2013年12月6日金曜日

特定秘密保護法案におけるテロリズムの定義

司法書士の岡川です。

国会では、特定秘密保護法案の審議が大詰めになってきました。
同法案の問題は、あまりにも政治的すぎるので、真正面からこのブログで取り上げることはありませんでしたし、今後もおそらくないと思うのですが、少し本論から外れたところで、法解釈の題材として面白いことがあったので、取り上げてみたいと思います。

毎日新聞で、こういう社説がありました

社説:秘密保護法案 参院審議を問う テロの定義

法案は12条でテロを定義した。全文を紹介する。

「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又(また)は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」だ。

テロ活動の防止は、防衛、外交、スパイ活動の防止と並ぶ特定秘密の対象で、法案の核心部分だ。本来、法案の前段でしっかり定義すべきだが、なぜか半ばの章に条文を忍ばせている。それはおくとしても、規定のあいまいさが問題だ。
二つの「又は」で分けられた文章を分解すると、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」「社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷」「重要な施設その他の物を破壊するための活動」の三つがテロに当たると読める。衆院国家安全保障特別委員会で、民主党議員が指摘し、最初の主義主張の強要をテロとすることは拡大解釈だと疑問を投げかけた。
これに対する森雅子特定秘密保護法案担当相の答弁は、「目的が二つ挙げてある」というものだった。つまり、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し」「又は社会に不安若しくは恐怖を与える」がともに「目的で」にかかるというのだ。
ならば、そう分かるように条文を書き改めるべきだ。法律は、条文が全てだ。読み方によって解釈が分かれる余地を残せば、恣意(しい)的な運用を招く。だが、委員会では、それ以上の追及はなかった。

また、同じ趣旨で、福島瑞穂議員がこんなことを言っています。

特定秘密保護法案 徹底批判(佐藤優×福島みずほ)その1

主義主張に基づいて他人になにかを強要するのがテロリズムなら、なんでもテロリズムになります。官邸前の原発再稼働反対行動どころか、男女平等だからと「主張」して家族に家事の分担を「強要」することも、法解釈上はテロリズムにできるのです。

本当にそんな解釈になるのでしょうか。
同法案のテロリズムの定義は、

政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動

です。
これを、毎日新聞の論説委員や、民主党議員、福島議員は、

1.政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要
2.社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷
3.重要な施設その他の物を破壊するための活動

の3つであると読める…というふうに述べています。
そのうえで、福島議員は、「家族に家事の分担を『強要』することも、法解釈上はテロリズムにできる」と主張しています。


法案の是非は置いておいて、もう少し常識的な議論をできないものか…。

家事の強要がテロになるわけがないのは常識で考えたらわかることです。
仮にそんな条文になっているとしても、確実に裁判所ではそんなものが含まれないよう解釈されます。
・・・が、それでは納得しないのでしょうから、さらにいうならば、そもそも条文の文言上、上記のような解釈にはなりません。


法解釈の基本的な技法から解説しましょう。

まず選択的な2つの事項(AかB)を並べる場合、条文では、

A又はB

と書きます。
Bの中に、さらに選択的な2つの事項(B1かB2)が含まれている場合、条文では、

A又はB1若しくはB2

と書きます。
この場合、「『A』か『B1かB2のどちらか』のどちらか」というふう意味です。


そして、事項が3つ以上ある場合は、

AB又はC

というふうに書きます。
これは、英語の「A, B or C」と同じで、「A又はB又はC」のように、「又は」を連続して使うことはありません。
「又は」は最後の一回のみで、それまでに並列するものは、「、」(読点)で区切ります。

さらに細かいことをいえば、AやBやCが動詞の場合、

Aし、Bし、又はCする

といった書き方をします。


さて、この「法学部では1年生の最初に習う基礎中の基礎知識」を前提に、もう一度特定秘密保護法案のテロリズムの定義に目を通してみると、

国家・・・強要し、又は社会に・・・殺傷し、又は重要な・・・活動

となっています。
もしこれが「3つ並列」であるならば、「又は」が2回出てくるわけがなく、

国家・・・強要し社会に・・・殺傷し、又は重要な・・・活動

となっていなければいけません(最後の一回を除き、「、」で区切る)。
つまり、「又は」が2回でてきている以上、条文上「3つ並列」とは読めないわけです。

そして、「強要し、」の後に「又は」があるということは、「強要し」と対になる「動詞」が「ひとつだけ」ある、ということが読み取れます。
そこで、読み進めると、「又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、」とあります。

ここで、「殺傷し」は、その後に「又は」があるので、最後の「破壊する」と対になっていることがわかります。
そうすると、「3つ並列」でない以上、「強要し」と「殺傷し」が対でないことがこの時点でわかります。

したがって、残る「与える」が「強要し」と対になる動詞であることがわかります。

となれば、

〔「『政治上・・・強要し、又は社会に・・・与える』→目的」で人を殺傷し、又は重要な・・・破壊する〕→ための活動

と読むことになります。
これは森大臣が示した解釈に一致しますが、条文の文言上、正にその通りにしか読めません。

つまり、テロリズムは「殺傷」か「破壊」のどちらかでなければ定義に含まれないことになります。
ただ単に強要するだけでは、テロリズムの定義に該当しません。

毎日新聞の社説に出てきた「民主党議員」が誰なのかはわかりませんが、東大法学部卒の弁護士である福島議員が、(法学部1年生でも知っている)基本的な解釈技法を知らないわけがなく、あえて曲解して極論を展開しているとしか考えられません。
はっきりいって、「日本語を知らないアメリカ人が読んだら、こう読む可能性がある!」というのと同レベルの難癖です。


もちろん条文を正しく読んだ場合であっても、テロリズムの定義が不当であるという意見はあり得るでしょう。
その辺は、十分議論していただきたいところです(まあ、審議は打ち切られましたが・・・)。

しかし、「わかっていながらあえて曲解する」という非建設的な議論はやめるべきです。

こういうのを「藁人形論法」といいます。


毎日新聞社説は、「法律は、条文が全てだ。」と断言しています。
そもそも、その認識からしてどうかと思うのですが、100歩(1万歩くらいでも)譲って、条文が全てだとしましょう。
そこまでいうなら、条文の読み方のルールに沿って読むべきです。


では、今日はこの辺で。

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