2013年7月12日金曜日

自己責任の原則

司法書士の岡川です。

ちょっと前、キャスターの辛坊治郎氏が太平洋横断に失敗して自衛隊に救助されたとかで、「自己責任論」が少し盛り上がりました。
さらに何年か前には、イラクで人質になった日本人の救出に関して、自己責任論が世間を賑わしたことは記憶に新しいです。

この「自己責任」というものは、実は、法律の世界でも妥当します。
ただ、法律の世界で使われる「自己責任」は、「自分の行為から生じた結果については(全部)自分で責任とれ」という意味よりは、「自分の行為の結果についてのみ責任を問われる(他人の行為から生じた結果については、責任を負わなくてよい)」というふうな意味です。
これを「自己責任の原則」といいます。

かつては、家長が家族の行為について絶対的な責任を負わされたこともありました。
また、「連座」という制度は、誰かの犯罪について、その犯罪者の家族にも刑罰が科されるという刑事上の連帯責任ですね。
しかし、近代法では、原則として、不可抗力による結果責任を個人が負わされたり、他人の行為について連帯責任を負わされたりすることはありません。
過失責任の原則」とも関係しますが、「個人」を尊重する「個人主義」が基本原理となっている近代社会(日本)、では、当然といえば当然の原則です。
連帯保証人なんかは、一見、連帯責任のようなものですけど、連帯保証というのは、必ず連帯保証人自身が「連帯保証契約」を締結しているはずなので、厳密にいえば、自分の行為(契約)に基づく弁済義務なわけで、純粋に他人の行為の責任を負っているわけではありません。
だから、自己責任の範囲内の責任といえます(安易に誰かの連帯保証人になっちゃダメですよ)。

ただ、一定の場合に、直接的には他人の行為から生じた結果について責任を負う場合があります。
その一例が、以前紹介したような場合、つまり、未成年者の行為に対して親(や未成年後見人)が責任を負う場合です。
しかしこれも、完全に自己責任の範囲から外れているかというとそうでもなくて、親が自分の監督義務をきちんと果たしていれば責任を負うことはありません。
つまり、「自己の監督義務を果たさなかった結果の責任を負う」という形ですね。
なので、少なくとも全く自分のあずかり知らないところでなされた、見ず知らずの赤の他人(監督義務も負わない相手)の行為に対する責任を負うことはないのです。

なお、これは民事上の責任の話で、刑事上の責任については、また別です。
刑法41条には、「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定されており、14才未満の者は責任能力が否定されます。
責任能力が否定されると、犯罪が成立しません。
ここまでは、民法も刑法も同じですね。

しかし、責任能力が否定される場合に、例えば親が子の代わりに刑事責任を負う(つまり、親に何らかの犯罪が成立する)ということはありません。
近代刑法では、自分が関与していない他人(例えば家族)の行為について責任を負う連座のような制度は否定されているのです。

ただし、法人の代表者や従業員の犯罪行為について、法人自体が刑事責任を負うことがあります。
一般刑法(「刑法」という名の法律)では、刑事責任を負う主体は個人(自然人)であることが前提とされていますので、例えば、代表取締役による殺人とか窃盗について、法人が責任を負うことはありません。
他方、特別刑法(一般刑法以外の刑罰法規)の中には、直接行為を行った代表者や従業員だけでなく、法人に対しても刑罰(懲役を科すわけにいかないので、主に罰金刑です)を科す法人処罰規定が存在します。
これを両罰規定といいます(従業員の行為で、従業員+法人+法人の代表者が責任を負う「三罰規定」というパターンもあります)。
(追記:一般刑法と特別刑法については→こちら

法人は、代表や従業員とは独立した主体ですので、「他人」の行為によって刑事責任を負っていることになります。

もっとも、法人処罰の根拠についても、他人の行為に対する純粋な無過失責任ではなく、「法人の過失が推定される」という説明がされています(過失推定が明記されていることもあります)。
これも、「自己責任の原則」があるからです。

「自己責任」という言葉は多義的で、しばしば「自分の行為の結果は、他人に頼らず自分で処理しなければならない」といった意味でも使われますが、法の世界では、個人主義や自由主義の観点から責任を合理的な範囲に限定する原則なのです。

では、今日はこの辺で。

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