2014年9月2日火曜日

盲導犬を傷害する罪

司法書士の岡川です

最近、盲導犬が何者かに刺される事件が起こっています。
これに対し、全日本盲導犬使用者の会が緊急声明を出し、次のように述べています。
「動物の愛護及び管理に関する法律第44条」の厳格な適用を求めると共に、刑法における人間に対する傷害罪の適応や、身体障害者補助犬法により明確な厳しい罰則を設けるなどを含め、補助犬を傷つける行為に対する厳罰の法制化の検討を望みます。(原文ママ)
民主党の海江田代表も「本当に器物損壊(容疑)でいいのか」と述べたようです。

こちらは趣旨がよく分かりませんが。

大の犬好きの私としましては、盲導犬に限らず、およそ犬を故意に傷つける行為には、傷害罪を類推適用可能なんじゃないかとか、個人的にはそう思いますけど、そういうわけにはいかないのが、近代法の大原則(→罪刑法定主義)。

現行法では、盲導犬は「物」であり、刑法261条が「他人の物を…傷害した者」を器物損壊の構成要件として規定している以上、盲導犬を刺す行為は、まぎれもなく器物損壊罪の実行行為にほかならず、「人の身体を傷害した者」を構成要件とする傷害罪の適用が問題となる余地はありません。
もちろん、同時に動物愛護法違反にもなりますが、器物損壊のほうが刑が重いので、その意味では厳しい方の容疑で捜査されています(ちなみに、両罪はおそらく観念的競合となります)。


では、なぜ動物を傷害する行為が、傷害罪の法定刑(最高で懲役15年)に比べて圧倒的に軽い(最高でも懲役3年)のでしょうか。

これは、形式的には「器物損壊罪の法定刑が軽いから」ということなのですが、そもそも「動物への傷害」が「人の傷害」(傷害罪)ではなく「物の損壊」(器物損壊罪)のほうに含められた理由を考えると、近代法が動物を権利の主体として想定していないということに尽きます。

「権利の客体」でしかない動物が、「権利の主体」である人と同列に扱われることはありませんので、動物の生命や身体は、権利の主体である人の権利利益を介してのみ保護されます。
つまり、法的には財産権の侵害という構成になるわけですが、「財産の保護」が「身体の保護」より劣るのは当然で、それが刑の軽重に繋がっているのです。

そうはいっても、動物傷害行為は、単なる財産的な損害だけでなく、飼い主に対する精神的ダメージも大きい(そのため、ペットが死傷する事件で慰謝料が認められる事例も増えています)ことを考えれば、器物損壊罪の法定刑をもう少し引き上げる(あるいは、器物損壊罪と動物傷害罪を分離する)ことは検討の余地があるのではないかと思います。


また、発想を変えて、「動物の権利」というものを正面から認めて、動物を「物」以上の立場に押し上げるという考え方もありえます。
実際に、哲学者のピーター・シンガーに代表されるように、動物の権利を認めるべきであるとする思想的立場も存在します。
この場合、動物の身体は、「人の財産権」を媒介にしなくても、直接権利侵害と構成することができますので、場合によってはもっと重い刑が妥当だと考えることができるかもしれません。

ただし、大前提として近代法の立場を転換し、「人」以外の存在が権利の主体たりえることを認めなければなりません。
今のところ、そこまでラディカルな立法は行われていません。


今回は、盲導犬という特殊な犬であり、視覚障害者を危険に晒しかねないという事情があります。
この点を考慮して、「身体障害者補助犬法により明確な厳しい罰則」というのは、ひとつのアイデアではありますが、「人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」という暴行罪と比しても、それほど厳しい罰則を付すことは難しいのではないかとも考えられます。

バランスが難しいところですね。

では、今日はこの辺で。

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