「この部分は創作性が認められるから、コピペに制限がある」という部分もあるので、個別具体的な検討が必要なのです。

ところで武田氏は、連載の最後の記事で、

愛知大学の時実象一教授は著書「図書館情報学」(2009)の中で、「学術論文に掲載されている事実やデータには著作性が無いと考えてよい」と記載している。また、大阪高裁は2005年4月28日の判決で、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になると考えられる」として学術論文の創作性を否定した判例を出している。著作権に関する最高裁の判決も「創造性のあるものに限る」としている。

と補足しています。

これも、「事実やデータには著作性が無い」のであって、「学術論文は全て著作性が無い」のではありません。

また、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になる」のであって、その平成17年4月28日判決(インド人参論文事件)でも、「一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において、特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別」という留保がなされており、表現の類似性がないために侵害が否定されたものです。

最高裁(どの判決かわかりませんが)が「創作性のあるものに限る」というのも、創作性は著作権の要件だから当然です。
逆にいえば、創作性がある部分は学術論文でも著作権が生じることを意味しているのです。

例えば、論文の導入部分などは、先行研究をまとめたものだとすれば、そこに個性が出る余地は大きく、学術論文の中でも特に創作性が認められる可能性がありそうです。


結論。
学術論文の性質上、著作物性が否定される部分は多いでしょうが、かといって「自由にコピペできる」ことにはなりません。
そして、コピペしてはいけない部分をコピペしてしまえば、それは著作権法違反ですから「悪いこと」です。


なお、小保方さんの問題は、著作権侵害かどうかという問題とはまた違うように思いますので、これは、「学術論文と著作権」に関する一般論として。


では、今日はこの辺で。


この記事が「面白い」「役に立つ」「いいね!」「このネタをパクってしまおう」と思ったら、クリックなどしていただけると励みになります。
↓↓↓↓↓

※ブログの右上に、他のランキングのボタンもあります。それぞれ1日1回クリックできます。

9 件のコメント:

  1. 読者の方からご紹介をいただいて、拝見しました。武田邦彦です。先生の論理で特に異論はありませんが、「著作したものだから、コピペはいけない」というのではなく、著作権があるものをコピペしれはいけないではないでしょうか?

    返信削除
  2. >武田先生
    わざわざお越しいただきありがとうございます。

    おっしゃる通り、「著作したものだから、コピペはいけない」というものではなく、「著作権があるものをコピペしてはいけない」という理解で間違いありません。
    その上で、さらにもうひとつ、「学術論文であっても、それだけで著作権が否定されるものではない」という前提を加えて理解していただきたいのです。

    先生の記事では、おそらく判例学説を誤読され、「およそ(自然科学系の)学術論文であれば著作権が無い」という前提で「だから学術論文はコピペ自由」という結論になっておりました。

    しかし、本文中で述べたとおり、「学術論文」であるというだけで全体的に著作権の対象から外れるものではなく、学術論文の中の「事実そのものを記載したような部分」等、創作的な表現が無い部分について著作権が否定されるにすぎません。
    この点は、実は他の著作物と変わらないのであって、判例・学説上も肯定されています。

    そして、学術論文か否かにかかわらず、「著作権がある」と認められる部分については、無制限にコピペはできません(引用要件を満たすか、許諾を得る必要がある)。

    そうすると、学術論文であっても、著作権の対象となる部分も含まれている(可能性がある)から、「コピペは自由」ではないということです。

    返信削除
  3. (補足)
    誤解のないように、念のため少し補足しておきます。

    著作権の話だけをすれば、「学術論文のうち著作権の対象となる部分をキレイに避けて、著作権の対象とならない部分だけをコピペすること」はもちろん自由です。
    これは、裁判例が示すとおりです。

    返信削除
  4. 武田氏は、学術論文は何でもかんでも「自由にコピペしていい」と言っているのではなく、「この問題はさらに議論するが、とりあえず、学会に提出した学術論文には著作権はなく(創造物ではないから(注1))」と書いています。これを指して「誤解している」というのは厳密ではありません。文章が厳密でないだけです。「誤解している」という言い方は、武田氏の文章ではなく、武田氏ご自身が「誤解している」という意味にほかなりませんが、それはこの文章からは分かりません。つまりあなたの論理によれば、あなたの言う「誤解している」は厳密ではなく、それをもって「誤解している」と解釈してよいとするなら、あなたも「誤解している」ことになります。人がどう思っているかを批判するのですから、武田氏がどう思っているか、他にもあなたがリンクされている元のブログをご覧になるなど、簡単に補強することが可能です。なのにこの文章しか参照されていることを表明されていない。であればあなたはこの文章だけをもって「誤解している」と取れれても致し方ないでしょう。武田氏は異論は無いと言われてますが、それは「誤解している」というのが正しいと言っているのではなく、「著作したものだから、コピペはいけない」というのではなく、著作権があるものをコピペしてはいけない」を除いてあなたの説明に異論はないという意味だと私は解釈しました。

    とは言え、参照されている文書だけを取っても「学会に提出した全ての学術論文には一切の著作権はなく」ではないことは、普通分かると思います。また『「学術論文は全て著作性が無い」のではありません。』とこの文脈で用いることは、まるで武田氏がそういっているかのような誤解を与えかねません。「学術論文は全て」などとは一言もいってないどころが、該当する理由(創造物でない)を明示しているのですから。武田氏の指摘に該当しない論文の一部または全部があるのは自明です。ただそれが分かり辛い面は否めないというだけです。

    また、「自由にコピペできる部分がある」に”すぎない”という記述をされてますが、「コピペは絶対ダメ」とか「窃盗だ」という昨今の論調からすれば、「すぎない」というネガティブな”表現”も不当です。自由にコピペできる部分が相当ある論文を前に、同じ事が言えますか? 「ほとんど全ての部分、あるいは全部コピペできる」論文に対して、「自由にコピペでききる部分があるにすぎない」という表現は非常に不適切です。もちろんおっしゃるように「自由にコピペできる部分があるにすぎない」が適当な学術論文も在り得るでしょう。しかし全部でない以上、あなたの言う事は、あなたの論理を借りれば「誤解している」ということになります。これは個別に決まる事です。つまりあなたの記事は厳密さを欠いているわけです。それともあなたは「あらゆる自然科学における学術論文は自由にコピペできる部分がある」にすぎないとおっしゃるのでしょうか。武田氏は全部自由にコピペしてよいと言っていますから、それが通らないのは決定的ですが。

    しかも本件の主題は、小保方氏のコピペ騒動であることは言うまでもありません。しかしあなたは、小保方氏の行ったコピペが、著作権上許されるのか否か、にも触れてなければ、(これはもしかしたらご理解されていないのかもしれないので当然かもしれませんが)武田氏のいう「自由にコピペしてよい」という条件に入っているのか否かも触れていません。つまり本質的な議論には全く踏み込んでいないのです。

    では、そうした本質的でない批判に何か意味があるのでしょうか? これはあくまで私の意見ですが、掲げられたタイトルからすればせめて、権利を主張する側(あるいは保護する側)の論理、と、利用する側の論理、そして、公共の知との関係、について明確にすべきですし、きっかけとなっている小保方論文のコピペについてどうであるか、例として評価することぐらい避けられないのではないでしょうか。「小保方さんの問題は、著作権侵害かどうかという問題とはまた違うように思います」と逃げるのではなく、著作権上どうなのか、明確にすべきです。そしてその問題とは何か、著作権との関係はどうなのか、明確にすべきではないでしょうか。

    これはまさしく現在の小保方批判(というより根拠のないバッシング部分)とよく似た構図になっていると思います。これは私の想像ですが、武田氏は、敢えて、このような誤解を免れない書き方をし、罵倒されることを覚悟の上で、小保方論文のように不完全な文章を掲示したのではないでしょうか。

    そうして案の定、この記事のように、コピペの話であるのに、肝心の問題の発端である小保方論文とコピペや著作権の関係はほとんど無視、一方(著作権を主張する側)の論理を主に解説し、他方(学術論文を利用する側の権利)を”ほとんど”無視していながら、武田氏は「誤解している」と断定し、如何に間違っているかを言おうとする。そして本質的で意義深い、自然科学系の学術論文をどのように保護すべきか、あるいは利用すべきか、そもそも学術論文とはどういう意味を持つものなのか、という論理から感心を遠ざける結果になっているのです。しかも結論がそうなっているわけですから、意図的なわけです。

    その記事を書くことで、あなたは何にご満足され、どんな目的が達成できたのでしょうか。

    返信削除
  5. 訂正:「武田氏は全部自由にコピペしてよいと言っていますから、それが通らないのは決定的ですが。」-> 「武田氏の論文は全部自由にコピペしてよいと言っていますから、それが通らないのは決定的ですが。

    返信削除
  6. 訂正2:そもそも学術論文とはどういう意味を持つものなのか、という論理から感心を遠ざける結果になっているのです。-> そもそも学術論文とはどういう意味を持つものなのか、という議論から感心を遠ざける結果になっているのです。

    返信削除
  7. >ゴンザレスさん
    長文コメントありがとうございます。
    逐一回答するとコメント欄が大変なことになるので、要点だけコメントしますね。


    >文章が厳密でないだけ

    ゴンザレスさんが引用した部分を含めてもなお、「およそ学術論文には著作権がない」という内容しか書いてありません。

    「学会に提出した学術論文には著作権はなく(創造物ではないから(注1))」
    →「学術論文には」であって、「創作性のない学術論文には」ではありません。
    かっこ内の「創造物ではない」というのは「から」とあるように、また、ゴンザレスさん自身も「理由」とおっしゃっている通り、このかっこ内は「理由付け」であって、「対象の限定」ではありません。

    かっこ内が「創作性の無いものに限る」とか「創作性のあるものは除く」であれば正しいですが、「創造物ではないから」とある以上、そこには何の限定もされていないことになります。

    よって、「学術論文には創造性が無いから著作権がない」としか読めません。
    もし「そんな意味では書いたのではない」なら、「文章の誤り」です。
    これは、「厳密でない」とかいうレベルではありません。


    >「学術論文は全て」などとは一言もいってない

    上記と同じことですが、武田氏の記事では、「著作権がない」とする「学術論文」に何の限定も付されていません。
    「学会に提出した学術論文には著作権はなく」
    「理系の学術論文には著作権は及ばない」

    限定を付さずに「学術論文には」と対象を設定すれば、それは学術論文全体のことを指します(当然のことです)。


    >自由にコピペできる部分が相当ある論文を前に、同じ事が言えますか?

    いえますよ。


    >「あらゆる自然科学における学術論文は自由にコピペできる部分がある」にすぎないとおっしゃるのでしょうか。

    もちろん、「全体に著作権が及ばない学術論文」の存在は否定できません。
    個別具体的な検討が必要だというのは、本文中で書いたとおりで、個別具体的な検討の結果、すべてについて著作性が否定されることはあり得ます。
    ただ核心としては、「全称命題としては偽である」と述べているのであって、それ以上のことは蛇足でしょう。


    >本質的でない批判に何か意味があるのでしょうか?

    学術論文と著作権の問題は、小保方氏の問題からすれば非本質的ですが、実は、著作権制度においては本質的な問題なのです。
    つまり、学術論文と著作権の問題は、小保方氏から隔離して考える限りにおいて、本質的な問題となります。
    そして、ゴンザレスさんの興味が小保方氏の論文に向いているのに対し、私の興味は、むしろ「学術論文と著作権」という一般論に向いている、というだけの話です。


    >逃げるのではなく、著作権上どうなのか、明確にすべきです。

    本件において「小保方氏の論文が著作権法違反か」というのは、それこそ「本質的でない」ので、明確にする実益はないものと考えます。


    >感心を遠ざける結果になっている

    結果というか、そもそも私の関心が「小保方論文と著作権」というところからは程遠いので・・・。
    そっちに関心がある方が検討されればよいと思います。

    返信削除
  8. お返事恐縮です。

    まず、あなたの(武田氏の文章の)読み取り方を否定するわけではないのですが、それが万人の解釈であると前提することが厳密ではないという話です。事実、私の解釈の仕方を無視する結果になっています。きっと多くの人はこう解釈するはず、というお気持ちはごもっともですが、それは「誤解を招く」といった部類のことです。

    それから武田氏が「誤解している」かどうかは絶対に分かりません。まずこの文章は荒すぎて厳密でないのは申し上げた通りですが、実は、彼に直接聞いたとしてもダメです。人間はウソをつく可能性がありますから。「すまない、私が誤解していたよ」と言っても尚、実はよく分かっている可能性もあります。むしろ武田氏の場合、後付けでになりますが、「異論は無い」とコメントされているのですから、誤解されていないと考えるほうが自然です。私個人の考えですが、弁護士の方と議論されている時点で、しかもフジテレビに出て仮にも教授が公言されるのですから、意図的な誤用(誇大表現)はあっても、あなたがお書きになったような至極当たり前のことは十分理解していると考えるほうがマトモです。あくまで私個人の考えですよ。

    それと小保方氏の問題とこの記事の本質が異なるというご主張に関しては、そもそもあなたが参照されているのが武田氏のブログを引用した記事1つしかないという点で甚だ不十分です。もっと多方面、権利者側の論理だけでなく、利用者側の論理についても、対等に扱い、著作権法の主旨や、学術論文とは何かについても触れる必要があります。また小保方氏の問題と切り離したいのであれば、武田氏の文章(の記述間違いと思われるところ)だけを指摘しても何も始まりません。あれは小保方氏のコピペを擁護するために書かれたのですから。それはさしおいたとしても、単に武田氏の書いた文章がおかしいだけでは、到底、学術論文と著作権の話として価値あるものにはなり得ません。せいぜい武田氏の文章を読んで誤解する人を救済するもの、という位置づけでしかないと思います。それならそれでいいですよ勿論。でもそうではないとおっしゃる。大いに疑問が残ります。

    しかも「例えば、論文の導入部分などは、先行研究をまとめたものだとすれば、そこに個性が出る余地は大きく、学術論文の中でも特に創作性が認められる可能性がありそうです。」とは、案に小保方氏の博士論文を指していると思わせるに十分です。しかも「特に創作性が認められる可能性がありそうです。」というのは、学術論文と著作権の一般論を語るというには、あまりに恣意的と言わざるを得ません。

    返信削除
  9. >ゴンザレスさん
    再度のコメントありがとうございます。

    今回も要点だけ。

    >フジテレビに出て仮にも教授が公言されるのですから、意図的な誤用(誇大表現)はあっても、あなたがお書きになったような至極当たり前のことは十分理解していると考えるほうがマトモ

    実際にそうなのかもしれないです。
    ただ、それこそ、「フジテレビに出て仮にも教授」が「意図的な誤用(誇大表現)」などをすべきではないと思います。
    まだ誤解してくれていたほうがマシだと考えます(それこそ、「悪意が無い」ので)。


    >単に武田氏の書いた文章がおかしいだけでは、到底、学術論文と著作権の話として価値あるものにはなり得ません。

    貴重なご意見として承っておきます。
    ただ、この記事の主眼は、さしあたり「武田氏の記事の誤りを指摘し、読者の誤解を避ける」ことが主眼です。
    その場合、武田氏が論拠としている学説や裁判例において、そんな扱いになっていないことを紹介すれば足ります。
    判例が分かれているような論点なら詳細な検討を加える必要(それこそ、私自身の解釈を開示するなど)があるでしょうが、この問題について裁判例はほぼ一致しているので、争いが無いのです。

    「そうではないとおっしゃる」と述べられましたが、別に「そうではない」とは述べていませんよ。
    「学術論文と著作権」という著作権に関する本質的な論点について、武田氏の記事の誤りを正すのが記事のテーマです。
    なので「武田氏の文章を読んで誤解する人を救済」できたら、それで一応の目的はクリアなのです。
    それ以上の論考は、そのうち時間があればまた書くかもしれない(書かないかもしれない)ですので、気長にお待ちください。

    返信削除