司法書士の岡川です。
さすがに信じた人は多くないようですが、いちおう「大学教授」という肩書を有する人物が公に発信していることなので、簡単に誤解を正しておきましょう。
中部大学教授の武田邦彦氏が「学術論文はコピペしてよい」という持論を展開しております。
コピペは良いことか、悪いことか?(1) 基礎知識
逐一細かくツッコんでいくとキリがないので、この記事の何がおかしいのか、要点のみを解説しておきましょう。
まず、知的財産基本法を持ち出して何を論証したいのか意図がつかめない(同法は、知的財産保護に関する政府の施策について定めた法律なので、特許権や著作権といった個別の権利について検討する際の根拠にはなり得ません)のですが、結局のところ、「自然科学の論文に、特許権は無い」ことをいいたいのだと思います。
というのも、
なにしろ「権利」だから、1)権利を主張するのか、2)権利の範囲を示す、必要があり、特許庁に自分の権利を主張する。その時に「権利の範囲」と「産業上の利用可能性」をはっきり書かなければならない。
とあるからです。
「特許庁に自分の権利を主張」というのは、特許権や実用新案権、商標権、意匠権などの話で、これらのうち特許権以外の権利については記事中で触れられていないからです。
他方、「権利」のなかでも、
著作権というのは、多くの国(日本も含む)で「無方式主義」が採られていますので、権利の範囲を示す必要も、特許庁に自分の権利を主張する必要もありません。著作権は、著作物が創作された瞬間から、著作者(等)に「当然に」帰属する権利なのです。
そして、論文のコピペで問題となるのは、基本的には特許権ではなく著作権です。
特許権の話などは、わりとどうでもよいことになりますね。
というわけで、「学術論文に著作権の保護が及ばない」ことを丁寧に論証しないと意味がないのですが、それについては、
自然現象の「発見」はもともと自然にあったものだから、もちろん創造性はない。自然現象を利用した「発明」も、現在は「発明は発見である」とされていて、もともと自然にあるものを組み合わせて人間に有用なものにしたのだから、創造性はないと解釈されている。
したがって、専門の書籍にも、裁判でも「理系の学術論文には著作権は及ばない」とされている。
と書かれてあります。
ここが、武田氏の論拠であり、かつ、誤解している部分でもあります。
著作権は、創作的な表現を保護するものです(著作権法2条)。
したがって、いかに自然現象を発見したところで、「技術的思想とか自然科学上の知見それ自体」は著作物ではありません。
言い換えれば、「自然科学の理論(学説)そのものに著作権が発生することはない」ということです。
例えば、万能細胞の作成方法それ自体は、特許権の対象となることはあっても(実際に出願中です)、著作権の対象ではありません。
ただし、それは、「『技術的思想や自然科学上の知見それ自体』が著作権の対象にならない」というだけの話で、「理系の学術論文に著作権は及ばない」などというのは、完全に論理の飛躍です。
その技術的思想や自然科学上の知見を、
論文などの形で表現した場合、その「表現」に創作性が認められれば、著作権が生じることになるからです。
もちろん、「専門の書籍」には「理系の学術論文に著作権は及ばない」なんて書いてありませんし、裁判でも「およそ学術論文は著作権の対象外」などという判断はされていません。
むしろ、学術論文の著作物性が争われた事例では、「表現に著作権が生じることは別として、発明そのものは著作権の対象外」みたいな判断がなされています。
このように、「思想そのものは著作権の対象外で、表現に著作権が生じる」という考えを
「思想(アイデア)・表現二分論」といいます。
一般的には「思想は著作権の対象外」という説明のために出てくるのですが・・・。
これは、著作権法における基本的な考え方なので、「基礎知識」と題する記事を書くなら、これこそが正に解説されるべき「基礎知識」でしょう。
この「基礎知識」を基にすると、「コピペは自由」という荒っぽい結論は導かれません。
「自由にコピペできる部分もある」にすぎない。
学術論文の中でも、「この部分に著作権は生じないのでコピペ自由」という部分もあれば、「この部分は創作性が認められるから、コピペに制限がある」という部分もあるので、個別具体的な検討が必要なのです。
ところで武田氏は、
連載の最後の記事で、
愛知大学の時実象一教授は著書「図書館情報学」(2009)の中で、「学術論文に掲載されている事実やデータには著作性が無いと考えてよい」と記載している。また、大阪高裁は2005年4月28日の判決で、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になると考えられる」として学術論文の創作性を否定した判例を出している。著作権に関する最高裁の判決も「創造性のあるものに限る」としている。
と補足しています。
これも、「事実やデータには著作性が無い」のであって、「学術論文は全て著作性が無い」のではありません。
また、「実験結果の記述は誰が書いても同じような記述になる」のであって、その平成17年4月28日判決(インド人参論文事件)でも、「一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において、特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別」という留保がなされており、表現の類似性がないために侵害が否定されたものです。
最高裁(どの判決かわかりませんが)が「創作性のあるものに限る」というのも、創作性は著作権の要件だから当然です。
逆にいえば、創作性がある部分は学術論文でも著作権が生じることを意味しているのです。
例えば、論文の導入部分などは、先行研究をまとめたものだとすれば、そこに個性が出る余地は大きく、学術論文の中でも特に創作性が認められる可能性がありそうです。
結論。
学術論文の性質上、著作物性が否定される部分は多いでしょうが、かといって「自由にコピペできる」ことにはなりません。
そして、コピペしてはいけない部分をコピペしてしまえば、それは著作権法違反ですから「悪いこと」です。
なお、小保方さんの問題は、著作権侵害かどうかという問題とはまた違うように思いますので、これは、「学術論文と著作権」に関する一般論として。
では、今日はこの辺で。
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